39.突然の別れ
「えっ? 恋人??」
嘘だろ?……そう思った。
「正確には……もう『だった』なのかもしれない」
消えそうな声で俯くなっちゃんは魂が抜けたように感情がどこか遠くへ飛んで行ってしまっている様だった。
「だって相手って……」
おっと危ない。俺が工藤朝陽について調べつくしていたことがバレる所だった。
下手に口を開くと余計なことを喋ってしまいそうで、とりあえず聞きに徹することにした。
「朝陽さんは……、私の学校の担任の先生で……。公に出来ないことばっかりだから誰にもこのことは言わないで欲しいんだけど……」
ドキリとした。俺はなっちゃんの味方になるべきか、西野美野里をギャフンと言わせて、工藤朝陽を陥れるか瞬間頭の中に迷いの渦が巻き起こる。
気を落ち着かせるために気づかれない程の小さな深呼吸をした。
「大丈夫だよ。安心して」
俺は最高のスマイルを彼女に向ける。
なっちゃんはチラッとこちらの表情を伺い、ゆっくりと話を続けた。
「色々事情があって、朝陽さんのお父さんの仲介で、私と朝陽さん4月に結婚しているはずだったの。でも朝陽さんがまだ結婚には早すぎる年だろうって、私の事を気遣ってくれて……実際籍はまだ入れてなかったんだ」
うんうんと頷いてはいるがとんでもない話だ。
24歳の教師が16歳の女子高生と結婚??
どうしたらそんな話の展開になるんだ?!
「でも朝陽さんのお父さんに、籍を入れてないことが分かっちゃって……連絡があったの、ついさっき」
彼女の瞳の奥から滲み出るように、大粒の涙がパタリと零れ落ちた。
「なっちゃん……?」
なかなか次の言葉がでてこない。
ここまで聞いたら焦っても仕方がないか……
彼女が落ち着くのを秒針の音が鳴り響く虚無な空間でじっと待つ。
「私……本当に朝陽さんの事が好きだったの……。大好きだったの……。朝陽さんも11月に入籍しようって……ついこの前言ってくれたばっかりだったのに……」
『うぅ……』と何度も何度も嗚咽を堪える声が漏れる。
肩を震わせたなっちゃんが本当に工藤朝陽の事が大好きだったという事は簡単に見て伺えた。
「……なのに突然朝陽さんのお父さんに言われたの……。朝陽さんに好きな人が出来たから……別れてくれって……」
一生懸命息を吸い吐き出す彼女が余りにも痛々しくて思わず……抱きしめたい衝動にかられた。
小さい頃からなんでも一生懸命で、優しくて……笑顔が誰よりも輝いていたなっちゃんが、この世の終わりのような顔をして、自分でコントロールできなくなるほどの涙を流す姿を見て、猛烈に心が痛んだ。
自分が両親と言い争って泣きたくなった時、いつも彼女は自分の事のように心配をして優しく背中を撫でてくれた。
いつの間にか俺は西野美野里を貶めることより、なっちゃんの悲しい涙をどうしたら止められるかを必死で考えていた。
「なっちゃん……」
あの時彼女がそうしてくれたように、俺も彼女の背中を精一杯摩った。
彼女の呼吸が落ち着くまで、どれだけ時間を遣ってもいいと思った。
「……ごめんね、久々に会ったのにこんな話しか出来なくて……」
真っ赤になった目で俺を見る。
「……なぁ、ちゃんと最初から教えてくれないか? どうして彼と結婚することになったのか……?」
そっと彼女に寄り添った……
「どうしたの?? 瞼パンパンに腫れてるけど」
私の顔を見た友香はすぐに私の異変に気付いて声をかけてきた。
樹兄ちゃんが自分の家に帰った後も、私は現実をなかなか受け入れられなくて眠れず朝まで泣き続けた。
樹兄ちゃんは『力になるよ』って言ってくれたけど、気持ちだけ受け取らせてもらった。
私たちと何も関係がないのに巻き込むのはおかしいと思ったし、申し訳ないけどしてもらえることは何もない。
でも、あの時傍に居て話を聞いてくれる人がいただけでも私は本当に救われたんだよ?
本当に有難かった。
「うん……ちょっと色々あって……。後でゆっくり話すから」
もうこれ以上またその話をしたら、やっと止まった涙がまた流れ出そうだった。
樹兄ちゃんには最後に『直接本人と、とにかく向き合って話をしろ!』そう何度も私の肩を掴んで言っていた。
確かに……先生の口からはまだ何も聞いていない。
今までの朝陽さんの私に対する態度を思い起こすと一気に自信がなくなるけど……
それでも、別れるにしたってちゃんと彼の口から聞きたかった。
朝のHRの時間になって教室のドアがガラリと開く。
毎日夜は二人の時間を過ごしていたのに昨日はぽっかりと穴が開いたように一人ぼっちだった。
今すぐに声が聴きたい……
先生の手に触れたい……
別れを切り出されているにも関わらず、私の心は今でも先生を求める気持ちがどんどん増えていく。
だって……止められないんだもの……
先生の顔を見たら、今すぐにだって傍に行って抱きしめてもらいたい。
ねぇ、もう二度とそれは叶わないの……?
教壇に立って「おはよう」といつもどおり挨拶をする。
胸がトクンと鳴った。
今だって……私先生にこんなに恋してるのに。
そんな簡単に終わりになんて子供の私にはまだできないよ……
「みんなに、残念な話をしなければなりません。……今月いっぱいで、僕はこの学校を去ります」
一瞬教室が静まり返った。
みんなまさかという顔でお互い見合わせる。
一気にざわめきが広がった。
「戸惑うのも当然だと思う。みんなも知ってのとおり、この藤吉高校の理事長である工藤吉平の後継ぎの準備を急遽しなくてはならなくなりました」
驚きの中にも納得の声も上がる。
先生が跡取り息子だっていう事は誰もが知っていることだったからだ。
「みんなに出来るだけ迷惑をかけないように、後任の担任には僕が居なくなるまでみっちり引き継ぎをしますんで、安心してください」
そう言ってて教室の後ろに向かって手招きをする。
後ろに振り返ると、いつ入ってきたか全く気付かなかったが、眼鏡をかけた年配の教師がぽつんと立っていた。
ゆっくりとした足取りで先生の元に向かう。
「北田正先生です。彼は父が新任の教師だった頃から一緒にやっている信頼できる人です。これからの事は、全て彼に聞いてください。僕はあくまでもサポートとして、彼につくつもりです」
朝陽さんはふうと小さくため息をついた。
「北田正です。工藤先生のお父さんとは30年来の付き合いです。皆さんが戸惑わないよう、責任をもってこのクラスを引き継ぎたいと思いますので、何でも気になることがあったら言ってください!」
きらりと眼鏡を光らせ朝陽さんを見た。
朝陽さんは小さく頷いて教室の隅にパイプ椅子を置き座る。
私はこれ以上悲しい事はもうこれからの人生起こらないかもしれない……そんなふうにも思えた。
怖くて朝陽さんの顔が見れない。
今……どんな顔をしてそこに座っているんだろう……?
恐る恐る顔を上げて朝陽さんの方を見た……
朝陽さんは私が見るよりも先に、こちらをじっと見つめていた。
視線が重なり合って……
何か言いたそうだった。
よく見ると真っ赤になった先生の目は、朝鏡の中に映っていた私と同じだった。
(先生……!!)
聞きたい……朝陽さんの本当の気持ちを……
今すぐここから立ち上がって、走り寄って……
「青木さん!」
急に北田先生から名前を呼ばれた。
「はい……」
驚いて正面を向く。
「よそ見をしないでくださいね? 今日からあなたの担任は私なんですから」
眼鏡の奥の私に対する視線が余りにも鋭くて、全身にヒヤリとした感覚が走り抜けた。
「……すみません」
クラスメイトの視線を一気に浴びながら私は縮こまった。
異様な空気が流れる教室に、私と朝陽さんの間には大きな壁が作られたようだった……




