23.初めての事
帰りのバスの中はいつも以上に揺れが心地いい。
窓に映る自分の顔をふと見つめる。
昨日よりも少し大人になったような気がして、そっと唇に手を当てる。
さっきの先生の唇の感触がまだ残っている様だった。
(あたし……キスしちゃったんだ……)
冷静になって思い出すと顔から火が出そうなほどの恥かしさと、それを超えるほどの幸福感が湧き上がる。
ドラマや映画の中でしか縁のないものだって、つい最近まで思っていた。
それが現実に自分に起きた瞬間、映像からは読み取り切れなかった先生の呼吸や唇の温かさがじんと身体の芯まで浸透するような痺れがあって……『キスってなんて奥深いんだろう』そう窓の中の自分を見つめながら思った。
今日は途中まで本当に最悪だった。
自分の惨めさに耐えきれなくなって生物実験室に逃げ込んだ時は『このまま帰ろうかな……』そんなことまで考えてた。
先生が探しに来てくれて……本当は、凄く嬉しかった。
でも、なかなか気持ちに整理がつけられなくて、言いたいことを言い放って私はその場を逃げ出したけど……途中、西野先生にすれ違って、彼女が生物実験室に入っていく姿を目にしてしまった。
(確実にまだ教室の中にいる朝陽さんと何をしているの?)
そう、また良からぬ想像が頭の中をぐるぐる回って、何も考えられなくなった。
思考を働かせたら、自分が自分でいられなくなりそうで、その時からひたすら私は考えるのをやめたんだ。
人形のように無意志で、競技に参加して……
周りからみたら、どんな顔に見えたかなんて、気にもしなかった。
そんなことに気を遣えるほどの心の余裕もなかった。
目の前にある障害物をただただ乗り越え前にすすんで……
気が付いたら転んでた。
膝が痛くて我に返って……
情けなくて一気に涙が溢れだした。
友香と紘に声をかけられて、そのまま救護室に連れていかれたけど、あんまり記憶にない。
ただ、目の前で私の手当てをしている西野先生が余りにも美人で、キラキラしていて……
私とは遥か別の種類の人間のように思えて……
もう、消えたくなった。
午後のフォークダンス、朝は一応参加するつもりで家を出たけど、その時はもうどうでもよかった。
こんな醜い自分と誰とも顔を合わせたくなくて、誰も来なさそうな屋上に逃げ込んだ。
何処からこんなに涙が出てくるんだろう……
不思議な気持ちになるくらい、自分の意識とは別のところで、切れることなく涙が流れ出した。
朝陽さんが西野先生に微笑んだ顔が頭の中からこびりついて何度拭っても消えて行かない。
「……もう嫌!!」
思わずそう叫んだけど、ダンスの音に悲しくかき消された。
どんなに先生に好きって言われたって……きっと今の私じゃ先生の恋人になれない。
いっそのこと整形でもしょうかな……?
そんなことまで考えだした時だった。
「夏帆……!!」
大好きな人の声が聞こえて振り返った。
真っ赤な夕日の中にいる彼を見て幻覚かと思った。
「せんせ……?」
余りの眩しさに目を細めながらもう一度彼を見た。
瞬間、先生の温かい身体に包まれて時間が止まった。
「夏帆……、ごめん、ごめんな……」
そんなふうに一生懸命私に謝っていた気がする。
突然の事に混乱して……
「どうして……ここ……?」
そう口に出すのが精一杯だった。
先生はじっと私を見ていた。
自分の泣きはらした惨めな顔を見られたくなくて目を逸らす。
少し悲しい色に先生の瞳が変わったのが分かった。
「キス……していいか?」
その言葉を聞いて、耳を疑った。
こんな泥まみれで、顔もぐしゃぐしゃな私を見てがっかりしたかと思ったのに……
動揺して咄嗟に先生の胸に顔を埋めた。
「嫌……かな……?」
寂しそうな声が上から聞こえて来て……
私は首を横に振る。
顔をあげると、先生の優しい笑顔に包まれている自分がいた。
あぁ、今ちゃんと私を……私だけを見てくれているんだ……
ちゃんと分かった。
だんだん近づいてくる先生の顔を見つめながら、私もそっと目を閉じた……
自分が下りるバス停の名前がアナウンスで流れてハッと我に返る。
今私、どんな顔してるだろう……?
急いで降りようと立ち上がる。
運転席の前を横切った。
「ありがとうございました」
そう声をかけられただけで、ビクッと身体が動く。
今自分の心の中が誰にも見透かされていないことを祈りながら駆け足で我が家に向かった。




