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11.結婚した本当の理由

「夏帆ちゃん……」

 俺は、準備室を出て行く夏帆ちゃんの後姿を見送った。


 今日の俺は本当にどうかしてる。

 危なく彼女にキスするところだった。


 夏帆ちゃんと一緒に住むこの選択は果たして本当に良かったんだろうか……、最近よく思う。

 こんな事なら、婚姻届け……出しておくんだった……

 そんな卑しい心まで生まれてくる。



 初めて夏帆ちゃんに会ったのは三年前の丁度今頃……

 彼女が中学一年生の春だ。

 おそらく……夏帆ちゃんの記憶の中に、その時の俺はもういないだろう。


 あの日は母さんの葬式の日。

 厳しい父さんとは逆に、母さんはいつも包み込むように優しくて、俺の心の拠り所だった。

 病床に倒れたのはもう六年も前の話だったが、まさかこんなに早く天国に行ってしまうとは思ってもみなかった。


 失意の中、ぼーっと母さんの遺影を眺めていた時だった。

 隣の中学生の女の子が声をかけてきた。


「あの人……あなたのお母さん?」

 彼女は遺影と俺を交互に見遣った。


「あぁ」

 俺の声がよっぽど力なかったんだろう。


「残念だったわね……。あなた、死にそうな顔してるけど……大丈夫?」

 ダイレクトな彼女の質問に、少し驚いた。


「……さあな」

 自分の気持ちを誤魔化すように遠くを見ながら俺は答えた。


「大丈夫よ。お母さんが居なくても。私のお母さんはずっと私の心の中で生きているから全然平気。私が忘れなければ、いつもいつも傍にいてくれるから」

 彼女の言葉を聞いて、俺と同じく、母さんがいない子なんだってのはすぐに分かった。


「……そう……かな?」

 気丈な彼女の表情を見ていると、本当に大丈夫なような気がしてくる。


「そうよ。私、いつもお母さんと一緒に素敵なものを見て感動して、面白いものを見て一緒に笑って、悲しい時は一緒に泣いてくれるの……。生きていた時よりも、何倍も近くでね。だから、私はどんな時だって、一生幸せよ?」

 ふふふと笑った彼女の顔がずっと忘れならなかった。


 それ以来、落ち込んだ時は、母さんの顔と同時に、彼女の顔が思い浮かんだ。

 次第に何よりも先に、彼女の笑顔が俺の心を満たしてくれていることに気づいていく。

 恋なのか……それはどうだったのか分からないけど、あの時から、間違いなく彼女は俺の心を支えてくれていた。



 いつか……もう一度彼女に逢いたい……

 その子が誰かもわからずに、俺はずっと探し求めていた。



 それから二年たって、西野先生とのお見合いの話が出た。

 決して乗り気ではなかったが、父さんの決めたことに抗う事を俺はしなかった。


 きっと、どうなっても、俺の心の中で彼女の笑顔が元気づけてくれる……そう思ってたんだ。

 西野先生とは暫く形だけのお付き合いを経て、婚約……そんな話が上がっていた時だった。


 急に父さんに呼び出されて、突然『別の相手との結婚は考えられないか?』と切り出された。


 何を今更……西野先生だって乗り気でいるのに……

 そう思った。


 しかも相手はまだ16歳?

 一歩間違えれば犯罪じゃないか。

『とても無理だ』そう答えた。


 父さんは意外と素直に、『そういうと思ったよ……さすがにな』と笑った。

 割と簡単に引き下がった父さんを見て、逆にその話に興味を持った。


 話だけでも聞いてみるか……

 なんとなくそう思ったんだ。


 そしたら、両親を亡くして行き場を失い困っている女の子がいて、その子の亡くなった父親と、俺とその娘さんを結婚させるって、豪語してしまったというもんだから驚いた。

『親友のように仲良しで、何度も飲みに行った彼との約束をできれば果たしてやりたい』

 父さんの目にうっすら溜まる涙を見て、俺は写真だけでも見てみるか、そう思った。



 でも、その写真を見て……俺を取り巻くすべての時間が止まった。

 母さんの葬式の日に撮ったというその写真には、ずっと探し求めていたあの時の彼女が写ってたんだ。



「父さん……この子なのか……? 本当に……」

 その時の俺は泣いていたかもしれない。

 今まで凛と張り詰めていた心の中がぐちゃぐちゃになって、今すぐにでも彼女に逢いたくなった。

 隣に映っているのは彼女の父親らしき人。

 お父さんまで亡くなって……彼女は今どれだけ辛いだろう……

 きっと、あの時のように、気丈に笑顔で振るまっているに違いない……



「父さん、俺、この子と結婚する。結婚したいんだ……」

 その時の俺に迷いなんて少しもなかった。

 ずっとずっと探し求めていた人だったんだから……


 それから話は一気に進んだ。



 3年ぶりに逢った彼女は俺の思った通り、凛としていた。

 両親が居なくなった寂しさを少しも見せずに笑っている。

 俺は彼女に気持ちを向けて欲しくて、懸命に話しかけた。

 たくさん笑っている姿を見たかったんだ。


「青木夏帆です」

 3年も経って初めて彼女の名前を聞いた。


「夏帆ちゃん……」

 そう口に出した時、彼女が微笑んだ。


 当時より大人びた表情にドキッとした。

 こんなに年下の女の子に……俺は恋をしてるんだろうか……?


 その時はまだ彼女に恋をしているんだって認められなかったんだ。

 まだ16歳の子に恋愛感情なんて……

 自分の理性が『恋』と言う感情を突き放そうとしていたんだと思う。



 でも、今は違う。


 俺は確実に夏帆ちゃんに恋してる。

 本当は誰の物にもなって欲しくない。

 俺の傍で、俺だけに笑いかけて欲しい……


 彼女に嫌われたくなくて……

 俺は今必至だ。

 24歳じゃ、彼女から見たら間違いなくおじさんだ。

 こんなオジサンと結婚させられる彼女の本当の気持ちを考えたら……

 とても婚姻届けを出すことが出来なかった。



 でも、さっき……

 自分の彼女への感情が抑えきれなくて……

 危なく夏帆ちゃんにキスするところだった……



 じっと彼女がつけてくれた袖のボタンを見つめながら、今までで一番彼女を近くに感じたさっきまでの時間を思い起こしていた。


 彼女の髪も、膝小僧も、笑顔も、驚いた顔も……

 全部が愛しくて、独り占めにしたかった。


 でも……それは俺のエゴだってこと分かってるんだ。

 彼女には本当に幸せになって欲しい。

 その相手が俺じゃなかったら、それは認めざるを得ないんだ……



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