1.私の旦那様は担任の先生です
カッカッ……軽快な音を鳴らしチョークが黒板の上を踊る。
書いている主の、男性にしては長くてキレイな指先から手首に視線を滑らせると袖元に目が留まった。
取れかけたボタンがゆらゆらと揺れているのに気づく。
窓から差し込む生き生きとした日差しがボタンに反射してピカリと強い光を放つと、私はハッと現実に引き戻された……
私は青木夏帆16歳。高校一年生。
つい数日前、入学式を終えてようやくクラスメイトの名前と顔が一致してきた今日この頃。
ルックス、センス、成績、性格……どれをとっても、たぶん普通。
超がつくほど、平凡で何の取り柄もないただの女子高生。
……のはずだった。
3月の終わりにお父さんが死んじゃうまでは。
一つだけ、私は普通の女子高生と決定的に違うところがある。
そう、私は16歳にして人妻だ。
板書していた担任の先生がくるりと振り向いた。
いたずらっ子のような笑顔を浮かべ、日に焼けた健康的な肌に白い歯がキラリと光る。
「来週は、中学校までの確認テストをする! 一学期の成績にも大きく影響するテストだから、気を抜かないでしっかり復讐してくること!!」
ニヤリと笑っているようだったが爽やかさが隠し切れない。
「えーっっ!!」
そんな反抗的な声の中には、先生のあまりの爽やかさを受け止めきれなくて黄色い声に変わる女子生徒が何人も見え隠れしているのを、きっと誰もが気が付いているだろう。
そのクラスの色めいた視線を一気に引き受ける担任の工藤朝陽先生は生物担当の24歳。
誰もが好む人懐っこい犬顔は、生徒どころが、女性教員のなかでも何やら人気らしい。
見た目もさることながら、この学校、藤吉高校の理事長である工藤吉平の自慢の一人息子。
お金持ちなのは説明するまでもないでしょう?
先生が袖元のボタンが取れかかていることに気づき、さり気なくブチっと引きちぎる。
プリントを解いている生徒の中でそのしぐさに気づいた人は何人いるだろう??
教卓で何やら書き物をしていたと思ったら、教科書を片手に生徒たちの様子を見回りながら、一人一人丁寧に声を掛けていく。
女子たちは嬉しそうに先生を見上げて、一生懸命頷きまたプリントに目を落とす。
男子たちは楽しそうに、分からないところの質問を投げかけ、センスのある先生の回答が返ってきたことに笑いが零れる。
もうすぐここに……
隣の子に声を掛け終わり、私の方を見た。
机に置かれた先生の手から、白い紙とボタンが見えた。
何も言わず、私の顔も見ずにそのまま去っていく。
ボタンの隣で控えめに折りたたんである、置き去りにされたメモのような紙を手に取った。
『ごめん、帰ったらつけてもらっていい? 俺失くすから、持っといて』
短くそう書かれている。
そう。
私の旦那様は、工藤朝陽先生。
私のクラスの担任だ。
窓の外には若い葉を見せた桜の木々が、花びらを散らしながら校庭をピンクに染めていく。
私はそんな美しい景色を、淡々と眺めていた。
……世の中結婚なんて、紙切れ一枚の関係。
その中身は、その夫婦しか知ることのできない世界が広がっている。
うちは……??
幸せそうに見える??
見えるも何も、私たちの関係を知るのは、彼のお父さんしかこの世にいない。
恋愛とは何かも良くわからない子供のまま、私は人妻になった。
今の時代……にもあるんです。
なんだか悲しいけど。
お互い相手に愛情を持たない『形だけの結婚』と言うものが。