第五話 エルフの継承者
この場所にセイルが来てから一週間以上は経過していた。
その間、セイルは白い部屋から自由に出入りする事は許されず、シオン達が時々やってきては、検査のような事をするだけだった。
検査の間、シオンは自分達が何者なのかを断片的に説明した。
ここが何かしらの施設であり、そこに居る人々はこの施設で働く職員である事をセイルは理解したが、シオンは多くを語らずセイルの中にたくさんの疑問が残ったままだった。
シオンを初めとする、この施設に居る人々はいずれも超人間主義者だった。
超人間主義、トランスヒューマニズムとは即ち科学技術を用いて人類の進化を目指すものだ。
しかし彼らが目指すものは、世間一般に言うところのトランスヒューマニズムとは少し視点の違うものだった。
この施設に居る人々は、自らをエルヴェン・サクセサーと呼称していた。
そしてこの日、セイルはようやく部屋から連れ出された。
部屋の外はとても長い通路になっていた。
部屋の内装と同じく、無機質で真っ白な通路だった。
シオンとローブを着込んだ者達に連れられ、セイルはその通路を進みながら、シオンの質問に回答する。
この一週間、ニューから聞かされた話を自分の中で整理したセイルは、歩きながらその内容をありのままシオンに伝える。
「つまり、君は執行者としてこの世界の正常化を目指そうとしていると。そういう事なんだね?」
シオンの言葉にセイルは頷く。
「……それが、監視者を自称する何者かが話していた内容の全てです」
「今も君の近くに居るのかな? その、ニューという、外なる存在を自称する者は」
「居ますよ。貴方のすぐ横に」
シオンはキョロキョロ辺りを見渡す。
だが、シオンにはその姿は見えない。
セイル以外の人間の目にはニューの姿は見えなかった。
「見えないというよりも、認知できないのよぉ。あたしは外なる存在。貴方があたしを認識できるのはあたしと融合しているからじゃないかしらぁ」
このニューの発言も、しかしシオン達には聞こえない。
セイルがニューに言葉を返す。
「人間の心が読めるんだろ? なら、同じ要領で相手の脳内に直接語り掛けたりできないのか?」
「そんな便利なものじゃないわよ! あたしは貴方の心以外わからないわよぉ。融合してるんだから当たり前じゃないのぉ」
シオンは話を続けた。
「今もそのニューとやらと会話していたのかな? 面白いものだ。ところで君の話、というよりもその監視者ニューが言っていた内容だが、我々は素直にそれを受け入れられるだろう」
「なぜですか?」
「なぜか? 簡単な理由だよセイル君。この組織を創り出した人はね。自らを執行者と名乗る、他の世界から来た存在だからさ。さぁ、着いたよセイル君。この扉の先に用事があって君を連れ出したのさ」
気が付くと、セイル達は長い通路の行き止まりまで来ていた。
そこは少し広い空間になっていた。
セイルの目の前にはいかにも重厚で頑丈そうな観音開きの扉がそびえていた。
扉は高さ4メートルはあるかというほどの大きさだった。
とても古いもののようだ。
意匠は殆ど施されておらず、扉の下部に小さな円状のレリーフが見受けられるのみだった。
真っ白で無機質な空間に在るこの扉がセイルにはとても不気味に思えた。
シオンがレリーフに何かをかざすと、その扉がゆっくりと開かれる。
地鳴りのような音を轟かせながら、扉が完全に開かれた。
セイルは否応にも高まる心拍をなんとか抑えようとしながら、中を覗き込む。
先程までの真っ白く無駄に明るかった通路とは打って変わり、中は非情に暗かった。
セイルは眼を凝らして、そこがとてつもなく広いドーム状の空間になっている事に気付いた。
そしてセイルは、そこに巨大な何かがある事に気付いた。
「セイル君、あれが見えるかな?」
「いや、よくわかりません……。何か、大きなものがあるのはぼんやりと分かりますが……」
その言葉を聞いたシオンが、何かを小声で呟いた。
セイルには何を言ったのか聞き取れなかった。
だが、ニューはシオンの発した言葉を聞いて、驚くようなそぶりを見せた。
すると、ドームの内部に突如明かりが灯った。
ドームの上部付近に、不思議なエネルギーを感じさせる光る球体が現れた。
しかしそれでも尚ドームは薄暗かった。
「どうだ、明るくなったろう」
シオンはそういうと、ドームの中に進んだ。
ローブを着た職員達も続々と後に続く。
「……あのシオンってやつ、本当に人間なのかしら……」
「なんだ? どう見ても良い歳したオヤジって感じじゃないか」
「あいつ、今エルフの術を使ったのよ? この世界にエルフは存在しない。となれば、エルフの術なんてものも存在しないはずよ……」
セイルはシオン達の後に続いてドーム内に入った。
ドーム内に足を踏み入れた直後から、その空気が明らかに変わった事にセイルは気づいた。
シオン達は少し先で足を止め、セイルが来るのを待っていた。
セイルがそちらに向かうにつれ、うっすらと見えていた巨大な何かがなんであるかわかった。
「こ、これ……! あの時のドラゴンもどきだ」
腹部から生えた三対の触手と歪な肉塊と化した頭らしき部位を持つ、一般的なイメージからかけ離れた異形のドラゴンがそこに横たわっていた。
「あれ、でもこのドラゴンもどき、俺が喰ったやつとは別ものかな? 俺はたしかコイツの身体中を食い荒らしたはずなのに、その痕跡が無い」
そして、直後にセイルは強烈な食欲に襲われた。
ドラゴンもどきの肉と血を貪った瞬間の歓喜と、その美味さを思い出す。
「いや、間違いなく君と戦ったドラゴンだよ」
シオンはセイルの様子を伺いながらも、冷静に言葉を続けた。
「再生しているんだ。ゆっくりとだがね。これがなんとも不思議なんだよセイル君。このドラゴンの再生の仕方は、まるで君の再生の仕方とそっくりなんだ」
「えっ、それって……」
セイルはニューに目を向けた。
ニューはどこか冷ややかな視線で、横たわるドラゴンもどきを見つめていた。
「ニュー、ちょっと聞きたいことがある」
ニューはドラゴンもどきから目を離さずに、セイルに言葉を返す。
「わかってるわよ。貴方の考えてる事はわかるんだってば」
「なら答えてくれよ」
「その必要なんてないでしょう? あたしの目的は話したじゃないの。ほら、それで言うならこのドラゴンもどきを完全に"処置"しなきゃならないわ。そうね、あたしもバカだったわ。魂を奪わないと意味が無いものね……。でも、貴方はドラゴンの味を知れるし良い方法だと思ったのよぉ。ダメね。ちゃんと殺さないとダメね。殺すのよ。魂を奪いなさい」
ニューは急に饒舌になった。
セイルは、この監視者を名乗る悍ましい存在に改めて不信感を抱いた。
まだ自分に話していない事があるという事をセイルは確信した。
「……監視者は何と言っているのかな?」
「明確に説明はしてくれません。ただ、このドラゴンを殺せと言ってますが……ところでシオンさん」
何故自分をここに連れてきたんですか、とセイルは言葉を続けようとしたが、しかしそれは突如動き出したドラゴンもどきの発した咆哮に阻まれた。
「やはり、目覚めた。君が来たからなのか、或いは監視者が来たからなのか……」
シオンは、どこから発しているのかもわからない咆哮を轟かせながら立ち上がるドラゴンもどきを見上げながら呟いた。