第十話 成長
目を覚ましたセイルは、ベッドに横になったまま、気を失う直前の記憶をたどる。
そして、今自分が居る場所が施設内である事を察した。
だが、あの見慣れた不自然なほどに白い部屋では無かった。
特に身体を拘束されている事も無い事を確認して、セイルは身体を起こすとゆっくり辺りを見渡す。
とても静かだった。
ベッドの周りがカーテンで仕切られている。
カーテン越しには、机に向かう人物のシルエットが見える。
何かを熱心に書き込んでいるようだ。
セイルは音をたてないようにベッドを抜け出し、静かに仕切りのカーテンを滑らせた。
「貴女は確か、ジュディスさん?」
突然声をかけられたジュディスは、驚きのあまり握っていた鉛筆を放り投げて椅子から転げ落ちた。
「な、なんだセイル君……。起きたのね。気分は悪くない? ごめんね、ここは臨時の医務室で、見た通りあまり設備がととのってないのだけど……」
セイルは鉛筆を拾い、ジュディスの手を引っ張り上げて身体を起こさせる。
セイルは部屋を見渡すが、先程までジュディスが座っていた机にセイルが寝ていたベッド意外には何も無かった。
机の上には、先程までジュディスが書き込んでいたのであろう書類が散乱しているのみである。
この不自然なまでにモノが置かれていないこの部屋に自分が何故連れてこられたのかセイルは直ぐに察した。
「そうか、本来の医務室、怪我人でいっぱいなんでしょうね……」
「ごめんね。貴方は覚えてないかもしれないけれど、戦闘機から脱出して落下した時に私達が詠唱で貴方の落下速度を落としたから、身体には特に怪我なんかも無かったのよ。だからこの部屋で代わりに」
「そうだ、それについてちょっと聞きたいことがあるんです」
セイルはジュディスの言葉を遮る。
「ジュディスさん達がたまにやってるそれ、俺にも教えてくださいよ」
「え、エルフの術の事を言っているの? それは……。ごめんなさいね、そういう単純なものでは無いの」
ジュディスはセイルに目を合わせようとしない。
口調もどこかたどたどしさを纏っている。
「どうしてですか。俺にそれ教えてくれたら、俺が自分で自分の身も守れますし皆さんの手を煩わせる事も無い筈でしょう」
「……ごめんなさいね、もう少し休んだらまた話しましょう」
ジュディスはそう伝えると逃げるように部屋を出て行ってしまう。
セイルは彼女が出ていった扉をただ見つめていた。
程無くして扉が開くと、今度はシオンが部屋に入ってきた。
「今度は直ぐに目覚めたようだね」
「すぐに? そう言えば、この部屋時計すら無いですね」
「あれからまだ数時間ほどしか経ってないよ。さてセイル君、寝覚めが良くないのは察するが、あまりジュディスをいじめないでくれよ」
シオンの口調にはどこか警告めいた色が含まれていた。
それにセイルは気づいていたが、尚も諦めようとはしなかった。
「シオンさん、俺はただ自分の身を護れる術が欲しいだけなんですよ。あのドラゴンの炎を目の当たりにして、俺は改めて自分が完璧じゃないって事を認識しました。死を克服したわけでは無いと。だから、ここに居る皆さんと同じように、俺も魔法を使えるようになれれば……。俺が外傷では死なないというのが、どの程度のレベルまでの話なのかわかりませんし、そうだ、何より俺は皆さんにとって必要な存在な訳で」
「傲慢だな、セイル君」
シオンの声色は今や警告を越え、底知れない怒りを感じさせるものだった。
だが、セイルも引かなかった。
「なんでですかシオンさん!! 俺がお前らのその力さえ手に入れれば……!!」
セイルは執行者になった時、自分は少なくとも"一般的"な人間の領域は超えたと思っていた。
事実部分的にセイルは人間どころかこの世界のどの存在よりも異質な特性は得ている。
だが、最初ドラゴンもどきに襲われた時も、ドーム内で再びドラゴンもどきに対面した時も、数時間前のドラゴンとの戦いの時も、最終的に事態を収束させる要因となっていたのはシオン達の用いる術だった。
彼らがエルフの術と呼ぶこの力をセイルは渇望した。
「お願いしますよシオンさん。死の恐怖から身を守りたいだけなんですよ」
「駄目だ。まず、君が思ってるような単純な魔法とは質が違うのだ。それにハッキリ言っておくが、今後君には一切を"与えない"つもりだ。それこそがこの世界を救うために重要な点なのだ」
「……は? な、与えないって……。シオンさん、どうやらまだ俺の事をわかってないらしい。いいですか。何かを与えてさえくれれば、俺はそれを直ぐに自分のモノとして扱える存在なんですよ? 今のところ俺には気色の悪い自称監視者だった存在しかありませんが」
「だからこそ、君には何も与えてはいけないのだよ。監視者はこの世界を正常化させるための存在なのだ。にも関わらず、君は存在そのものがこの世界では異常なのだ。その矛盾を知っていながら、ニューは君を選び、君に魂を献上した。とにかく、君はただ我々のいう事に従っていればいい」
セイルが言葉を返そうと口を開くが、それを無視してシオンは部屋を出ていってしまった。
「なんだよそれ……」
セイルはシオンの出ていった扉を殴りつけ、力なくベッドに倒れ込んだ。
シオンがセイルに語った内容に偽りは無かった。
シオンは、ニューが監視者をとり込んだ事で生じた矛盾はいずれこの世界に危険を及ぼすと考えていた。
だが、セイルはシオンの言葉を聞いて全く違う感情と認識を得ていた。
セイルはベッドに横になりながら、少し昔の事を思い出していた。
彼が8歳の頃、同じクラスの友人達が流行りのゲームの話題で盛り上がる中、その話題に入る事も出来ずただそれを遠目に見ているだけだった。
両親にゲームソフトを強請っても買い与えては貰えず、セイルは欲望という感情を殺そうと努めた。
だが同時に疎外感は彼を締め付け続けた。
この二つの感情がセイルの中に渦巻き続け、ある感情に帰結した。
セイルはその時の気持ちを再び心の底に宿らせ始めていた。
それは尋常では無いほどの妬みの感情だった。
扉が開き、ジュディスが恐る恐る入ってくる。
「セイル君? あら、眠ってしまったのかしら?」
セイルはジュディスに対して言葉を返そうとはしない。
だが、その眼はしっかりと見開かれていた。
ジュディスは机に座って、先程まで進めていたのであろう書類の作成に再び取り組もうとした。
「あれ、鉛筆はどこかしら」
先程椅子から落ちた時に、鉛筆をどこかへ投げてしまったのだと思い、ジュディスは椅子から屈み込んで足元をよく見渡す。
更に机の下をよく見ようと地面に伏せる。
ジュディスは突如頭部を激しく地面に打ち付け、意識が朦朧としかけた。
何が起きたのか理解する間も無く、今度はジュディスは何者かに首を強く締め付けられた。
苦しさのあまりジュディスは暴れ出す。
セイルはその手を決して緩めようとはしなかった。
ジュディスに対して純粋な憎しみの感情をぶつけていた。
「お前らが悪いんだ……。俺を除け者にしたお前らが悪いんだ……! もう俺は我慢しないぞ!! 俺はもうなんでも手に入れられる力を得たんだ!!」
セイルが再びジュディスの頭を掴もうと片手を離した隙に、ジュディスはセイルをなんとか押し飛ばした。
ジュディスは朦朧とする意識をなんとか保ちながら、ふらふらと扉に向かう。
だが、今度は首の後ろに明らかに普通では無い感覚が走り、ジュディスはその場に力なく倒れてしまった。
セイルはジュディスの首に鉛筆を突き付けた。
「魂を奪いなさい」
ニューの声はセイルには最早聞こえなかった。
セイルは何度も何度もジュディスに鉛筆を突き刺し続けた。
鉛筆が折れると今度は力なく虚ろな目をしたジュディスの首を再び強く締め付けた。
人を殺した実感がセイルを包むよりも早く、何かが自身の体内、或いは魂に流れ込んでくるのをセイルは感じ取った。
父が戦争に行く日の最期の朝の駅の記憶。
親の目を盗んで、納屋でボーイフレンドと口づけを交わした夜の記憶。
母から家に代々伝わる使命を継承し、エルヴェン・サクセサーの一人になった日の記憶。
明らかに自分の体験では無い記憶の数々が急速に自身の中に形成されていき、セイルは酷く取り乱した。
「な、なんだよこれ!! ニュー、説明しろ!! 出てこいよ!!」
「貴方の中に、その娘の魂の情報が流れ込んだのよぉ。やったじゃない、貴方それでエルフの術とやらを手に入れられたんじゃないのかしら? 貴方はもうそれを知っているはずよ」
ニューの言葉を聞いて、セイルは少し冷静さを取り戻す。
「そ、そうか、魂を……。そうだ、エ、エルフの魔法を……」
セイルは自身の中に新たに加わった知識を探っていく。
だが、ジュディスから得た知識を掘り下げれば掘り下げるほど、セイルは混乱していくのだった。
「……どうなってるんだよ、そんな……。そんな!!」
エルフの術に関して、ジュディスを殺害し、その魂を得た事でセイルは知識を手に入れた。
そして彼らエルヴェン・サクセサーが用いるその力は、個人個人で能力を発揮できるものでは無かった。
ヒューマンがエルフの術を扱うには魔力の差があまりにもありすぎた。
その為、彼らは集団詠唱という方法でなんとかこれを再現しているに過ぎなかった。
エルヴェン・サクセサーの中でもほんの一握りの職員達がこの集団詠唱を行うことが出来た。
それらはヒューマンとしては特異な量の魔力を保有するシオンを中心に各人がパズルのように詠唱の一部を担う事で発揮されていたに過ぎなかった。
つまり、セイルがエルフの術を得るにはジュディス一人分の魂だけでは魔力も知識も足りないのだ。
力を発揮できたとしてもそれはエルフの術の一側面の乱雑な再現に留まってしまう、魔法と呼ぶにはあまりにもお粗末なものである。
「簡単な話よぉ。ここにはその足りないピースが集まってるんでしょ?」
「……まだあと十人以上いるんだぞ、その人たちを全員、全員殺せってのか?」
「……もしかして貴方、躊躇してるの? 既に一人分の魂を奪っておいて、今更? それって、貴方がさっき魂を奪った相手に失礼じゃないかしらぁ」
セイルは、先程自分が手にかけた女性の亡骸を見つめる。
ジュディスは美しい紺色のローブをいつも身に纏っていた。
ローブはジュディスの血で汚れてしまっていた。
セイルはそれをジュディスの身から引きはがすと、自らに纏わせた。
そして、ゆっくりと音をたてないようにして、部屋の扉を開き外へ出た。