図書館における魔法についての話
川石市立図書館。
三階の受付カウンターの奥。
その部屋はひっそりと存在する。
そこは、本に魔法がかけられる場所。
このカウンターには、本を借りる人、そして返却する人が途切れることなく訪れる。
けれど誰一人として、その奥で行われていることを知ってはいない。
私も、そのうちの一人。だった。
✳︎✳︎✳︎
「ねえ、ミユミユ、夏休みのボランティアどうする?」
放課後、教室でカバンの中身を整えていると、クラスで一番賢い女子、佐倉 リン(さくら りん)が、声を掛けてきた。
私は教科書を入れていた手を止めて、リンの方へと顔を向けた。
「うん、何かはやりたいと思ってるんだけど」
「あんたは内申、稼がないとね」
「……まあね」
そんな風にハッキリ言われると、身も蓋もないのだが。
けれど、どれだけ勉強してもそれがなかなかテストの結果に結びつかない私としては、内申点を上げていくしかないのも、また事実。
「いいなあ、リンは。頭良くって。私なんて、テスト勉強、計画通りにいった試しがないよ」
「うーん、ミユミユはのんびりもんだもんね。でも、マイペースでいけばいいんじゃない?」
「そんなこと、言ってらんないよ。頼むから勉強してくれって、ママにも言われたし。でも、やってはいるんだよ、ちゃんと。勉強してないってわけじゃないんだって」
私は止めていた手を動かして、カバンの留め具を掛けた。
リンは、まくし立てる私を見て、気の毒そうな顔をして言った。
「あんた、要領悪いもんね~」
「世の中、一つも思い通りになった試しがないわ。あー、もう『どこでもドア』欲しい。どっか、行っちゃいたい」
「ここで、『どこでもドア』て! テストの点がアップする道具じゃないところが、ミユミユだね」
リンが失笑するのを見て、私は胸がモヤッとするのを感じた。
「……帰るわ。じゃあね」
「バイバイ」
私はすっかり重くなってしまった足を引きずるようにして、学校を出た。
最後のリンとの会話で、何だかどっと疲れが出たような気がして、はあーあとため息をついてみる。
その日は途中で会った友達からの、買い食いの誘いを受け流しながら、家への道をトボトボと帰った。
✳︎✳︎✳︎
「鹿島中学から来ました、樫井 美夕です。よろしくお願いします」
「ハイハイ、よろしくね」
「よろしく~、ここ座って」
勧められた丸椅子に座ると、私は姿勢を正して、制服の上からつけたエプロンの皺を伸ばした。
ぐるりと見回すと、座っているのは年配の人ばかり。
もしかして私は、場違いな感じ?
「じゃあ、今日もよろしくお願いします」
白髪のおばあさんが、ニコッと笑いながら、道具を揃えていく。
エプロンの名札には、新井とある。
どうやらここで一番の古株っぽい。
その新井さんが、私に一番に話しかけてきた。
「ミユちゃんは、何年生なの?」
「……二年生です」
「本が好きなの?」
言葉に詰まってしまった。
実を言うと、あまり本を読んだことがない。
マンガは読むけれど、イラストも無いような字ばかりの本なんて、到底読む気がしない。
「……いえ、あんまり」
正直に答えてみたものの、やはり場違いだ。
なぜなら、ここは図書館。
そして、『本』を修理する場所なのだ。
この図書館は、私が住む街の中心にあって、駅からも近いし場所が良いのもあってか、住民の利用率が高い公共施設の一つだ。
一階にはテラスとカフェ。
二階と三階が図書館。
そして、四階には学習室と会議室があって、とても静かだし勉強もはかどるので、私も学校帰りに寄っては、学習室を利用したりしていた。
この図書館、実はマンガも置いてある。
それも、学習マンガだけでなく、中高生が読むような流行りのマンガもだ。
だから、勉強した後にマンガを数冊借りて帰る、それが私のこの図書館での常だった。
本好きの人から見たらギリギリアウトな、そんな利用状況を見透かされたのか、新井さんが笑って言った。
「ふふ、本を読むのも楽しいわよ」
私は、はあ、としか返事が出来ずに、もう一度エプロンの皺を引っ張って伸ばした。
✳︎✳︎✳︎
数日前、夏休みにやるボランティアを、市役所の市民情報課の掲示板を見ながら探していると、後ろから声を掛けられた。
振り返ると、そこには佐倉 リンのお母さんが立っていた。
「ミユちゃん、久し振りだねえ。何だか大人っぽくなったし、背も伸びて。もうおばちゃん、追い越されそうね」
リンとは家が近所ということもあり、小さい頃にはよくお互いの家を行き来していたので、母親同士も友達という付き合いだ。
リンの家は、母親が働いていて、図書館に勤めている。
「こんにちは」
お母さん、元気? などと、世間話をしていたら、夏休みのボランティアについての話になって、私は耳を疑った。
「おばちゃん、図書館に勤めてるんだけど、本の修理のボランティアを募集しているから、ミユちゃんどう? うちのリンにも勧めたんだけど、お母さんと一緒は嫌だって言われちゃってねえ」
「え、リンもボランティアやるんですか?」
リンの成績は学年での順位も上だし、ボランティアをやって内申点を上げる必要は無いはずだけど。
どこまで上を狙うんだ、そう思って少し辟易。
黒い液体のようなものがブクブクと湧いてきて、胸の辺りをシミだらけにしていく。
「そうなのよ。で、図書館は嫌だって言って、今近くの介護施設に行ってるの」
「介護施設?」
「そ。そこでお昼ご飯のお手伝いしたり、話し相手になったり。たまにピアノも弾くって言ってたわ。あの子、小さい頃から習ってたでしょ。昔の童謡とか弾くと、お年寄りが喜ぶんだって」
そうなんだ、っていうより、あっそう。
「ミユちゃん、どう? 図書館にボランティア、来てくれない?」
私はもう、その頃には何もかもがどうでもよくなっていて、「わかりました」とだけ返事をした。
そう言ってから、ぞんざいな返事だったと思い、「よろしくお願いします」と付け加えた。
ボランティアなんて、一、二回やればいいや。
そんな気持ちで、市役所を出た。
✳︎✳︎✳︎
「ボランティアやると、内申点が上がるんだってねえ」
俯いていた私が顔を上げると、真正面に座っている五十代くらいのおばさんが、ニコッと笑顔を寄越してきた。
名札には、藤掛とある。
そんなこと、みんな知ってるんだ。
私は居たたまれなくなって、頷くと同時にまた、俯いた。
「うちの娘も同じだったよ。大変だよねえ、今の中学生は。勉強勉強、また勉強なのに、お行儀も良くしなきゃいけないなんて、本当に窮屈」
はあ、曖昧な返事をしたけれど、多少は理解してくれている、その言葉に少しだけ救われた。
「ふふ、ほんと大変ねえ。ここでやっている本の修理だけど、そんな難しいことないから、気楽にやってちょうだいね。来られる時だけ、来てくれればいいし、お休みの連絡も要らないから」
夏休みの間だけなので、一週間に一度しかないこのボランティアは、数えても六、七回しか機会はない。
一、二回来ればいいと思っていたけれど、リンのおばさんの顔を立てて、やはり三回は来よう、そんな風に頭で計算していたから、その時は「終わってみたら皆勤賞」になるとは、思ってもいなかった。
✳︎✳︎✳︎
「それ、ページが一枚取れてるでしょ」
新井さんが隣から、覗き込んでくる。
「はい」
返事をして手元にある本を見る。
題名は、『狐面恋愛草紙』。
キツネのお面をかぶった男の子と、女の子の絵が描かれている。
「その取れたページを見て。継ぎ目の部分が大きく割れていない場合はね、取れたページに薄く糊をつけて、差し込むだけ。ただ、」
新井さんが息をついたので、私は新井さんの方に視線をずらした。
「本の修理って、ボランティアだから、ヒマなおじさんおばさんがやってくれてるんだけどね。みんな気をつけてはいるんだけど、うっかりして違うページの場所につけちゃったりするのよ。あはは」
「え、それじゃあ本の内容がバラバラになっちゃいませんか?」
「そうそう、酷いと逆さまにつけちゃったり。ほんと、作家さんに失礼でしょ」
責任重大、そう思うと冷や汗が出る思いがした。
「だ、大丈夫なんですか?」
「ミユちゃんはまだ若いから、大丈夫大丈夫。でもページの確認は、お願いしますね」
私は、ゴクリと唾を飲み込むと、何度もページの確認を繰り返した。
51、52、53……オッケー。
試しに取れたページを挟み込んで本を閉じると、少しだけそのページだけが飛び出すようだ。
指ですっとなぞると、オウトツがあって少し気になった。
「そうそう、そういう風にどうしても飛び出しちゃうから、最初にね、取れたページの差し込む部分に薄くヤスリをかけるの。そうすると、少しだけへずれるから。あ、へずれるって分からない? 削れるっていう意味ね」
新井さんのお手本を見てから、サンドペーパーで作ったヤスリを薄くかけると、さっきのように挟み込んでみてもピッタリと収まって何だか気持ちがいい。
再度取り出してから専用の糊をつけて挟み込み、本専用の締め機でグッと圧をかけて糊を乾かしたら、終了。
「はい、これあなたが直した本よ」
ボランティアの時間が終わる頃、手渡された本。
直す時には、ミスしないようにと必死だったので気がつかなかったけれど、キツネのお面をした男の子と女の子の周りには、色とりどりの花が散らしてある、可愛いイラストだった。
「綺麗な本」
思わず呟いてしまうくらいの、美しい表紙。
「装丁と言うのよ。装丁の美しさ、本の手触りなども楽しんで修理してね」
『恋愛草紙』というからには、恋の話だろう。
頬をほんのり朱く染める女の子。
キツネの面の下はイケメンなのだろうか。
それとも顔にワケありの傷があったりして隠している、とか。
イチ女子としては、主人公はイケメンであって欲しい。
……なんて、想像が膨らんで、内容が気になった。
けれど、それより何より、取れたページがピタリと本に収まっていて、それが本当に本当に、気持ちが良かった。
✳︎✳︎✳︎
ボランティアを始めて三度目の日、このまま続けてもいいかも、なんて思い始めていたこの日、私はいつものようにカウンターに挨拶をしてから、その横をすり抜けて奥の部屋へ入ろうとした。
その時、後ろの方で少し低い男の声を聞いた。
「すみません、これなんですけど……」
振り返ってみると、同じ学校の先輩。
左右田先輩は三年生で学年は私よりも一つ上だけれど、二週間に一度ある美化委員の委員会で顔を合わせている。
苗字が変わっていることと、キリッとした太い眉毛が印象深かったことで、初めての顔合わせの時、直ぐにも顔と名前を覚えた人だ。
奥の部屋へと続く入り口の場所で様子を窺っていると、左右田先輩は持っていた絵本を開けた。
「妹がこんな風に壊してしまって。俺も母さんも気をつけてはいたんですけど。すみません」
遠目から見ても分かるような壊れ方。
本体と表紙が完全に取れてしまっていて、所々に破れも見える。
「あらあら、まあ」
カウンターで対応している女性に、リンのおばさんも近づいていく。
「すごいことになったねえ」
左右田先輩は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当にすみません、弁償しますので。母からお金を預かってきています」
カバンの中に手を突っ込んでガサゴソと探り、中から一枚の封筒を取り出す。
「弁償うんぬんは修理してみてからにしましょうね。大丈夫よ、うちには本の修理のエキスパートがいるから。どんな本でも、チョチョイと魔法を使って直しちゃうの」
「魔法使いだなんて、それはちょっと大袈裟ねえ」
私の背後から声がして、私はビシッと起立するようにその場で固まった。
部屋から出てきた新井さんが、カウンターへと向かう。
リンのおばさんから渡された、バラバラになった絵本をひっくり返しながらチェックする。
「そうねえ、これなら直るわよ」
新井さんの声に、カウンターは緊張の糸でも切れたかのように、途端に和んだ。
私も胸を撫で下ろし、ほっと息をついた。
「ほらあ、良かったあ。さすが、新井さんねえ」
リンのおばさんが褒めると、手を振って、そんなこと、と謙遜する。
「じゃあ、預かりますね」
そう言って絵本を小脇に抱えて戻ってくる新井さんを迎えようと、私はそちらへと顔を向けた。
すると、左右田先輩がこっちを見ていて、ばちりと眼が合った。
驚いたような、不思議そうな、そんな顔をしている。
私はさっと頭を下げて挨拶すると、中へと入っていった新井さんの後を追いかけた。
「直らなかったら、弁償しますので、ご連絡ください」と、背後で先輩の低い声。
大丈夫、新井さんがきっと直してくれる、私はそう心で呟くと、足取りも軽く、奥の部屋へと入っていった。
✳︎✳︎✳︎
「え、え、え、」
そんな左右田先輩が持ってきた絵本を預かってからの、その日のボランティアの時間。
私は奇声を上げて、パニくっていた。
「いえいえいえいえ、できませんよ!」
「大丈夫、ちゃんと教えてあげるから」
新井さんがいつものニコニコ顏で、道具を揃えている。
「でで、できません。こんなに壊れてるのに、絶対に無理ですよ」
私が両手を押し広げて、全身で拒否しても、新井さんは飄々として、ヘッチャラヘッチャラ、という面持ちだ。
困った顔をしながらも、私は目の前に差し出された絵本を改めて見た。
完全に表紙と本体は外れてしまい、本体の側面が剥き出しになっている。
よく見ると、糸が数本出ていたので、私はそれを指で摘んで引っ張った。
スルスルと抜けていく糸。
ここで初めて、絵本が糸で綴じてあることを知った。
「糸で縫ってまとめてあるのよ。絵本って、子どもが読むでしょう。だから、丈夫な造りにしないと、すぐダメになっちゃうのよ。これ、糸も切れてるわねえ」
「確かに、すごい壊れようですね」
「でしょ。でも、こんなの序の口。ミユちゃん、ぜひ、やってみて」
「そうそう、何ごとも経験だからね!」
藤掛さんの明るい声が入ってくる。
「藤掛さんは絵本の修理って、やったことあるんですか?」
私が訊くと、てへぺろをしながら言う。
「何回か、縫ったことはあるんだけど、教えて貰ってもすぐ忘れちゃって。歳取るって、本当にイヤだわあ」
「何言ってるの、藤掛さんが歳歳言うもんだから、私なんて自分が何歳だったか、考えちゃったじゃない」
あははは、なんて会話を小耳にしながら、私は左右田先輩の妹がどんな絵本を読むのか気になって、恐る恐る破れたページを開けていった。
それは、畑にできた大きなカブを、家族みんなで協力して抜くという有名な昔話。
絵は古くさいけれど、自分も好きだった覚えがある。
『うんとこしょどっこいしょ、うんとこしょどっこいしょ。それでも大きなカブは、まだぬけません』
(左右田先輩も、うんとこしょどっこいしょって、お話ししてあげてるのかなあ)
少しだけ、クスッと笑ってから、新井さんに言われるまま、縫い針に糸を通していった。
✳︎✳︎✳︎
夏休み恒例の校舎一斉清掃とその後の美化委員会が終わって、教室へと戻ろうとしたところで、左右田先輩に声を掛けられた。
「なあ、樫井って、この前何で図書館にいたんだ?」
私はそれが突然だったこともあって、驚いてすっかり緊張してしまった。
学年が違うから、今までにあまり話したこともなく、話したとしてもほぼ美化委員の仕事についての業務連絡みたいな感じだったので、私は途端に貝のように固まった。
「あ、えっと、ぼ、ボランティアで。本を修理してて」
「そうなんだ。この前は変なとこ見られちゃったな」
頭に手をやって、くしゃっとかき混ぜる。
左右田先輩は野球部でキャッチャーをしているからか、頭を掻く手も、お弁当を二個平らげる身体も、とても大きくて威圧感があるので、私は少しだけ苦手に思っていた。
こんなにガタイの大きな先輩なら、大きなカブも一人で抜けそう、そう思ったけれど、先輩を前にして笑うことはできない。
「あれ、直りそう?」
不安そうな顔で、私を見る。
目が合って、顔が火照って熱くなってくるような、そんな感覚に陥る。
「た、たぶん大丈夫です」
「そうなんだ。あのおばあさんに任せておけば良さそうだったけど」
それを聞いて、少し焦って、あ、あの、と続ける。
「それ、私が直してます……」
「え、そうなの?」
お前なんかが直せるの? ぐらい言われるかと思ったけれど、左右田先輩は笑って言った。
「悪いな、お前にも迷惑かけて」
胸がどきりと鳴った。
「妹が、あ、まだ3歳なんだけどな、表紙んとこ思いっきり引っ張っちまって。図書館の本はみんなの本だから大切にしろって、言いきかせてたんだけどなあ。やんちゃだから、手焼いてるよ」
私が笑ったら、左右田先輩も笑った。
「新井さんが、小さな子どもがすることだから仕方がないって言ってました。もちろん、故意に破ったり、落書きしたりっていうのはいけないけど、壊れてもどんどん直すから、気にしないでたくさん本を読んで欲しいって」
本の修理をしていて驚いたことがある。
それは落書きや切り取りが、ことのほか多いことだ。
ボールペンで書かれたら、もう二度と消せないし、切り取りは同じ本を探してきて、その部分だけをコピーして貼り付けるのだが、この図書館では同じ本を揃えていないものもあって、そうなるともう修復が不可能となる。
「そっか、そう言われると気が楽だよ。妹、本好きなんだ。樫井は? 本が好きだから、そういうボランティアしてるの?」
「いえ、私はあんまり、本読まなくて」
「そうなんだ、俺も。字だけっての、苦手。すぐ眠たくなるんだよ。はは、すげえ頭わりいな、俺」
苦笑しながら、はにかんだ。
放課後遅くまで、野球部の練習があることを知っている。
左右田先輩は、練習でクタクタになって家に帰ってからも、妹に本を読んであげているんだ。
大柄で威圧感があって苦手だった左右田先輩が、少しだけ近く感じられるようになった。
「がんばって、直します」
私がそう言うと、ありがとうと満面の笑みで、私の頭に手を置いた。
✳︎✳︎✳︎
少しでも思い出すと、ぶはんっと今にも爆発しそうな頭を抱えて、私は絵本の本体を、丁寧に針と糸で縫っていった。
左右田先輩の手が、まだ頭の上に乗っかってるような気がして、うわああああ、と叫んで狂いたい衝動に駆られる。
「ミユちゃん、今日は顔が赤いねえ。具合悪い?」
口々に訊かれて冷静になり、大丈夫です、と何度も答えた。
絵本の本体を縫い終わると、私はペットボトルのお茶を飲んでから、ようやく落ち着いて伸びをした。
両手をあげてから、ふうと脱力する。
「お疲れさまね。次は、本体の背に寒冷紗をつけてね」
「あ、はい」
和紙、寒冷紗、花布、栞、和紙テープ、ページヘルパー……。
たくさんの専門の材料を使って、大体の破れやページ外れは、サクサクと直していってしまう。
図書館で本を借りる時、その本に破れがあったりすると、親切心から家にあるセロハンテープを貼ってしまう利用者がいる。
実は市販のセロハンテープと本の相性は最悪で、経年劣化でその周りを茶色く変色させるし、ボロボロのベタベタになるどころか、本体自体の背割れを引き起こす場合もあって、そんな時は貼ってくれた利用者には申し訳ないけれど、セロハンテープをゆっくりと根気よく剥がしていき、再度専用の糊でくっつける作業をする。
ボランティアのみんなの黙々と作業する姿と片っ端から直っていく本の山を見て、私は本当に魔法みたいだ、と思った。
図書館はその利用者の多さから、修理依頼の本が毎週、何十冊も出てくる。
イタチごっこというと聞こえは悪いが、まさにその通りなのである。
私は立ち上がり、喉に流し込んで空になったペットボトルをカバンに放り込んで、席に戻った。
「あと少しで完成だね。本体と表紙を合体させたら、できあがりだよ」
絵本を縫うのにかなりの時間がかかって、ボランティアはあと二回で終わりという時期まで迫ってしまっていた。
そう、夏休みももう二週間ちょっとしかない。
「一冊の絵本に、こんなに時間をかけちゃって。本当にすみません。私、何やってもトロくて」
要領の悪さは自分のコンプレックスだ。
私が謝ると、新井さんはいつもの口調で言った。
「ミユちゃんは確かにゆっくりだけど、丁寧にやってくれるから、私は安心して任せられるのよ」
「そ、そうですか」
思いもよらずの褒め言葉に、私は少しの気恥ずかしさを覚えた。
「今の子は本当に頑張り屋さんだね。感心しちゃうわ。佐倉さんのとこのリンちゃんも、ボランティア頑張ってるみたいね」
急にリンの話が出て、一瞬怯む。
けれど、前のような捻くれた印象は、もう持たなかった。
自分もボランティアを続けてみて、分かったことがある。
大変だったけど、本が直ってお礼を言われれば嬉しいし、一つのことを一生懸命やり遂げることで得る、達成感や充実感は半端ない。
誰かの役に立っている、そう思うと心も踊り出しそうになるんだ。
きっと、リンもそう感じている。
私が感慨にひたっていると、新井さんが言葉を重ねていった。
「こうやってバラバラにすると、本がどうやって作られているかが分かるでしょう。多くの人は本の装丁や内容に目がいきがちだけれど、一冊の本をこうやって一から作るのは、とっても大変なことなの。ミユちゃん、この絵本を待っている子どもたちのためにも、頑張って完成させようね」
力強い言葉に、私もパワーが湧いてきそうだ。
「はい」
私は、真っ直ぐに真っ直ぐに、返事をした。
✳︎✳︎✳︎
「今日で終わりになります。今まで、お世話になりました」
パチパチと拍手を貰うと、何だか気恥ずかしくなって、穴があったら入りたい気分になる。
私はぴょこっと頭を下げてから、手に持っていた絵本を再度、見た。
最後にぎゅっと締め機にかけられ、糊も乾いてしゃんっとなった、大きなカブの絵本。
息を吹き返したこの本は、またこの図書館の児童コーナーでたくさんの子供たちに読んで貰えるのだ。
「ミユちゃん、あの男の子とお知り合いでしょ。絵本、直りましたよって伝えてね」
私は、え、と顔を上げてから訊いた。
「な、何で、知り合いって……」
新井さんは、ニッコリ笑って、言った。
「だって、あなたたち、目と目で会話していたでしょ」
私は焦って、
「あ、あれは、ただ挨拶しただけで……同じ委員会の先輩なんです。あんまり話したこともないし……」
私がしどろもどろになっているのを見て、新井さんが首を傾げた。
「あら、そうなの? その絵本を見て、何度も顔を赤くしているから、てっきり彼氏だと思ってたわ」
「え、え、え、え‼︎ 違います、違います」
「あはは、新井さんったらあ。若者をからかっちゃダメですよ」
藤掛さんの言葉で、みんながどっと笑った。
私もつられて笑ってから、手に持っていた絵本を近くにいたリンのおばさんに手渡した。
「ありがとうねえ。この絵本、子どもたちが大好きでね」
私はその言葉に感極まって、涙が出そうになった。
絵本の手触りは滑らかで、そしてとても手にしっくりとくる。
それはきっと長い間ずっと、この本に触れてきたからだ。
それが私の手から離れ、本を愛するたくさんの人たちの手から、次には子どもたちの手へと渡る。
「この絵本、本当に綺麗に直ったわ。あなたの良いところが、ぎゅっと詰まった本になったわね」
新井さんから貰った言葉。
私はそうして、色々なものを貰って、夏休みのボランティアを終えた。
夏休みが明けて、学校の委員会の帰り、私は勇気を出して左右田先輩に話しかけた。
絵本が直ったと聞いて、あんなボロボロだったのに直ったなんて凄いなあ、魔法みたいだと笑って、私の頭に手を置いた。
私はまた、ばふんとなりながら、それでも声を張り上げた。
今度、図書館で借りて持ってきますと言うと、そんな私の声の大きさに驚きながらも先輩は、母や妹にも見せてあげたいから、うちにおいでと誘ってくれた。




