第四話 東日本大震災で被災した記憶喪失の青年“あや・ゆうと”
「ん?あれっ?芽久美?・・・」
優斗はあるはずの芽久美の頭の重さが無いことに気付き、目を覚ます。
暗闇の中で壁の掛け時計に目をやる。
午前4時を少し回った処だ。
短く刈り込んだ頭を少し掻き、
「今日は築地行って、八角仕入れなきゃな」
何でも、店のオーナーである東村将大の懇意にしている関内のラウンジ“銀猫”の美幸ママのたっての希望で、八角の塩焼きを作るらしい。
優斗の勤める割烹“あ津眞”は、契約している農家や漁師から野菜や魚を直接仕入れているので、卸売り市場に買い付けに行く事は殆ど無いのだ。
《なんぼ、美幸ママに惚れてる言うても、小樽から取り寄せるって、よっぽど惚れてんのかな?大将?》
ふと、芽久美が寝ていたであろう場所を触り、
《昨日、ヤってもーてんな。エエんかな?本当に・・・》
昨夜は、芽久美が12時過ぎに部屋にやって来て、お互い貪むさぼる様に互いの身体を求めあってしまった。
関係を持った事に後悔がないと言えば嘘になるが、それは芽久美に対してではなく、優斗自身自分が何者か解らなさからくる申し訳なさからである。
彼は記憶が無いのだ。
覚えているのは地震の記憶、そして、気づけばアメリカ第7艦隊所属の原子力空母“ロナルド・レーガン”でクルーに助けられ、息を吹き替えしたデッキの記憶からなのである。
助けられた時に発した“ゆうと”が彼の覚えている名前なのだ。
後、二・三日は医務室で点滴を受け寝かされていたが、その時、ゆうとが時折寝言で発した“あや”と言う言葉は、船医により名字ではないかと推測された。
助けられた際に、彼のジーンズのポケットから小さなダイヤが埋め込まれたプラチナの指輪だ見つかり、そこに“eternal love aya”と刻まれていたのも名字だと判断された理由ではあるのだが・・・。
そして彼は東日本大震災で被災した記憶喪失の青年、“あや・ゆうと”と判断ったのである。
勿論、米軍を通じ日本国へ“あや・ゆうと”の照会が行われはしたが、日本国の返答は該当者無しであった。
又、中国や北朝鮮の不法入国者とも疑われたが、その疑念は直ぐに打ち消された。
全く彼が北京語やハングルが理解出来なかったからだ。
記憶喪失とはいえ、急に他国語で話掛けられても、意味が理解わからなれば答え様がない。
事実、彼は北京語やハングルで問いかけられても、薄ら笑いを浮かべ困り顔をするしかなかった。
よって、船医の最終判断により、第三国のスパイではなく記憶喪失の日本人“あや・ゆうと”と認められはしたが、万が一の事を考え監視下に置けるとの理由で空母内の厨房預かりなったのだ。
船医が驚いたのは、ゆうとは記憶には無いが鮮魚がさばけた。
身体が覚えているというやつである。
空母の食堂での料理は勿論洋食がメインではあるが、彼が厨房に入る事により、刺身が提供される事になり日本食を好むクルーに喜ばれた。
そして、空母“ロナルド・レーガン”は横須賀に帰港し、暫くゆうとは横須賀ベースの厨房で働いてはいたが、彼の事を見かねた船医“ジョン・リチャーズ”と、ジョンより相談を受けた“ロナルド・レーガン”艦長“スティーブ・ウィリアム”の好意により、横須賀ベース生まれの米国籍の日本人孤児“ユウト・アヤ”とされ、更にスティーブが懇意にしている横浜の割烹“あ津眞”に住み込みで引き取られる事となったのである。
今から半年も前の事だ。
故に彼は“ユウト・アヤ”名義の外国人登録証を持っている。
胸にはいつも助けられた際に持っていた指輪をペンダント・トップにして、細い銀の鎖によってネックレスに加工され身に着けていた。
優斗は胸の指輪を握りしめ、
《今はこれだけが俺の証明なんやな・・・》
むっくりと立ち上がると、
《さっさと朝飯食って、築地行かんとな》
パジャマ姿のまま、台所を目指した。