特別話:1 雛もも、美月、そして一組の若いカップル
三月十一日。
目の前には数々の命を奪っていった海が広がっている。
《六年前だったんだよね、震災って・・・》
風が少女の長い髪を玩ぶ。
ギターケースを担ぎ直すと、何処かの海を見ながら演奏出来る場所が無いかと探す。
旅の同行者に尋ねた。
「ねぇ、美月サン。アタシ、この辺りでギター弾きたい。あそことかダメかな?」
少し離れた小高い丘を指差す。
美月と呼ばれた旅の同行者は丘を見詰め、んーと考えると、
「多分、大丈夫じゃない?雛ももちゃん。念のため市の観光課には連絡入れておくわ」
そう答える。
口調はあくまでも優しい。
“雛もも”こと雛多ももせはシンガーソングライターで、ツアーをするときは決まってその土地をライブ前に訪問するのが、常となっていた。
その方がその土地土地に、愛着や親近感が湧くかららしい。
海を見ながら目を閉じる。
悲しみ、苦しみ、そして絶望の声が聞こえる・・・。
ボソリと無意識に囁いた。
「全部、アタシが癒してあげるから」
1時間後、雛ももは石巻港を見下ろせる公園近くのベンチに座り、缶のカフェ・オ・レを飲みながら、美月からの返事を待っていた。
《やっぱり、此処で演りたいな。ダメなのかな・・・?》
刹那、公園近くのファミリーマートで買い物をしてきた美月が声を掛け、
「雛ももちゃん。観光課から許可(OK)出たわよ。でもね、市の公報紙に載せたいから、午後3時からにして欲しい。って」
雛ももはニッコリ微笑み、ホッとした面持ちで、
「良かったぁ。ダメだったらどうしようかと・・・」
「ダメな訳なんて無いじゃない。雛ももは雛ももの好きにさせろって、ボスから言われてるから。そうさせるのがマネージャー努めよね」
「まぁ、マイケル社長がそんな事を?」
「うん。それだけ期待されてるのよ、雛ももちゃんは。それから・・・」
「ん?それから、何?美月さん」
「次の仙台公演から、映画のカメラ入るから。前に“迷いの森”のPV撮ってもらったハンスさん覚えてる?」
「あー。ハンソデ=ハンズボンさんね」
美月はクスッと笑い、
「雛ももちゃん。半袖半ズボンじゃないわよ。正確にはハンス・
D=ハンズボーンさんよ」
雛ももは少し拗ね、
「面倒くさいから、もう、ハンズボンさんでいい」
雛ももと美月がそんな話をしてる最中、一台のヴェルファイアが公園の駐車場に入って来る。
乗っているのは、若いカップルだ。
「ホンマ、芽久美。お前、海の見える公園好っきゃなぁ」
「だって、朝から新しい仕入れ先の確保で、優斗に甘える暇無かったんだもん。あっ、そこのコンビニでお弁当買ってくるから、公園で食べよ」
芽久美と呼ばれた若い女性は、助手席のドアを開けると優斗にプレゼントしてもらったCOACHのセカンドバッグを肩に掛け行ってしまった。
優斗は軽くため息を漏らし、
《何となくやけど、知ってる気がすんねんな。この宮城って土地。やっぱり住んでたんかな?とりあえず、見晴らしの良いベンチ探そ》
運転席のドアを開けると、
《ヴェルファイア借りたけど、思ったより運転しやすいな。全然疲れへんし。でも、車買うとなったら、芽久美の意見も聞いたらんと、アイツ拗ねるやろな》
数時間後に自身の運命が変わる事になる優斗は、呑気に公園の入り口を目指し歩き始めた。