19.訪れた世界に貴方は
世界が変わった。
吹く風も、土の匂いも。乾ききっていた全てに、求めるモノが注がれる。
花壇で黄色い花が咲いた。去年より大きくて、瑞々しくて。発芽率なんて関係ないとばかりに、本当にたくさん咲いた。
嬉しい。家族の思い出が溢れ出るように、花畑は命でいっぱいだった。
目覚めると、いつもの朝が待っている。
「ねえ、学園遅れるよ!?」
「だいじょーぶだいじょーぶ……むにゃむにゃ」
「何が大丈夫なのさ!! いっつも髪がへんてこりんじゃないか!」
長い髪の癖に半乾かしじゃあ、寝癖になるのも当たり前。
わかっちゃいるけど睡魔には敵わない。
引き続き抗議の声が聞こえたが、あたしはのらりくらりとかわして惰眠をむさぼる。
「もー!! 僕がいない間、どうやって生活していたのさ!!」
どうやって生活していたって?
普通にだよ。ふつう。
朝起きて、洗濯して、ご飯食べて……。
行動には全く変わりがない。本当に、なんの変哲もない朝の一コマ。
それでもあたしはとても幸せだった。
「姉さん!!」
いいかげんにしてとばかりの声色で、ようやく薄目を開ける。
お父さんにそっくりな濃い茶色の瞳を細め、腕組みで仁王立ち。
見下ろすその表情は怒り模様。そんな時にいつもお目見えする、プニプニほっぺはなりを潜めていて。なんだか少し凛々しくなったなあと、あたしは思いふける。
まあ、いずれにしろ。
「――はいはいリアム。もう起きるから」
持つべきものは、しっかり者の弟である。
起き上がったその手でリアムの頭をわしゃわしゃ撫でた。
少し、照れた顔。すぐにキリっとした表情に変えて、軽く手を払う。
「ご飯出来てるから! さっと食べて行くよ!?」
「作ってくれてありがとう。じゃ、味わって食べて……」
「そうやって、また走って行くつもりだね?」
疑わしいと、目を細めるリアム。
くるくると変わる表情を見ているだけで嬉しかった。
あたしはニッコリ笑って、経験と自信を持ってうなずく。
「走ればまだ十分間にあう」
「遅刻常習犯の思考だね、それ」
深い溜息をつかれてしまった。姉に向かって失礼な。
あたしだってこの悪しき癖が治せるなら治したい。近い未来、できれば。
それでも今は、このやりとりを楽しませて。
「ごはんを食べらた一緒に行こう?」
「……三分で食べてくれたら」
「えー。せめて十五分?」
「僕まで遅刻だよ!!」
僕は走りたくないという弟をくすくす笑いながら、身支度を済ませる。
許す限りを待ってくれているリアム。その優しさが嬉しくて。ほんの少し、泣きそうになる。
「……僕が寝ている間に、甘え癖がついちゃったのかな」
誰にだなんて、リアムは聞かない。
――本当に、良くできた弟なのだ。
◇◆◇
「ほんと、もう疲れたー!!」
きつい。本当にキツイ。
しなびた葉っぱのような体を引きずって、とぼとぼ歩く。
学園からの帰り道。げっそりとしたあたしは長く息をはいた。
「あれほど明日の準備は前日に、っていったのに。これだもの」
呆れたと、マリカが言う。
いつもの事……といえど、これはちょっぴり情けない。「えへへ」と苦笑いを浮かべる。
お昼休憩に自宅と学園を往復したあたし。
用事は忘れ物の回収。自己防衛プログラムの着替え。
取り巻く環境が変わっても、学園のカリキュラムは変わらなかったのだ。
「言い訳は沢山あるけど、省略!」
「一個だけなら聞いたげるけど?」
「分かっていても出来ない。これ如何に?」
「まあ、お昼休憩がいらないなら好きにしたら?」
「いります。今日は準備します」
「明日もね」
「精鋭努力します」
マリカが仕方ない子ねと、ゆるく口の端をあげる。
夕暮れの、オレンジ色が眩しかった。
――隣国への道がなくなっておそよ一年。
また暑い夏がやって来て、秋へと向かってゆく。
瞼を閉じれば、いつでも凛とした立ち姿が浮かんだ。
意志の強そうな琥珀色の瞳。ふわふわの焦げ茶色の髪。
白銀のマントを引きずるようにつけた彼は、とっても大人びていて。そんな老成した態度では、可愛らしい見た目が台無しだと思っていた。
彼の「自分は大人だ」という事を、どうやっても信じられず。
それでも一緒に過ごした日々は宝物のよう。思い出すだけで幸せになれる。
迫る偽りの義務。望みを口にしても考慮される事無く。嫌気がさして日々を無駄に消費していたあたし。諭す言葉ではなく、自分の考えを口にした彼。
彼はあたしの心も守ってくれていた。魔法が使えても、使えなくても、ただ一人のあたしの騎士。
世界は心のあり方ひとつでとても温かい。
あたしは今幸せだ。本当に。
リアムが居て、マリカが居て。
マティアスもアレンさんもジェシカさんも、そしてロデリックさんも居て。
アコットにはマナが溢れて、枯渇によって眠っていたみなも目覚め始めている。笑顔が増えた。
それを見届ける事ができるあたしは、幸せ者だった。
歩く二人の影が細く前に伸び、あたしはその影をもっと伸ばそうと両手を上げて背伸びをした。
もっともっと遠くまで伸びたら、ファーブルまで届くかな。
見えない隣国へ想いを馳せ、空を見上げる。方向は分からない。
――元気、かな?
どこまでも続くオレンジ色。空の境目は見当たらない。
前を見ても、後ろを見ても。ましてや地面を穴があくほど見ても、ここはアコットだった。
「………」
少し、胸が苦しくなって。あたしは頭をふった。
ファーブルが隣国だと知っている。
見えなくても、確かにあると知っている。
――大丈夫。
強がりじゃないよ? 大丈夫。
たとえ、そばに彼がいなくても。彼との約束が必ず果たされると、あたしは知っているから。
「……もう一年も待ったんだから、いいよね?」
あたしも彼も決してあきらめない。必ず会うと約束したのだから。
大きく息を吸って、前を見る。
丁度マリカとの分かれ道。彼女はあたしの瞳を見て優しく笑う。
「出かける時は必ず知らせるのよ?」
何でもお見通しのマリカ。
あたしは大きく頷いて、彼女に手を振って走った。
◇◆◇◆
花を一つだけ摘んだ。
マーガレットのように長い花弁。色はうす紫色。
お母さんに名前を教えてもらった、秋に咲く花シオン。
耳をすませば、あの日の声が聞こえる。
『そう。これは遠くにある人を思うって意味があるの』
お母さんはきっとファーブルにいるレイ達の事を思ってこの花を植えたのだろう。
離れていても、会えなくても。心の中にはちゃんと居ますよと。
同じ想いを抱えたあたしはきちんとその想いを受け取る。
お母さんはもういないけど、ここには確かな気持ちがあるから。
あたしはこの花を連れてゆく。
『――想いを保て。愛しの花よ』
小さな水の玉が現れる。
切り取った茎の部分を差せば、花がトクンと脈打った。
あたしはシオンを耳の横へと差し、リュックを持った。
ハンカチ、ティッシュ、タオルが二枚。
着替えは減らしたよ、ジェシカさん。チップポテトのコンソメ味は小さいのにしたから許して、アレンさん。リアム、良い子で待っててね。マリカ、リアムをよろしくね。マティアス、マリカをよろしくね。ロデリックさん、みんなをよろしくお願いします。
家に背を向けて歩き始める。
一歩、また一歩。貴方に近づいて行く。
止まらないよ。絶対にね。
繰り返し、繰り返し。心の中で約束を握る。あの日の彼の声、言葉、表情もすべてこの中にある。
諦めない。見失わない。必ず、きっと。
辛くても、泣きたくなっても。あたしには確かな想いと約束があるから。しっかりと地面を踏みしめて、前へと進めるよ。
「迎えに行くね、リオ」
たとえそれが果てない道のりだとしても。あたしは決して止まらない。
――もう一度、貴方に会うまでは。
『――袖を振れ、鮮やかに舞え』
聞こえた声にハッとして。すぐに左右を確認した。
『――そなたの舞いで、愛しい者を引き寄せろ』
何かに背中を押される。
わっととと、と足がたたらを踏んで。引き寄せられるように前へと進む。
「え、え?? 何? 何なの?」
背中を押す、柔らかな感触。だけど強い力。
風が頬をなでた。優しく、髪を梳くように、小麦色の髪をさらってゆく。
あたしはシオンの花に手を添えて辺りを見まわし――そして。
ボスっと、何かに当たった。
息を呑んだ。
微かに感じる温もり。力強くて、しなやかな感触。
辺りに漂うマナは琥珀色。
まさか。
でも、本当に?
微かに過る期待と、自分を守るための予防線。
心臓が急くように鳴って。あたしはそのまま顔を上げる。
「――待たせたな」
ゆっくりと首を振った。横じゃなくて、縦。
待った。本当に待った。もう待てないから、迎えに行こうと思っていた。
視界がぼやけて、ゆらゆらと揺れ始める。
その名を呼びたくて、声が出なくて。空気を吸い込むも、ぱくぱくと、餌をねだる鯉みたいになってしまう。
「言い訳だが。事後処理が山のようにあってな。ウェイン様を残して来られなかった。いや、我が王は早く行けと言って下さったのだが……」
続く言葉に首を振り。
話は後で聞くからと、心の中で返して。
あたしは彼を抱きしめた。
もう離れないと、大きな背中に手を回して。ギュっと力を込める。
珍しい、彼の長い言い訳が止まる。
「……元気そう、だな」
「……うん」
「少し、髪が伸びたのか?」
「そう、かも」
「――ティア」
「……うん」
返事をして顔を上げる。
喜びを湛えた優しい瞳。怒りんぼの彼には珍しい、幸せそうな微笑み。
自分に向けられる想いに胸がいっぱいになる。
「――ただいま」
頬に添えられた手に自分の手を重ねる。
温かくて大きな手。優しくあたしの眼元を拭って、彼は笑みを深める。
「おかえりなさい、リオ」
ふわりと白銀のマントが舞って。あの日の続きが始まる。
一面が花畑へと変わり、二人を祝福するように花を揺らした。
【MP0(ゼロ)のボディーガード おしまい】
本編完結です!!
最後までお読みいただきまして本当にありがとうございました!!




