16.まやかしの一本道
『深き森よ、我は彼の者に枷を願う』
『銀の鳥、我は自由を願う』
二人がほぼ同時にマナを紡ぐ。
一瞬、緑の蔦が早く成長するも、ズリエルさんは軽やかに跳躍し、それを避ける。
裾の長い衣がはためき、宙を舞った。
「この期に及んで、捕まえるだけのつもりか?」
目標を見失った蔦が、踊るようにざわめいて。彼はその様子を鼻で笑った。
「貴方を傷つける事をウェイン様は望んでいない」
「ウェインが優先するのは民だ。あいつはもう、私情に惑わされない」
あくまでも捕縛に力を入れるエリオットに、かわすだけのズリエルさん。
マナとマナがぶつかって、お互いが星屑のように消えてゆく。
――なにか、何かできる事は!
見たくない戦いを、成す術もなく見守るだけなんて嫌だ。
強く手を握りしめて、考える。話し合いは平行線。ほんの少しで良い、この均衡を崩したい。
エリオットの紡ぐ言葉が変わる。
『雷鳴よ、彼の者の意識を奪え』
力のある言葉は真っすぐに空へと伸び、やがてその姿を矢に変え、向きを変えた。
一斉に降り注ぐ光の矢。
ズリエルさんは軽やかに舞いながら、それらを振り払う。
時に風を使い、木の葉を使い、自身を狙う稲妻をかわしてゆく。
ひとつも、かすりもしない。
そう思ったのに、最後の最後でスッと胸に手を当てたズリエルさん。
それが何故か、終わりの挨拶に見えて。――気付けば、あたしは地面を蹴っていた。
「ティア!?」
衝撃を覚悟して、ズリエルさんに体当たりする。
同時にまばゆい光を放っていた稲妻が目の前で消えた。
驚きで目を見張る彼。
あたしは感情のまま声を上げた。
「ねえ、どうして!? どうして避けないの!?」
「ティア、すぐ離れろ!!」
「だっておかしいじゃない! 自分を一番守れる人が、自分を守らないなんて!」
逃げるでもなく、反抗するでもなく。
彼の行動は明らかに自分を差し出していた。
なんで、って思う。
答えがあらかじめ指定されていたみたいな、迷う事の許されない一本道。
その先には彼の終焉があるのに、本人は躊躇いもせず進んでいた。
納得いかない。
自分を守らない彼が進む道を、あたしは望まない。
あたしは長い衣を握りしめ、彼を見上げる。
「――あたしにはわかる。ここにある事実はまやかし――「――『閉じよ』」
耳の奥に高い音が響いて。
あたしは思わず目と耳を塞ぐ。
音が消え、エリオットの気配も消える。
不思議と恐怖は感じなかった。
それはきっと近くにある温もりが、自分を害さないと知っているから。
ゆっくりと目を開ける。
見えるのは白い衣。あたしが見上げると、彼は眉尻を下げて、こちらを見下ろしていた。
「本当に困った子だな」
「え?」
「君はまったくアリーシャに似ていない」
いきなりそんな事を言われてもと、戸惑うあたしにズリエルさんは続ける。
「たった数回、話をしただけの私を気にかける必要はないというのに」
呆れたようにつぶやく彼にムッとした。「回数の問題じゃないです」
ズリエルさんはやれやれといった表情で、「そういうお節介なところはアリスに似ている」という。
「アリス姫は、あたしのお母さん?」
「――気付いたのかい?」
コクリと頷く。「肖像を見たの」
ズリエルさんはそうかと頷き、長く息をついた。
「まったく、精霊にも困ったものだよ。王族を隣国へ移動させてしまうなんて」
「どうしてそんな事に?」
「大方、精霊の愛し子ロディ=クロスの移動に巻き込まれたのだろう」
曰く、精霊の愛し子とは、マナの運び人でもあるとのこと。
ファーブルのマナは多い。
それはレイが杯を傾ける前からそうで、その不均衡がアリーシャの命を奪った奇病の原因でもあり、精霊の愛し子という存在が生まれる理由でもあるとズリエルさんはいう。
「そんな……」
「長い間研究した結果だ。信用できると私は考える」
もしそうなのだとしたら、それは多くの人の人生を変えてしまった事になる。
アリーシャが今もレイの隣で笑っている未来。
ロデリックさんもお母さん――アリス姫――も、ファーブルで平穏に暮らしている未来。
そして、エリオットも――。
あたしは首を振りながら目を閉じた。やりきれない。元々そうだったと言われても、やっぱりやりきれなかった。
「ティアナ、君の疑問に答えよう」
彼は続ける。
「……いずれ私もウェインを残して逝くだろう。そうなる前に、すべての憂いを払いたかったのだ」
ウェインが気に病んでいる杯の傾きを戻したい。
アリーシャと同じ病で失われる命を救いたい。
アコットへと連れてゆかれる精霊の愛し子を守りたい。
「――欲張りな私にはどの願いも捨てられない。ならばすべてを叶えようと考えた結果、今の状況を作る事が必要だった」
「……どうして一人きりで?」
「この願いは個人の願いだ。結果、無理を強いられる人間もいるのに、援護など望めない」
選択というのは、そういった全ての事を踏まえたうえで、選び取らねばならないと彼は言う。
「ウェインの犯した罪は大きい」
本来アコットに満ちるはずのマナが大量にファーブルへと流れてしまった。
「そのため、アコットで暮らす人の寿命は、こちらと比べてかなり短かっただろう?」
人体を構成するマナが少なくなれば身体を動かす事が出来なくなる。そして更に減り続ければ、人体を構成できない。即ち死だ。
「――逆にファーブルは満たされ続けて、己が満たされている事に気付かなくなった。安易に他者へと望み、自分で行動する事を止めた」
失われてゆく自立心は国を崩壊させる。
「バランスを取らなくてはならない。それが今だと言う事だ」
「でも!! ズリエルさんが悪者になる必要は……!」
ないと叫ぼうとして、彼に「ある」と大きく被せられる。
「仮に何も起きてない状態で聖杯を戻したとしよう。すると、ファーブルはどうなる? 徐々にマナが薄れてゆき、民の中には魔法が使えなくなる者が出る。それが、段々病のように広がるのだ。その時の民の不安は? 失望は? 怒りは? いったい誰に向かう?」
――それは王にだ。
「ウェインはもう十分すぎるほど、手から零れ落ちる悲しみを知っている。アリーシャとアリスを失い、民まで失わせる訳にはいかない」
「それはズリエルさんだって!!」
証拠をワザと残し、悪者を演じて。こんなに国を考えている人が汚名を着るなんて!!
なのに彼は「それが一番分かりやすいだろう」と笑う。
「皆に負担を強いるのだ。その選択をした私が責められるのは当然のこと」
「でもっ、でも……!!」
「大丈夫。私は満足しているよ」
優しい目をして彼は言う。
「最後の最後で、君が私を見つけてくれた。私の想いを汲み取ってくれた。――それだけで十分だ」
二人を包む世界にヒビが入って、外の音が聞こえてくる。
ズリエルさんが両手を広げた。
「さあ、目を閉じていなさい。すぐに終わるから」
辺りが真っ白になる。
眩しくて思わず目を閉じかけて。あたしはそれが彼の道筋だと気がついた。
すべてをわかりやすく収めるためだけに作られた、まやかしの一本道。
彼が望むその道は、あたしの望まない展開につながるだろうと想像できる。
――止めなきゃ。
あたしは顔をバシッと叩いて、逆に目を見開く。
目の奥を射す光にめまいを覚えつつも、絶対に閉じてなるものかと息巻いた。
欲張りなのは彼だけじゃない。
あたしだって。
白かった世界が色づいてゆく。
青い空が見えて、緑が見えて。焦げ茶色の木の幹、地面を覆う名も知らぬ草花。
そうして徐々に見えてきたのはエリオットの姿で。そして、その後ろには水晶を中心に据えたあたしの姿。膝をつく、ズリエルさんも見えてきた。
何が起こったのと、近寄ろうとして、あたしは見えない何かにぶつかった。
「ちょっと、待ってよ」
慌てて周りを叩いてみるも、目の前の三人はこちらを見ない。
それどころかエリオットは瞳を怒らせ、ズリエルを見下ろしていた。
「ティアを害するなら、容赦しない」
エリオットが幻術のあたしを庇ったまま、片手を振り上げる。その手のひらに光があつまり、ひと振りの剣が現れた。
ズリエルさんは動かなかった。
消耗しているのか、肩で息をする彼。
下を向く、僅かに見えた顔は、どこか満足そうな表情で。あたしは彼の望むものを見た気がした。
流れる時間が煌めく刃の残像を残し、ゆっくりと流れてゆく。
「――やめて!!!!」
激しく壁を叩いて、叩いて、叩き壊して。
あたしは二人の前に躍り出た。別の道をこじ開ける。
『剣はいらない!!』
降り下ろされた剣が淡い光となって消えてゆく。
その隙に、幻術の核である水晶を奪い取り、ズリエルさんに押しつけた。
もつれ込むようにして、二人で草むらに倒れる。
「っ……!!」
ズリエルさんが立ち上がろうとして、地面に手をつく。
懐から零れ落ちる水晶。もう用はないと、あたしは倒れたままそれを蹴飛ばした。
水晶が岩に当たって砕け散る。
「!? ティア!!」
「リオ、ズリエルさんを拘束して!!」
エリオットがすぐにマナを紡ぎ、緑を操る。
ズリエルさんは払う事が出来ず、なすがまま。
マナもなく、魔具も奪った。今の彼は魔法を紡げない。
「…………」
茫然と、砕け散った水晶を眺める彼。
その間にも手と足に蔦が絡まってゆき、彼の拘束が強固になる。
しばらくすると、ようやく体を起こしたあたしへと視線を移し、なぜ? と瞳で訴えてきた。
「……だって、あたしは嫌だったから」
「……多少の不具合があっても、分かりやすい標は必要だろう?」
あくまでも自分という負の目印が必要だと言う彼に、あたしは首を振った。
「あたしはそうは思わない」
道は間違っても、迷っても、時には引き返す事があっても、良いと思う。
人は目指している限り、進み続ける限り、いつかはきっと望みへと辿り着く。
それは遠回りかもしれないけれど、自分が選んで進む道の責任を取るのは自分自身。
胸を張って歩いてゆきたいから、誰かに責任を押しつけたりはしない。
「――道はひとつじゃないよ?」
短く出した答えに、ズリエルさんが苦笑を浮かべながら首を振った。
「叶わないな」
「褒められているって事にしておきます」
腰に手を当て、尊大に頷いて見せる。そうしてすぐに笑った。
「レイもエリオットもおかしいって気付いていたんですからね!」
「それでも必要に迫られれば、私を切り捨てるだろう」
「ウェイン様はそんな事しません!」
「してもらわねば困るのだがなあ」
ズリエルさんはわざとらしく溜息をつき、フッと笑って見せる。
「後始末、面倒になるぞ?」
「ズリエル殿を失う事に比べれば、なんて事無い筈です」
「……まったく、我が王もその翼も、揃いも揃って甘い奴らだ」
言葉は厳しいのに、どこか嬉しそうなズリエルさん。
あたしはここに今、新しい道が出来たのだと実感した。
――その時。
ずぅんと、地響きがして。
森の木々が揺れ、この葉が鳴った。
同時に波が引くように、重さのあった空気が流れてゆく。
「――始まったか」
「どういう事です?」
怪訝な顔をするエリオットに、ズリエルさんは目を閉じて言った。
「私はもう、願いを叶えてしまったから」
お読みいただきましてありがとうございました!!(*^_^*)




