11.想い出はいつまでも
レイは柔らかく笑って、あたしの頭を撫でた。
「叶わないな、ティアナには」
気だるげな雰囲気が晴れ、陰りのあった青い瞳がきらきらと輝いている。
よかったと、あたしは息をついた。
「エリオットもすまなかったな。八つ当たりだった」
「いえ、とんでもない事です」
「堅苦しい言葉は止めろ、リオ。何なら、暴言の一つでも吐いてみるがいい」
「無理言わないでください。我が王」
はははとレイが笑う。
エリオットも苦笑を浮かべつつも、会話を楽しんでいた。
ほんの少しでもいい。
レイの気持ちが前に向いてくれたのなら、あたしは、それが嬉しい。
「ありがとう、レイ。話を聞いてくれて」
「礼を言うのはこちらの方だティアナ。ありがとう」
「ううん。あたしは思った事を好き勝手言っただけ。なにもしてないよ」
「思いを真っすぐに発言するのはとても難しい事だよ、ティアナ」
レイは「……どうやらわたしは、手を引いてくれるような強い女性に弱いようだ」と微笑む。
「あたしは強くないと思うよ? だけど、アリーシャ様って、そういう性格でした?」
「ああ。彼女は本当に――……」
続きの言葉は出てこなかった。
それでもアリーシャに関する思い出がレイの頭の中を巡っているのだと分かる。彼がとても幸せそうな顔をしていたから。
想いが強ければ強いほど、離れがたく、立ち止まりたくなる。
現実を見ないで、想いの枷に囚われて。繰り返すうちにまるで永遠のように錯覚をする。
それでも時は流れていってしまうから。取り残されないで。ゆっくりでいいから歩いて。
思い出す事、振り返る事、やめなくていいから。少しずつ、少しずつ……。
レイの穏やかに細められた瞳が遠くを見つめた。
「――罪の象徴であったこの力で、皆がわたしを『賢王』と呼ぶ」
耐えがたい呼称だった。
胸に溜まった黒いモノを吐きだすように彼は言う。
言葉自体はレイを称えるもの。
なのに、彼にはそう受け取れなかった言葉。
あたしには想像するしかなかったけれど、低く、つぶやかれたこの言葉には、積年の苦悩が滲み出ているように思えた。
「だが、今度こそ、そう呼ばれるにふさわしい王でありたいと、心の底から思う」
すぐさまエリオットが力強く答える。
「微力ながらお力になれたらと思います」
「レイならなれるよ!」
便乗してあたしも飛び跳ね応援すれば、レイは「ありがとう」と微笑む。
穏やかな笑みは彼によく似合う。その表情の通り、彼の心が穏やかであればいいと思った。
本当の意味で、レイの想いを知る事はできない。
人の想いを正しく汲み取ることは、本当に難しいから。
けれど、少なくとも彼はアリーシャとの想い出を枷だと思いたくないはずだ。
二人の想い出は幸せいっぱいだと、彼女を語る彼の表情はいつもそう言っているから。
幸せな想い出は心にあるだけで温かくなる。幸せになれる。
アリーシャもきっと、自分との想い出がレイを温めるなら、幸せだと思ってくれるはずだ。
一緒に居たかったと。どれだけ望んでも叶わなかった想い。
その想いには意味があった。たとえ果たされなかった願いだとしても、絶対に。絶対に……。
レイが自分に積もっていた雪を払いのけた。
「いつまでも雪の中にいるのもマヌケだな。……まずは、庭から出るか」
「……よろしいのですか?」
遠慮がちに尋ねたエリオットに、レイは「ああ」と短く返事をした。
「どちらかと言えば、寂しがりはわたしのほうでね。彼女はいつも一人でどこへでも行ってしまうんだ」
想像する。
アリーシャが居なくて、おろおろとするレイ。
そして、けろっとした顔で戻ってくる彼女。
『どこ行ってたんだよアリーシャ!』
『え? 散歩よ、散歩』
心配したと機嫌を損ねるレイに、太陽のような笑顔で謝罪するアリーシャ。
きっと、こんな微笑ましい一幕。
「今回は、ずいぶんと遠くに行ってしまったんだな……」
次に会える約束はなく。
彼女の愛した庭をとても大切にして、長い時間を過ごしてきたレイ。
柔らかに彼を留めていた想い出という名の蔦は、前へと進む事を決めた彼の背中をきっと押してくれる。手を引くように優しく、そしてゆっくりと。
しんみりとした空気を払うかのように、レイがカラッと笑った。
「さあ、出よう。『我を捕える枷はすでにない』」
パリンと何かが砕ける音がした。
雪の景色に混じって、キラキラと何かが舞う。
それはガーディーが初めてアコットに現れた時、ロデリックが拳で破壊したそれに似ていた。
「しょう、へき……?」
「ああ。一応軟禁されていたんだよ、わたしは」
「はあ!? なんですかそれ!! 一体いつから!?」
思わぬ発言にエリオットが目を剥いた。
「ありえない」「一体誰に」と詰め寄る彼に、レイはまったくと言っていいほどペースを乱さない。「うーん」と記憶を手繰るように視線をずらし、のんびりと答えた。
「たしか、ちびっこエリオットが帰って来る前ぐらい?」
「そんなに前から!?」
呆れと驚きと。もはや敬語などどこにも入っていない返しは、彼の想像を絶していたのだと分かる。
信じられないと、頭を抱えるエリオット。
それはそうだろう。だってその期間は、軽く一カ月を超えている。
「まあ、悪意のない魔法だ。しかも、いつでも破れる」
「しかし!」
「ここに留まったのはわたしの意思だ。お前が気にする話ではない」
押し黙ったエリオットに、レイはもう一度「気にするな」と言った。
「……では、最後に一つだけ。それは一体誰に?」
「逆にお前は誰だと思う? エリオット」
相手は限られるだろう。
城に出入りできて、なお且つ、この庭の存在を知っている人物。
加えてレイが魔法をかけられても抵抗しなかった相手。
「……まさか」
エリオットがつぶやいた。
思い当たった事が信じられないとばかりに首を振り、レイを見る。
否定してくれ。
彼の表情はそう訴えていた。けれど。
「たぶん、想像通りだろう」
事もなく、レイがあっさりと答え。エリオットは目をカッと怒らせた。
「何故教えて下さらなかったのですか!!」
「あいつが、わたしを害すると思うか?」
「現に軟禁されているじゃないですか!」
「こんなもの害の内に入らぬ」
「だからと言って、なぜ……」
納得いかないと声を荒げるエリオットに、レイがまずは落ち着けと彼をなだめる。
「あいつがやる事を、黙って見ていようと決めたのはわたしだ。全てに疲れたわたしに、あいつは『ここで見ていなさい』と言った。だからここに留まっていた」
レイの言葉は続く。
「あいつが民を害する事などありえない。しかし、目的も知らずに容認するのは愚かな事。たった今、わたしは心を改めた。いくら信用しているからといっても、わたしは王として臣下の行動を知る必要がある」
懐から一枚の紙を取り出した彼は、それをエリオットに手渡した。
薄らと翡翠色のマナが漂う紙。近づいて覗いてみれば、そこには美しい文字が綴られており――……あたしは、内容で差出人を知る。
レイがエリオットを見て頷いた。
「あいつを――ズリエルを追ってくれエリオット。そして真意を聞こう」
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