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10.永遠の箱庭

 





 廊下に出ると先程までとは様子が変わっていた。

 つい今しがたまで誰も足を止めなかったその場所に、人だかりが出来ている。

 彼らは不安そうに外を見ては周囲と囁き合い、また外を見た。あたりには、ざわめきと戸惑いを孕んだ空気が充ちている。


「エリオット様!!」


 こちらに気がついた騎士のひとりが近づいてきた。

 異常気象です、と窓の外を指差し、助けを求めるような表情でこちらを見る。


「――すぐに検証するので、皆には外出を控えるように伝達してくれ」


 騎士の背中を見送り、エリオットが踵を返した。あたしも遅れず横に並ぶ。


「――ティア、幻術が解かれたのは何故だと思う?」


 しばらく歩いた後、エリオットが低い声で言う。


「……わからない、けど。隠す必要がなくなったとか?」

「やはりそう考えるのが妥当か」


 ただ、隠す必要がなくなった理由は分からない。

 エリオットもその先を想像したのか、答えが見つからないかのように首を振った。


 早足で城内の奥を目指し、とある通路にでる。

 あたしとエリオットは周囲に誰もいない事を確認し、魔法がかかった壁の向こうを見る。――彼がいるのは、いつもこの場所だった。



 レイは王妃の庭にいた。

 あたし達を呼びだした夜と同じく、共を付けずにたった一人空を見上げていた。

 つぅと涙を流してしまいそうな、切なげな横顔。全ての音を閉じ込めて落ちる雪が彼の上に静かに積もってゆく。


「――ウェイン様」


 エリオットが庭に入り、膝をついた。

 彼に許されているギリギリの場所で、ぎゅっと口を引き結んで頭をたれる。


 反応はなかった。

 そこにいる姿が幻かと思ってしまうほどに、レイはこちらに反応を示さない。心だけが身体を残してどこかへ行ってしまっているかのようだった。舞う雪が、彼に寄り添い振り続ける。


「――戻っていたのだな。エリオット」


 返事があったのは、エリオットの肩にうっすらと雪が積もってからだった。


「ウェイン様。報告に参りました」

「よい。分かっている」


 魔具を回収して、ズリエルに保管を頼んだのだろう? 続いた言葉にあたしは驚いた。

 ズリエルさんはレイをそっとしておいてほしいと言った。その彼が早々にレイに報告を上げていた事が不思議だったのだ。


「ならば魔具の保管状況を確認してまいります。場所はどこかお聞きになっていますか?」

「いや、知らないな」

「そうですか、それではズリエル殿に聞いてまいります」

「やめておけ。あいつはいま城内にいないだろう」


 その言い方は投げやりに聞こえた。

 自分に積もる雪に頓着しないのと同じで、もういいとすべてに疲れたような態度だった。


「では自分で魔具の保管場所を探してきます」

「必要ない」

「……何故、ですか?」

「言葉のままだ。『必要ない』」


 いつものレイらしくない。

 一体どうしてと、あたしは二人のやり取りを見守る。


 エリオットがさげていた頭を上げた。


「……我が王、ズリエル殿はいずこに?」

「さぁ……?」


 何もしたくない。

 空を見上げたままのレイからは、無気力感しか読みとれなかった。


 時間がゆっくりと流れてゆく。

 その間も雪は絶え間なく降り続け。青々と茂った芝生を、むき出しの茶色い土も、一様に白く染めてゆく。


 レイが今日初めてこちらを見た。


「――なあ、エリオット。そもそもファーブルにはマナが多すぎると思わないか?」


 唐突な質問。

 ややあって、エリオットが「わかりません」と答える。「初めから今の状況でしたので」

 レイには回答が分かっていたのか、「その状況がそもそもの原点なんだろう」と目を伏せた。


「ファーブルでは誰でも簡単に魔法が使える。それは生きてゆく上で、この上なく便利で満たされた状態だろう。――しかし、事が簡単に進むという事は、その事柄に注意を払わなくなるという事だ。存在している事が当然で、失うという事に想像を巡らせる事が出来なくなる」


 レイは続ける。


「過ぎた力はひずみを生む。人の心を慢心させ、何でも一人でできると勘違いする。――かつてのわたしもそうだったのだろう。力さえ、いや、マナさえあればアリーシャを救えると思っていた。だが、現実はどうだ? 変えられなかった。それどころか、力のひずみを大きくし、民を慢心させ腐らせそうになった。これはわたしの罪。王失格だ」


 あたしには「そうだ」と肯定してほしいとレイが言っているように聞こえた。

 ――彼は命の杯を傾けた。それは決して消える事のない事実。


 エリオットが首を振った。


「持てる力をもって、民を助けるのはそんなにいけない事ですか? 私はそうは思いません」

「全ての始まりが杯を傾けた事による不具合だとしてもか?」


 的確にレイが原因を突く。エリオットは押し黙り、そこを畳みかけるように言葉が続く。


「ほとほと自分の存在が嫌になる。皆はわたしの後始末に奔走しすり減ってゆく。――私欲に負けて杯を傾けたわたしのせいで」

「それは違います。アリス様が旅立たれたのはご自分の意思だと聞いています。私が猶予を願ったのも、自分の意思です。誰もウェイン様のせいだなんて思っていません」

「そもそもの原因が自分の行動にあるのにか? ――詭弁(きべん)だな」

「大切に想う人の為に何かしたいと思うのは詭弁ですか?」

「大切に想っていたなら、なにをしてもいいと?」


 その言葉には皮肉も含まれていた。彼自身がアリーシャを大切に想っていたからこそ、杯を傾けてしまったから。


「大切なものは人の数だけあります。皆の願いが寸分狂いなく同じ事なんてありえません」

「ならばわたしはその最大を願う事が当然なのだろう」

「それは周囲の価値観に合わせた、『無難』な答えに過ぎません。貴方様の真の願いは違うところにある」


 エリオットはしっかりとレイを見上げて言い切った。



「なりふり構わず願ったただ一つの想い。否定する権利など、誰にもないのです」



 胸が熱くなった。

 エリオットの言葉はどこまでも公平で、すがすがしいまでに明快だ。

 それは責められた方が楽だと言外に訴えた先程の言葉より、もっと深くにある気持ちに刺さるはず。あたしの時も、そうだったから。



 ――しかし。



「お前の言う事をそのまま受け取れたらよかったんだがな……」



 レイが自嘲の笑みを浮かべた。

 なんで、と思いながらも、王失格だという選択を支持する発言を良しとしないのは、如何にも彼らしかった。


 彼は自分の行動を悔いてはいない。だが同時に、許してもいなかった。

 一人の男としてアリーシャの回復を願った結果、マナのバランスがより極端になった。

 王として民の安寧を優先させなかったという事実は、いつまで経っても消えない傷のように残り、じくじくと彼を責め立てる。


 マナの多さにより成立した沢山の功績と人々の賛辞は、今のレイを慰めはしない。

 彼のその力こそが、彼にとって罪の象徴でもあるから。


 だけどあたしは人々の感謝がまやかしでない事を知っている。

 エリオットと一緒に王国内を回って、彼らが幸せそうに暮らしているのを沢山見てきた。


 民の幸せを一番願ったのはレイだ。

 なのに、その彼は自分に烙印を押し、自身の幸せを切り捨ててしまっている。――自分自身を過去に縛り付けて、許されないと立ち止まって。


 気付けば、あたしは動いていた。


「いい加減にして!!」


 語気は強く、乱暴に。あたしはレイの腕を掴んだ。


「そうやって自分を責めて、いったい誰が喜ぶの!?」

「…………」

「答えはわかっているよね? 誰も喜ばないって!」


 そうだ。レイは分かっている。わかっていて、責められる事を望んでいる。

 アリーシャを救おうとした事を後悔していない。だけど、己の願いを優先した自分を、王である彼は許せないから。


 レイは責められて当然だと考えているのに、真実を知る人間はだれも彼を責めない。

 その事実は優しい毒のように彼を苛んだ。一方、アリス姫もズリエルさんも、そしてエリオットも彼を責めるわけがないのだ。なぜなら、どれだけ彼がアリーシャを大切にしていたかを知っているのだから。


「……わたしが杯を傾けた事実は変わらない」


 ――そう。許していないのは、彼自身だけ。だから。あたしは。


「あたりまえよ! 事実は変わらないんだから!!」

「っ!? ティア!! なんて事を!!」

「良いから黙ってエリオット! 大事なことなんだから!!」


 エリオットを一喝し、再びレイを見る。


「ねえ、レイ。過去は変えられないって思っているでしょ? それはね、半分ホントで半分は嘘なの」


 上手く伝わるかなんて、やってみなきゃ分からない。

 あたしはあたしの思った事をそのまま伝える。


「それはね、過去っていうのは事実とその時の想いで作られているからなの。レイの言う通り、杯を傾けたという事実は変えられない。だけど、ね」


 あたしは大きく息を吸って、そしてしっかりとレイを見上げた。


「その行動を罪だの王失格だのと考えているのはレイ自身。だから、一緒に――……」


 変えてしまおう?


 言い切ったあたしを、レイが虚を突かれたように見つめた。

 思いもよらない発言だったのだと、その表情でわかる。


 簡単じゃないと、思うだろう。

 ひょっとしてレイは「何を言っているんだ」と怒るかもしれない。


 だけど、そうやって自分に枷をつけて、一体何になるのだ。

 過去に引きずられて囚われて。未来(さき)の道を閉ざしてしまう事を、一体誰が望んでいるというのか。


 これは都合よく正当化しろという話ではない。

 起きた事実をしっかりと見据えたうえで、自分で決着をつける。他者から与えられる断罪をもって、清算すべき事柄ではないのだ。


「……ティアナは結構きびしいな」


 諦めの色が濃く表れたレイ表情が、困ったような、肩の荷が下りたような、そんな表情に変わった。


「そおかな? でも、『一緒に』って言ったよ?」

「一緒に、か」

「そう、一緒に」


 一人で過去に向きあうのは大変で。あたしだって、エリオットが居たからなんとか向き合えた。

 冷たい心を持った自分も、自分だと認める事が出来た。皆が望む行動を取れなかった過去を悔やんで責めるより、この想いを未来(さき)に生かす事を考えた。――どれだけ過去に思いを馳せても、失った時間は戻らないから。


 そう考える事が出来たのも、一緒に居てくれたエリオットのおかげ。今度はあたしが返す番。


「なんでも言って、レイ! 一緒に考えるから!」







お読みいただきましてありがとうございました!!

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