9.運命の渦
目の前は花壇だった。
ティアナのマナを追って移動した先。景色の奥に立つ白亜の城を見つけて、俺は小さく息をついた。
――どうやら、ちゃんと移動出来たようだな。
彼女の痕跡を追えば、寄り道もそこそこに城まで辿り着く。
無事、城内に入ったのだろう。彼女のマナは城の奥へと続いていた。
豪奢な門を抜け、前庭を歩く。
夏に咲く花に迎えられ、心が和らいだ。
空を見上げれば小鳥が二羽、連なって飛んでゆく。風が出ているのか、雲が目に見える速さで動いていた。
城内には穏やかな時間が流れている。
皆にとってはいつもと変わらない一日。数ある日々のひと時。
ただ、我が王にとっては――。
俺は王妃の庭のある方角へ身体を向け、静かに目礼する。
――ウェイン様の元へは午後……いや、明日にしようか。
帰還後の報告は早い方がいい。
それが分かっていながら、やはり躊躇ってしまう。
「とりあえず、ティアを探すか――」
まずは今の案件をしっかり終わらせる事。報告についてはその後考えればいい。
一度頭を振って、気持ちを切り替える。ふと窓を見れば、白い何かが舞っていた。
花吹雪。
一瞬そう思ったが、すぐに違うと窓に近づいて。俺は息を止めた。
前庭から、その先にある城下にまで降り注ぐ白い何か。
花吹雪ではない。ましてや雪でもない。明らかにそこにあるはずのない何かが、王都全体に降り注いでいる。
窓を開け、手を伸ばした。
白いそれは触れた途端、溶けるように消えてゆく。まるで雪そのものだった。
「なんなんだ……?」
今は夏だ。雪であるはずがない。
じゃあこれは一体何なんだ。
窓を閉め、考える。眼下では二人の騎士が庭を歩いていた。
自分へと降り注いでいる何かに気がつかず、談笑しながら城門へと消えてゆく。
何かを払う素振りも、空を見上げる事もしない。無反応。少なくとも彼らには見えていないようだ。
外にいる騎士よりはマナの器が大きく、自分よりは小さい人物の魔法。
特定するには範囲が広すぎた。他にも俺と同じ景色が見える人を探さなくては、絞り込みは難しい。
――ティア。
すぐ彼女の元へ行こうと歩く速度を速めた。ひたすら長い廊下を進み、角を曲がる。
すれ違う人々はまるで外を気にしていない。その様子から、城内の人間にも見えていないと理解する。この状態で避難誘導をするのは難しい。差し当たって、害がなさそうであることが幸いだ。
彼女のマナを追い、辿り着いたのはある部屋の前だった。
たしか調度品置き場だったと記憶しており、何故彼女がこんなところにと首を傾げる。
一応ノックをしてみた。
返事はない。少し躊躇ったが、扉を開ける。
彼女は床に座り込んでいた。
力の抜けた背中。垂れる、頭。
辺りには翡翠色のマナが見えるのに、こちらを振り返ることなく動かない。
「ティア!」
弾かれたように部屋へと飛び込んで、ティアナを支える。
折れてしまいそうな細い身体。一体何があったのだと、彼女の両腕を掴んだ。
ティアナはハッとして、こちらを見た。
「リオ……?」
「そうだ!! 一体何があった!」
「あっ……」と彼女は声を漏らし、ゆっくりと顔を上げた。
視線の先には一枚の絵。それは俺が以前見た肖像画だった。
数年前、見かけた部屋からなくなっていたので、王の私室に移動したとばかり思っていたのだが。
「こんなところに置いてあったんだな」
何年経っても変わらない。
久しぶりに見るその肖像は、あの日のまま止まっていた。
ティアナが呆けたように肖像画を見つめる。
その瞳には動揺と疑問が見えて。この絵の何が気になるのかわからなかったが、俺は肖像画について説明をする事にした。
出会った時からぼかしていた姫の話。今はもう隠しておく理由もなく、俺が何をしていたのか全てを知ってほしいという気持ちもあったからだった。
彼女は「そう、なんだ」と、言葉を詰まらせながら答えた。
らしくない反応。心配になった。
「――……ティア? 一体どうしたんだ?」問う俺に、ティアナは力なく笑う。
「あのね、リオ。あたしアリーシャ様にそっくりなんだって」
唐突に告げられた話。それは初耳だった。
「名前もね、娘にそっくりって言われたの」
誰に。と、訊ねようとして。
それが我が王だと察する。
「それでね、このアリス姫はね……」
ティアナの瞳が揺れる。
翡翠色の瞳には戸惑いの色が見てとれ、何かを躊躇う気配を感じた。
俺は続く言葉に予想がつかず、ティアナを待った。
勝手な想像を口にする事も、彼女の背を押す事もせず、ただ、ひたすら待った。
それは時間にしてほんのわずかだったかもしれないが、体感は何倍もの長さで。気付けば息を止めて、彼女を見つめていた。
そんな長い一瞬の沈黙が流れ。ようやく彼女は小さな声で言った。
――お母さんに、そっくりなの。
突如として、嵐が吹きぬけた。記憶がばらばらと落下する。
十九年前に消えたアリス姫と見習い騎士ロディ=クロス。
ロディはロデリックと名乗り、アコットにいた。
彼はファーブルへ戻る事をせず、何故かティアナ達姉弟を庇護していた。
『友人から頼まれている。それだけだ』
何故気付かなかったのか。
彼が何のためらいもなく残る事を決めた理由も、ウェイン様に何も言わないのも。なにもかも、ただ一人の主に忠誠を誓っているからじゃないか。
俺にすら気付かせなかった魔法をかけたティアナ。
弟のリアムは治癒という稀有な魔法を使い、アコットで眠っている。
二人のマナの器は。一般人を遥かに上回っている。
――全てが、繋がった。
「なにがなんだか、分からないの。だって、国も名前も、歳も違うのに、あんまりにもそっくりで。ロデリックさんがファーブルの人なら、ひょっとしてって……。でも」
おろおろと取りとめのない言葉を繋いで、ティアナは俺を見る。
突然目の当たりにした情報に混乱し、不安がっている彼女はとても儚く見える。
支えなければ。
今彼女を守れるのは自分だけだ。
「あたしの名前、お母さんがつけたって聞いてて、それもまた何か気になって」
「……ティア、君の母上の名前は?」
「お母さんはエリーだけど……?」
エリー。それはアリスの愛称だ。
間違いないと確信する。ティアナの母親、エリー=ヴォーグライトは、アリス=ティア=ファーブル。探し求めていたウェイン様の娘。俺がアコットへと移動させられてしまった時、ティアナの元へ辿り着いたのは偶然じゃなかった。
――こんな形で、答えを知るなんて。
俺は姫を見つけ、ウェイン様の安寧を願った。
ティアナは次こそ『弟』を守ると願った。
複雑に絡まった魔法。
何か一つでも欠ければ、俺達は共に行動をしていなかった。――全てが揃ってしまった現実に、運命を感じずにはいられない。
「ティア、ウェイン様のところへ行こう」
「う、うん……でも、まだ決まった訳じゃ」
「それも合わせて検証だ」
ティアナは自分が王女かもしれないという可能性に、困っているようだった。
それもそのはずだろう。彼女は一般人として育っていたのだし、そもそもアコットは王制でもないのだから。
「ううっ……なんか、心配になってきた」
まるで胃痛を訴えるような表情をするので、思わず笑ってしまう。
むぅとふくれっ面をするティアナ。そんな彼女をなだめている俺。
いまいち深刻になれない雰囲気に、彼女の本質的な明るさを感じる。
たとえティアナが王女だったとしても、きっとなにも変わらないのだと、そんな事を思う
――と、そこでティアナが思い出したように「あっ」と声を上げた。
「雪! 雪が降っているの!!」
彼女は部屋の奥へと向かい、窓にかかるカーテンを開けた。
窓越しの景色には、変わらずはらはらと白い何かが舞っている。
「……ティアも見えるのか?」
「! 見えてる!! だけど、みんなには見えていないみたいで、魔法だと思うんだけど」
「俺も同じ事を思っていた。すぐに調べよう」
色々な事が一斉に動き出している。
それは大きな渦が中心に向かって流れを速めているのと同じ感覚で、しっかりと前を見据えていなければ、たちまち海の藻屑になってしまう怖ろしさを感じた。
俺は状況を整理して。まずは一つ目と、大事な事を尋ねる。
「ティア、水晶はどうした?」
いつもお読みいただきまして、ありがとうございます!!(*^_^*)




