8.見えるもの、見つけたもの
客間に通された。
ズリエルさんは廊下ですれ違った女性にお茶の用意を言い渡し、まずは水晶を保管してくると言って出て行った。
あたしはというと、ようやく肩の荷が下りた気がして、だらしなくソファーにもたれていた。
扉がノックされ、慌てて姿勢を戻すと、カートを押しながら女性が部屋へと入ってくる。
「わぁ」
思わず声が出て、両手で口を押さえた。目を奪われたのはカートの上だった。
レタスやハム、タマゴにトマト。彩りよい一口大のサンドイッチに、フレッシュフルーツが数種類。マドレーヌやフィナンシェといった焼き菓子は見るからにおいしそうで、可愛いプチケーキを見ればもう、知らないうちにニンマリとした顔になってしまう。
女性はほのかな笑みを浮かべたまま、それらを綺麗にテーブルへと並べてゆく。
途端、強烈に空腹を感じて。あたしはそれに答えてお腹が鳴らないか心配になった。
「あ、ありがとうございます」
「もったいないお言葉。どうぞ、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
お呼びの時はこちらをと、小さなベルを置いて女性は静かに出て行った。
彼女の気配もすぐになくなって。目の前には可愛らしい食事と、細く湯気を上げる紅茶だけ残った。
食事の量もカップも一人分。
ズリエルさんはすぐに戻って来ないのだろうと、あたしは一人紅茶を飲んだ。
おいしい。
以前頂いた時とはまた違う深みを感じる。
続いてサンドイッチに手を伸ばして、同時にお腹がくぅとなった。
思わず辺りを見て、安心する。部屋には自分だけだ。
一人になるまでよく我慢した。偉いぞ。
あたしはお腹を褒めつつ、掴んだサンドイッチをパクリと食べた。ニンマリと笑顔が浮かぶ。
ものの数分でサンドイッチを完食し、焼き菓子とケーキへと続く。紅茶の湯気は消え、飲みやすくなった。ティーポットに残っていた一杯を自分でそそぎ、またひとつ焼き菓子を頬張る。一人の食事は好きではないが、慣れたものだ。
そうして満足いくまで食べて。気がつくと、まぶたが下に降りてきていた。
レイのお城だという安心感もあるのだろう。よくよく考えれば、あたしは徹夜だった。満腹になれば、眠くもなる。
まだ、エリオットと合流していないのに。自分だけくつろいでいいのだろうか。
こんなに天気が良くて明るいのに、まぶたは限界。
逆らう事の出来ない倦怠感に、ゆっくりと身をゆだねてゆく。
――リオ。
アコットにはロデリックさん達がいる。心配ない。自分が側にいるより心強い。
――早く、来て。
それでも早く姿を見て安心したいと思うのは、自分勝手だろうか。
離れている時間は心にすきま風が吹く。
凍えるほどの寒さでなくとも、奪われる熱で寂しさが募る。会いたいと思う。
キュッと、自分の手を握った。
つい数時間前に彼に包まれていた手。
そのぬくもりが全身に回ってくれればいいのにと、そんな事を思った。
◆◇◆◇
目が覚めると、部屋が少し影っていた。
ビックリして窓から空を見上げれば、雲に隠れた太陽は真上に向かってのんびり進んでいた。まだ、城についてからそんなに時間は経っていないようで安心する。
小鳥が二羽、連なって飛んでゆく。風が吹いて太陽がゆっくりと雲間から顔を出し、同じ速さで部屋が明るくなっていった。
安心したあたしはソファーに戻った。
目の前には空になった食器が残されており、まだ誰もこの部屋に来ていないのだと分かる。
ベルを鳴らして、お茶でも頼もうかな。
そんな事を一瞬思うも、ベルで人を呼ぶのを躊躇って。もう少し、のんびりしていようと思った。
ただ、何となくそわそわして。あたしはもう一度窓へと近づく。
内向きの窓からは立派な庭が見えた。
城内の庭園なのだろう。以前の部屋からは城下が見えたので、どうやら窓の向きが違うようだ。
……と、そこで視界に何かが通った。
何だろう。視線を上げればそれは白い花びらのようだった。
どこかに背の高い木があって、風にでも吹かれて飛んできたのだと思い、あたしは窓を開けた。
ちらほらと舞う白い花びらはゆっくりと地面へと降りてゆく。手を伸ばしてもちょっとつかめそうにない。思い出すのはマナを追いかけたあの気持ち。さすがに窓から落ちては困るので、無理はしないけれど、不思議なのは近くに白い花の咲いた木がなかった事だ。
ズリエルさんはまだ来ないし、レイに会えるまでにはまだ時間があった。
少しなら庭に出てもいいだろうか。考えていると、花びらが丁度窓枠に降りてきた。
あっと、思った。
ゆっくりと窓枠の木に沁み込む白い花びら。残るのは水のあと。
それを見て初めて花びらの正体を知る。――これは、雪だ。
夏に雪。
明らかな異常に、あたしは窓から離れた。
一歩引いてみるだけで、外の様子がガラリと変わる。
雪は、庭全体に降り注いでいた。
あたしは部屋から飛び出して人を探した。
長い廊下に人はいなかった。すぐに走り出そうとして、近くの部屋の扉が開くのを見た。
出てきたのは、先程軽食を持って来てくれた女性だ。
「お嬢様。何かありましたか?」
ベルも鳴らさず、部屋を飛び出して来たあたしに優しく問いかけてくれる。
「あの、雪が降ってます!」
女性は軽く目を見張り、廊下の窓へと視線を向けた。
あたしもつられて窓を見て、はらはらと降る雪を眺めた。
――しかし。
女性は窓から視線を外し、こちらを向くと少し困惑した表情になっていた。
「すみません。……あの、わたくしには見えないようです」
驚くのはこちらの方だった。「え、え??」と声をだし、窓を指差した。「だって、こんなに降っているのに?」
女性は申し訳ない表情をして、「すみません」と言った。
信じられなかった。――この雪が、見えない?
あたしは胸騒ぎがして、「ちょっと出ます」と言い残し走った。
背後から「お嬢様!」と声が上がったが、止まってあげられなかった。
レイのところに! ズリエルさんにも伝えなきゃ!
それだけを思い、廊下を走る。
視界を通り過ぎる窓の向こうには雪が降り続いている。
夏に雪。女性に見えなかった雪。
異常を感じずにはいられない。
廊下を曲がると、人がいた。
走る足音に気がついたのか、その人は振り返る。あたしはその名を呼んだ。「ズリエルさん!!」
「――どうしたんだい、ティアナ?」
「窓をみてください! 雪が降ってます!!」
言い切り、肩で息をしている間に、ズリエルさんが窓を見た。
大丈夫。大丈夫。彼なら見えるはず。
――その期待はすぐに裏切られた。
「わたしには見えないようだが」
さらりと響いた彼の声に、あたしは一歩後ろへ下がった。
どうして? どうしてみんなに見えてないの?
焦る、あたしの頭の中は忙しなく何故を繰り返す。
「ティアナ?」
不審がるズリエルさんを見て、あたしは一つの答えが見えた。
これは魔法なんだ。しかも、幻術がかかっている。
エリオットの言葉が浮かんだ。
『幻術は使った者よりマナの器が大きくないと見破ることは難しい』
つまり、そういう事なんだ。
「すぐにレイのところへ行きたい! 伝えたい事があるの!!」
レイは王様だ。絶対にこの異変が見えるはず。
そう思って叫んだら、ズリエルさんは表情をゆがめた。
「ティアナ、我が王は……」
「お願い!!」
こちらの懇願にも、難しい表情を崩さないズリエルさん。
わけの分からない要望で、レイをわずらわせたくないのだと分かる。
親友を、義弟の。心を案じている。
ズリエルさんが視線を寄越した。
「――ティアナ」
鋭く、切られるような響き。
彼の結論を見た気がして、息を止めた。
「部屋で、待っていてくれないか?」
自分がレイを呼んでくると言いたいのだろう、普通ならそう取るはずだ。
だけどあたしはいやいやと首を振った。答えは違う、そんな気がしたから。
ズリエルさんが一歩前に出た。
彼の伸ばしかけた腕に反応して、あたしは来た道を引き返した。
名を呼ぶ声に、不安を覚える。
捕まると、本能で思った。なんでそう思ったのか分からない。
廊下の角を曲がり、目についた扉を引いた。
一瞬抵抗があった気がしたけど、扉はすぐに開いた。
あたしはその中に滑り込む。
気配を消して、扉の前で立っていた。
しばらくすると足音が一つ通り過ぎ、タイミングからしてズリエルさんだろうと、短く息をつく。
すぐに動くのは危険かと思い、そのまま息を潜めて様子をうかがう。
客間の半分ぐらいの部屋。
室内は薄暗く、カーテンが引かれていた。
どうやら物置部屋のようで、壁際に立てかけられている何かには布がかかっていた。
ふと視線を横へと向けると、イーゼルに絵が立てかけられていた。絵はよく見えないが、どうやら人物画であるようだ。
興味をひかれて、絵に目を凝らす。
煌びやかなドレス。クセのない、長い髪。
柔らかく組まれた手は肘まで手袋に覆われている――。
ハッとして。
思い浮かんだのはエリオットの描いた絵だった。
髪を彩る花の飾りと、首元のネックレス。
金髪碧眼の、着飾る事に慣れたお嬢様――アリス。
薄ぼんやりと見えた絵が彼女のような気がしたのだ。
思わぬ出会いに、胸が膨らんだ。
一歩足を前に出すだけで、アリス探しが前進した気がする。
――これで、リオの力になれる。
雲の切れ間から太陽が現れ、窓から光が差し込んだ。
カーテンを突き抜け、さあっと薄暗い闇をはらってゆく。
室内が息を吹き返すように明るくなり、おぼろげにしか見えなかった肖像画の全てを照らしだした。
現れたのは一人の女性。
クセのない、金色の髪。生き生きとした青い瞳。
意匠の凝らした花の髪飾りに首元のネックレス。
白い手袋はエリオットの描いた通り肘まであって、彼女はこちらを見て微笑んでいた。
「――――……え」
一瞬、頭が真っ白になった。
呼吸することも、瞬きする事も忘れる。
心臓の音が耳の隣で聞こえた。
あたしを急かすように大きな音を立てるに、同じ音であたしの言葉を壊してゆく。
「ど、うして?」
ようやく、それだけが声に出て。あたしはその場に座り込んだ。
お読みいただきましてありがとうございました!!




