4.変わらない貴方
響く、ばらばらの足音。複数人。
あたしは書棚の影で息を潜める。
「……誰もいないな」
「おかしいな。声が聞こえたはずだが……」
コツ、コツ、と慎重に足を進める誰か。
周囲を見回しながら歩いているのだろうか? 声が段々と近づいてくる。
――どうしよう!
あたしとエリオットがいる場所は書棚と書棚の間。直線に伸びたその空間は、背中合わせに人が二人立てるほど。棚にはぎっしりとファイルや本が詰まっていて、どこにも隠れる場所などない。
もっと奥へ移動した方がいい? ――音がでてしまうかも。
じゃあこのまま? ――棚を一つずつのぞかれたら、すぐに見つかっちゃうよ!
いい案が浮かばずエリオットを見上げれば、彼は唇の前で人差し指を立てる。
『大人しくしていろ』多分、そう言っているのだと思う。だけど、それじゃあ――。
近づいてくる足音。
確実に聞こえやすくなっている声。
人の気配をすぐ隣の書棚で感じて。あたしはもう駄目だと、目をつぶった。
「――なあ、やっぱり気のせいじゃないか?」
一人が言った。
足音がピタリと止まる。
「俺、ここ苦手なんだよ」
「だよな。俺もだ」
同じ声が言葉を続け、すぐさま賛同の声が上がる。足音は止まったままだ。
「だが、万が一だな――」
「万が一なんてないさ。うちのセキュリティを考えれば、最深部であるここには誰も来れやしないって」
「お前は心配しすぎなんだって。それよりかここに長居して、気持ち悪くなるのはイヤなんだよ」
風向きが変わった。
『早く帰ろうぜ』という声。それに賛同する声と、躊躇う声。
書棚の向こうの三人はまだ話を続けている。
「とにかく長居は反対だ。ここにはアレがあるんだから」
「アレ? ああ。……例の品のことか」
「気味が悪いんだよ、アレは」
「魔法の道具――そう言われても、近づいたら具合悪くなるしな」
「それは否定しない。脱力感に見舞われた事は俺もある」
「だろ? ならさっさとこんな場所離れようぜ」
「これだけ離れていれば大丈夫だろう?」
「いーや。わかんねえぞ? なんてったって、得体の知れないモノである事は間違いないし。お偉いさん方はアレを有効活用しようって腹だが、俺は捨てるべきだと思うね」
「おい、口が過ぎやしないか?」
「アレの調査で俺が三回ぶっ倒れてんの知ってるだろ?」
三回も倒れる? そんなに危険な物なの?
あたしは眉をしかめて、話に聞き入った。
「誰が近づいても脱力感に見舞われる――上層部ではマナを溜め込んでいるって見解だったな」
「ようするに、俺達はマナを吸い取られてんだろ? 具合も悪くなるし、胸糞悪い話だ」
「確かに。マナを吸い取られたりしたら、一度だって魔法が使えなくなるかもしれないしな」
「全く、冗談じゃないぜ。訳の分からないまま、ヴァリュアブルじゃなくなるかもしれないなんて」
不満を漏らす一人に、残りの二人が段々と同調してゆく。
「あーやだやだ。こうしている間にも吸い取られてるかもしれないぜ?」
「それはたしかに嫌だな」
「だろ? そうと決まれば、さっさと行こうぜ」
「そうだな。全然物音も聞こえないし、きっと気のせいだったんだろう」
足音が遠ざかっていく。
話し声は徐々に聞き取りづらくなってゆき、やがてそれらもほとんど聞こえなくなって。
ガチャンと扉が閉まる音が響くと、その後は何も聞こえなくなった。
書庫に完全な静寂が戻ってくる。彼らは立ち去ったのだ。
大きな音さえ立てなければもう大丈夫。
あたしはそう思って、エリオットを見上げる。彼も一つ頷き、あたしはほうと息をはきだした。
「危なかったね」
「ああ。だが、おかげで良い情報を聞けた」
「魔具がここにあるって話?」
「それもだが、彼らは『マナを吸い取られる』って言ってただろう? つまり、マナの流れつく場所に魔具があるってことだ」
なるほど。
マナの流れが見えるエリオットにとって、それは物凄く分かりやすい道しるべだった。
「また誰か来ると面倒だ。急ごう」
あたしは頷き、周囲を見回した。
一体魔具はどこにあるんだろうと、僅かに感じるマナの流れを追って目を凝らす。
エリオットがあたしの目の前に手をかざした。
え? 何? と彼に視線を向ければ、その手が視界の端から消え、そっとあたしの手を握った。
ドキリと心臓が跳ねる。
「……これなら、怖くないだろう?」
ぽつりとつぶやく。
明後日の方向を見て、あたしを見ないままに。
側にいるから見える、赤くなった耳。
色白だから目立つ頬の赤みも、照れている証拠だった。
……ああ、もう。
本当に変わらない。
きっと彼は無自覚なのだ。自分がどれだけカッコ良くって、優しいかを知らない。
そっけない癖に、よく気がついて。照れ屋なのに、その気持ちを押してまで温かい優しさをくれる。
小さかった頃なら、ありがとうってギュっと彼を抱きしめただろう。
照れるのをからかって、可愛がって。そんな彼の優しさに幸せを感じて。
今は、どうなんだろう。
心臓の音が早くなっている。
なんだが身体も熱くて、エリオットを直視できない。
自分から抱きしめるなんて、とてもじゃないけど無理だった。
彼は何も変わっていないのに。
同じ行動が、言葉が。あたしの心に違った響きを与える。
今までは感じなかった緊張と期待。
変わってしまったのはあたし? それって。
くいっと、手を引かれて。
あたしはハッとしてエリオットを見る。
顔が赤くなった自分を見て、彼がどう思うか不安なのに。彼はあたしを見て笑みを深め、『行こう』と歩きだす。――あたしの手をしっかりと握ったまま。
ぽわんと、心の中が温かくなって。それがくすぐったくって。
あたしは小さく笑って、そっと彼の手を握り返した。
◇◆◇◆
書庫の探索を始めてしばらく経った頃。
エリオットがマナの流れを捕えた。彼は迷いなく歩みを進め、いくつもの書棚をすり抜ける。
ほどなくして目的の場所へ到着した。
沢山の書棚が立ち並んだ、本当に奥の奥。壁に合わせて立っていた書棚もない、無機質な壁の前にポツンと置かれた台座。いかにもといった装飾と、その四方を囲むのは規制の為のロープ。
台座に置かれているのは水晶。
色はほぼ黒と言えるほどの、禍々しい濃さを保った深い青。
奥の見えない色はなんだか不気味で。なのに、引きこまれそうになる。
「――なるほどな。これだけのマナがあれば大勢の兵士を送り出せるだろう」
エリオットにその意味を乞う。
そもそもマナの保有量の少ないアコットの人は、マナの証明が少なくて済む。それに加え、もう魔法が使えないほどマナの少ない人間を移動させるなら、その消費量もごくわずか。大量の人間を移動できるという。
「あたしたちが囲まれた時ぐらいの人数?」
「いや。もっとだ。――まあ、アレは恐らく幻影だったはずだがな」
思わぬ話に大きな声が出た。「幻影!? ウソ!?」
エリオットが「静かに」と人差し指を立てる。
「ガーディーは人を扇動するタイプではないし、ファーブルからアレだけの人数を送りだすには相当のマナがいる。あの時、ハッキリとは分からなかったが、恐らく間違いないだろう」
「幻の兵士……全然、気付かなかったよ……」
「呪魔法は精神に作用させる。心を揺さぶる方法として使ったんだろう」
「じゅ、呪魔法って怖いね……」
なんだか自分の頭をひっかきまわされるような感覚がして、ブルリと震える。
あの時一人じゃなくてよかったと心底思った。
「結論から言って。ファーブルに攻め入るって話も、あながち空想じゃあないみたいだな」
「例えそうだとしても戦いになれば、圧倒的に不利じゃない?」
だって魔法が使えないんだもの、と続けければ、エリオットは首を振った。
「そうでもない。アレンに見せてもらったあの武器。ああいうのが沢山あるのなら、こちらも苦戦するだろう」
「消耗戦、よね」
「ああ。結果ファーブルは負けやしないだろうが、痛手は被る」
お互い、何の得もない。意味のない戦い。
「結局、この入れ知恵をした奴が得をするのだろう」
「ガーディー、ってこと?」
「そう。――だが、こんな事をする理由が分からない。ウェイン様を害する目的としても、遠まわりすぎるし、どう考えても成功率は低いだろう」
エリオットは少し考える素振りを見せた後、小さく言葉を唱えた。
水晶の周りが四角い箱に囲われる。魔法だ。
「何をしたの?」
「マナを吸われないよう、壁を作ったんだ」
「へぇー」と、改めて水晶を見る。
途端、水晶が怪しく光りだし、ジュッと何かを吸った。モヤのような何かが箱の中に漂う。
エリオットが「やはりあの時見た魔具と同じものだな」と、つぶやいた。
「これを作れるのはアイツしかいない……」
だが、何の為に?
結局、疑問はそこに行き着いてしまう。
目的の分からない、ガーディーの行動。
以前レイを害するような発言をしていたが、今回の方法は現実的ではなかった。
しかも彼は王座を狙うような性格ではないと、レイもエリオットも言っていた。
他人には無関心という話なのに、転移魔法陣を作ったり、アコットに魔具を与えたり。その行動は無関心とは程遠い。――じゃあ、本当は無関心ではない?
気まぐれ、という可能性もある。
行動が、目的が不明なのはそれで説明できる。
だけど、それならなぜ、エリオットを襲ったのだろう?
煽るように謎かけのような言葉を残し、自分を追うように仕向けて。
「……目的は、あると思うの」
彼を追ったその先で見つけたものは、ファーブルの現状。王や騎士、魔法に依存し過ぎた人々の自立心の低下。彼は国を憂いていたのだろうか?
もしそうなら、レイやエリオットがそれに気がついた時点で彼が行動する意味はなくなる。それなのに、今度はアコットに魔具を与えた。彼はまだ、目的を達していないということだ。
「……あいつは、俺達に何をさせたいんだろうな」
エリオットが魔具を見た。
箱の中のモヤはいつの間にかなくなっていて。水晶の色が、心なしか深くなったような気がした。
――と、その時だった。
「――本当にやってくるとはな」
突然、感じた気配に勢いよく振り返る。
冷めた紫の瞳に黒のローブ。フードからこぼれる銀髪は、凍てつく氷の矢のようだ。
心に残る恐怖と。冷たい美貌と。一度見たら、決して忘れない。
そこに、ガーディーがいた。
お読みいただきましてありがとうございました!




