26.それだけで十分
夢の終わりを告げるように、レイの声が庭に残った。
知っていた。
理解しているはずだった。
リアムとエリオットは違うと、きちんと分かっているつもりだった。
二人は似ても似つかない。
髪の色も、瞳の色も。声も、性格も。
リアムの方がもっと子供っぽかったし、我がままで。エリオットの方が物知りで、時にあたしを諭す事も出来た。
だけどあたしはエリオットを可愛がり、大切にして、守った。
それはリアムにするのと、全く同じように。
ゆっくりと、抱きしめていた腕を解く。
もう二度と得られない温もりは愛しくて、胸が引き絞られるように苦しかった。
離れたくない。傍にいて。我が儘な、あたし。
「ティア……」
エリオットの声に複雑な響きを感じた。
その中に拒絶のような想いが含まれておらず、あたしは一人安堵する。
――あたしは正しく知っていた。
魔法が発動する条件は、強く、その事象を願う事だと。
弟を守りたかったあたし。次こそはと願ったあたし。
何年も眠り続けるリアム。
あたしは弟がこのまま眠ったままだと知っていた。真実は別にして、当時はそうなのだと諦めていた。――そう。一方では諦めていたくせに、ちっとも諦めていなかったのだ。
矛盾した願い。それは歪んだ魔法として偶然エリオットに振りかかる。
無意識だったなんて、そんな言い訳は出来ない。願ったのは間違いなくあたし自身。
「リオは……」そう呼びかけて首を振った。
今はもう、そんな風に呼んで良いのかすら分からない。
だからあたしは静かに問う。「貴方は……誰」と。
エリオットが大きく目を見開いた。
あたしのこの言葉こそが、本当の彼を見ていなかったのだと知らしめる、唯一にして、最大の言葉だった。
傷つけた。間違いなく、エリオットを傷つけた。
ごめんね。ごめんなさい、リオ。
弟じゃないと、何度も言ってくれたのに。あたしは彼を通して、弟を見ていた。
エリオットを大事に思っていたのは本当。嘘じゃない。本当の本当。
だけど、彼の存在だけをかと問われれば、今は自信を持って頷く事が出来なかった。
エリオットは長く溜息をついて、頭を振った。
その一つ一つの動作が、あたしを振り払っているように見えて悲しくなる。
そして彼は顔を上げた。
「俺の名はエリオット=マーカム」
知っている。
分かっている。
だけど見えていなかった、リオ。
ずっと傍にいてくれたのに。支えてくれていたのに。どうして、見えていなかったの。
「ファーブル王国国王、ウェイン=レイ=ファーブル陛下の側近であり、騎士。二つ名は『王の隼』」
ぼやける視界。頭を振って、目を伏せる。本当に泣きたいのは彼の方。
守っているなんて、とんでもない。あたしは、彼に迷惑をかけただけ。
ほろりと落ちた涙を、エリオットの小さな手が拭う。
優しい。あたしはお姉ちゃんじゃないのにと声を出そうとして、彼はあたしを姉だと思った事はないと言っていたのを思い出す。
彼を、見なくては。
伏せた顔を上げてエリオットを見る。
焦げ茶色の髪はふわふわで、柔らかくて。
意志の強い琥珀色の瞳は、ちょっぴりつり目。
ハッキリと物を言う口元は――……何故か、笑みを浮かべている。
……どうして?
目を瞬いてそう思った時。エリオットが手を伸ばした。
小さな手があたしの指先を包む。
握手とはまた違う。壊れ物を扱うようにそっと。肩にブランケットをかけてあげる時のような優しい触れ方。その手はゆっくりとエリオットの方へと引き寄せられてゆき、向かい合う二人の真ん中まで持ち上げられる。
茫然とその手を見つめるあたし。
彼はクスリと笑い、目を伏せる。そして握った手を恭しく額まで持ちあげた。
――まるで騎士が忠誠を誓うかのように。
「――そして。俺はティアナの騎士、エリオット=マーカムだ」
エリオットが顔を上げる。
「――そうだろ。ティア?」と続けて問うくせに、口元には自信に充ち溢れた笑みが浮かんでいる。
答えはもう分かっていると書いてあった。
「――……」
彼は、何も変わらなかった。
初めから傍に居てくれて、支えてくれていて。
心配するな、大丈夫だと、あたしを守ってくれた彼は、ずっとずっとエリオットだった。
あたしはこの笑顔に、小さな背中に。何度助けられたのだろう。
路地に追い込まれた時。ご飯が食べられなくなるなんて、あたしを笑わせてくれて。
夢見が悪かった時。ガーディーに襲われた時。ファーブルまで追いかけて来たあたしを、厭わずに抱きしめてくれた時。
蘇る記憶は暖かくて優しい。幾度も立ち止まるあたしの手を握り、時に、背中を押してくれる。
辛かった記憶で落ち込んだ時もそう。もう、数えきれないほど。いつもいつもいつも。沢山。
あたしが彼と弟を重ね合わせていたと知ったのに。変わらず、今も。
「リオ!!」
あたしは膝をついてエリオットを抱きしめた。
「ごめん、ごめんねっ……」
「謝るような事じゃないだろう?」
「でも……!!」
「ティアがアコットにいる間、守ってくれたから、俺は今ここにいる」
「そんな、あたし、なにも……」
エリオットが首を振る。
「いいや。ティアが、俺を、守ってくれていた」
――ありがとう、ティア。
大人びた笑顔。慈しむような微笑み。
この笑顔を誰と重ねていた? ううん。同じ人なんて見つからない。
――全然、弟になんか見えないよ。
風が巻き起こった。
夏の温かな空気と満ちる月明かりが混じり合い、温もりと優しさに包まれた光があたし達を中心に放たれる。
心地よい陽だまりのような温かさと、薫風を思わせる優しい香り。
何か楽しい事が始まるような、幸せの予感。泣いているのは場違い。そんな気がするのに、止まらない涙を流しながら、あたしはぎゅっとエリオットに抱きついていた。
彼の手が眼元を拭う。
柔らかな小さな手を思い出しながら、ニッコリ笑ってその手に身をゆだねる。
変わらず与えられる優しさが嬉しかった。幸せだ、って思った。
「――解けたな。魔法」
ホッとしたレイの声が耳に届く。
よかったと、あたしも腕に力を込めた。
エリオットの手はあたしの涙を拭い、ゆっくりと髪を梳く。
くすぐったい。頭を撫でられているような感じがして、なんだか甘えたくなる。
弟じゃないから甘えても良い? あ、でもあたしの方が年上か。関係ない。だってエリオットなんだもん。
そんな自分勝手な言い訳を考えながら目を閉じて甘えていると、手は流れに沿って背中に辿り着く。
ふと、違和感に気が付いた。
感じるのは子供特有の温かさではなく、力強さ。
背中にピタッと付いているはずの小さな手の感触はなく、二人の身体を支えているのがエリオットだと分かる。
魔法。
彼は魔法を使ったの?
「――リオ?」
不思議に思って顔を上げる。
やっぱり魔法を使ったのだと分かり、ホッとしたのも束の間。あたしは首を傾げる。
声、聞こえなかった。
「え、あれ、んん??」
「どうした、ティア?」
「リオ、魔法?」
「魔法?」
使ってないぞ、という言葉にピシリと固まった。
大人びた顔。低い声。頭一つ分見上げる程の身長差に、力強い腕。
エリオットが唖然としているあたしを眺める。
月の光で金色にも見える琥珀の瞳。その中に映るあたしの姿。
瞬きも、驚いた表情も、全て囚われていて。本当の意味でお互いがお互いを認識した瞬間――
「ええええええええっ!?」
「どうした?」
「ど、ど、どうしたって!? それはこっちのセリフ!! どうしてそんなに冷静なの!?」
「?? 意味が分からない」
頭が追いつかない。
なんでなんでなんで。
リオはリオだけど。ちょっと、待って。
当の本人は「何をわめいているんだ」とばかりに、眉間にしわを寄せた。
そんな姿も以前と変わらずで、目の前にいる彼が確実にエリオット本人だと理解させられる。
ボンっと一気に顔が茹で上がった。
つまり、今あたしは。その青年エリオットに抱きしめられている。
「と、とりあえず、は、離してほしいなっ」
「珍しい。ティアからそんな事いうなんて」
「そっ、そんな事無いと思いますけど?」
「何故敬語?」
慌てるあたしに、エリオットは何か閃いたのか、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ティア、手」
言われるがまま手を差し出すと、彼も手を出した。
小指が絡む。
優しく、包み込むように。それでいてキュッと。
次は薬指。そっと指の付け根を撫でて、ゆっくりと手のひらを合わせる。
中指、人差し指、最後に親指。隙間なくピッタリと合わせられた手。温かい。大きい。以前はあたしの方が包み込める程小さな手だったのに、今は逆。
前も一回だけ、こんな風に手を握った。あの時は何か悩んでいる様子だったけど、結局理由は分からずじまい。――だけど。
今は。いま、は?
「っ!!」
「ん? どうした?」
「『どうした』じゃなくて!!」
みるみるうちに体温が上がる。
だって、これ。
低く唸るような声を上げながら、顔をそむける。
見ちゃいけない。絶対に。これは考えてはいけない案件だ。
エリオットがククッと低く笑い、手を緩める。
その瞬間を逃すまいと距離を取ろうとして、背後の椅子に引っ掛かった。
「きゃあっ!!」
「危ない!!」
思い切り引き上げられ、勢いのままエリオットの胸に飛び込む。
もうこれ以上ないっていう程、上がっている体温が更に上昇してパニックになる。
「もーヤダー!!!」
どうして良いのか分からずエリオットの胸を叩けば、彼は大笑いした。
それがあんまりにも楽しそうで、嬉しそうで。あたしも怒っているはずなのに、自然と笑えてきてしまう。
難しく考えなくていい。一人で悩まなくていい。――もう、大丈夫。
二人で額を合わせて笑って。大笑いして。
レイが「一件落着」と声を出すまで、王妃の庭には笑い声が響いていた。
◆◇◆◇
翌日。
目をぱちくりさせているアレンを置いといて。エリオットはレイに出立の挨拶をしていた。
「気を付けて行け。まあ、今のお前には無用な心配か」
「いえいえ。有り難く頂戴いたします。――ウェイン様も、お身体に気を付けて」
「ははは。わたしは庭仕事しているだけだからなあ」
「だからですよ。熱中症」
「たしかに!」
二人が並ぶと友達みたいだった。いや、みたい、じゃなくて、本当にそうなのだろう。
歳は親子ほど離れているけど、そんな事は関係ない。レイとエリオットだから、という理由で十分。
「ティアナも気を付けて」
「うん。レイ、ありがとう」
「こちらこそ。エリオットをよろしく頼むよ」
「もちろん! 任せて!」
だからあたしが彼を守りたいと思う理由も、彼がエリオットだからだけで十分なんだ。
弟とか年下とか、そんなの全くどうでもいい。大体、弟でも年下でもないし。
「守るのは俺の役目じゃないのか?」
自分に向けられた低い声にドキリとする。
今までとは違う声。でも聞きけばすぐに分かる大事な声。
横を見上げれば、小さな頃の面影を残したエリオットがいる。
正直、まだ慣れない。
中身は同じだと分かっているのに、どうも緊張してしまう。
「あ、あたしが守っても良いでしょ?」
「……無茶さえしなければ」
「うーん……それはどうかな」
「いや、そこは『はい』と返事すべきだろ」
相変わらず嘘が下手だなと、苦笑するエリオットにえへへと笑う。
ちょっぴりぎこちないのはバレてしまっているようで。彼は軽くあたしの頭をぽんぽんと叩く。
「心配するな。必ず守るから」
「うん」
頼りにしてます。あたしのボディーガードさん。
そう言って笑えば、エリオットは目を細めて「任せろ」と言った。
「――では行って参ります。ウェイン様」
「いってきます、レイ」
「ああ。気を付けてな」
温かな花々が咲く庭で別れを告げ、あたし達は歩き出す。
「……ファーブル、マジすげぇな」
詳細を知らないアレンの呟きに、顔を見合わせて笑いながら。
お読みいただきましてありがとうございました!
ここで二章終了!次は最終章です!がんばります(*^_^*)




