21.精霊の愛し子
夕方、エリオットが目覚めた。
「リオ!!」
あたしはイスから飛び跳ね、エリオットに抱きつく。
暴れたって、離せって言われても離さない。あたしがどれだけ心配したか、思い知ればいい。
「テ、ティア!! 皆が見てる!!」
「それが何?」
「なに、って……!」
「置き手紙一つで姿を消して、そんでシュートの家で倒れて。メリルお婆さんに迷惑かけて、レイにまで来てもらって……」
まず、言う事が違うんじゃない? と、上から見下ろして言えば、エリオットはあたしの視線から逃れるように顔をそむける。
「そっぽ向いてる場合じゃないよ、リオ?」
「……悪かった」
「『悪かった』ですって? そこは『ごめんなさい』じゃない?」
「なっ!?」
「後は、みんなに聞こえるように言うべきだと思うの」
「……!!」
少し力の緩んだ腕をエリオットは勢い良く押しのけ、あたしから距離を取る。そして助けを求めるように傍に居る三人を見た。
「くはははは……エリオット、ごめんなさいだぞ?」
「シュウ!!」
当てが外れたとばかりに叫ぶエリオットに、「ティアナの言うのは尤もだな」「たしかに皆心配したからのぉ……、ここはひとつ『ごめんなさい』かのぉ」とレイやメリルお婆さんも言葉を重ねる。
「おばばまで……」
頭を抱えるエリオット。
ここは押さえるところなので、助け舟はない。
エリオットは深く溜息をついて首を振り、「すまなかった」と言った。
本当は相手の目を見て言うべきだろうけど、まあ、ひとまず良しとしよう。
そんな彼の謝罪から始まった再会だけど、話はすぐに核心へと移って行った。
「――エリオット、お前が何処へ行っていたかは察しが付いている」
そうレイが言い始めた時には、シュートとメリルお婆さんが席を外しており、室内は三人だけになっていた。あたしとエリオットがベッドに腰掛け、その前にレイが座っている。
「申し訳ありません」
「お前が悪いわけではない。全てはわたしが招いた事」
会話に耳を傾けるあたしへ、レイの視線がゆっくりと向けられた。
何かを押し殺したような感情の揺れが瞳に浮かんでいて、硬く口が引き結ばれている。
躊躇いと決意。
その二つを見出したあたしは、黙って彼の瞳を見つめ返す。
「ねぇ、ティアナ。どうしてアコットは魔法が使いにくいのだと思う?」
「……マナが少ない、から?」
「何故、少ないと思う?」
続けての質問に、答えられない。分からない。
魔法は生涯に一度だけと教えられてきた。
途中、理論上は何度でも使えるという話を聞いたけれど、実際それを行った人はいない。
きっとマナが少ないから、という事は予想できるけど、そもそもの理由など知る由もなかった。
「ティアナ、それはね……」
「ウェイン様!!」
立ち上がったエリオットをレイは制し、ゆるりと首を振った。
エリオットが息を呑む。揺れる瞳はありありとレイを案じているのに、あたしにはその理由が分からない。
静寂が部屋を支配し、全ての動きが止まる。
三人も人がいるのに、衣擦れの音はおろか、呼吸音も聞こえない。完全なる静。そして――……
レイが、寂しげに笑った。
「わたしが、命の杯を傾けたからだ」
◆◇◆◇
命の杯。
それはマナを入れる器。聖杯。
聖杯から溢れるマナは国中に広がり、恩恵をもたらす。
「その聖杯を、ファーブルに傾けた」
結果、国に多くのマナが溢れた。
マナは全ての源。国は満たされ、全てのモノが豊かになってゆく。
そしてしわ寄せは、他所の国に現れる。
「代償を支払った国の名は――……」
アコット。
名を聞いて、あたしは目を伏せた。
ずっと不思議だった。
ファーブルはマナで満たされていて、何度でも魔法が使えて。片やアコットではマナは少なく、魔法は生涯で一度だけと言われていた事。
片方が満たされれば、もう片方は不足する。
分かってしまえば簡単な事だった。
「エリオットはそれを正そうとした。……だが、失敗した」
「…………」
エリオットが視線を落とす。
「申し訳……」
「お前は悪くない。全ての責はわたしにある」
エリオットの手に力が入る。
責任を感じている事がひしひしと伝わって来て、あたしはその手を包み込んだ。
――話は数十年前に遡る。
レイが即位し、アリーシャと仲睦まじく暮らしていた頃。
アリーシャが病に倒れる。体内からマナが零れ落ちる奇病を患ったのだ。
レイは手を尽くした。自身のマナを組み替えて注いだり、アリーシャの周囲にマナが零れぬよう障壁を張ったり。ありとあらゆる手を講じた。しかし、彼女の病は止まらない。
日に日に儚くなってゆくアリーシャを見ていられなかった。ずっとずっと好きだった女性。やっとの思いでつかまえたのに、早すぎる別れなど認められるわけがなかった。
「――そしてわたしは禁忌を犯した」
命の杯を傾ける。代償を知らなかった訳ではなかった。
――結果は変わらなかった。アリーシャを失い、茫然としている内にファーブル中がマナで満たされた。人々は使いやすくなった魔法を行使する。私欲の為に傾けた聖杯の恩恵は、民を富ませてゆく。
本当はすぐにでも杯を戻すべきだった。そうすれば一時的に増えたマナの供給は減り、自然と魔法の使いやすさも元通りになる。そう、わかっていたのに。
「……マナが満たされる事により、救えた命もあったのだ」
その光景を目の当たりにした時、今度こそ自分は間に合ったのだと思った。
杯を傾けた影響で底なしになったレイは、その有り余るマナで人々を手助けした。
物事の大小に拘らず、日常の些細な事までも。願われれば、何でも叶えていた。だけど、それは……
レイが薄く笑みを浮かべる。
弱り切った表情は自身の行いを悔いているようにも、今まで対処しなかった自分に失望を感じているようにも見えた。
レイのした事は悪い事じゃないよ。
そう伝えられたら、どれだけ良かったか。
歯痒かった。ただ彼は手に入れた力を皆の為に使っただけなのに、それが思わぬ方向に作用して。欲しかったのは人々の笑顔だけなのに、同時にそれが依存の助長という形で人々の力を奪ってしまった。
――悪い事、じゃないよ。
この言葉は、きっと気休めにしか聞こえない。
「――そしてエリオットは現状の問題に気が付き、聖杯を戻しに行った」
声をかける事も出来ず、レイの話が続く。
彼は「本来はわたしがすべき事」と言い切り、「だが――……」と、そう出来なかった理由を述べた。曰く、一度聖杯に触れた者は、再び触れる事が出来ないらしい。
「聖杯に触れられる者は王位継承権上位三名。王族が三名に満たない場合のみ、精霊の愛し子に権利が発生する」
つまり今は、レイの義兄であるズリエル。王女であるアリス。そして精霊の愛し子であるエリオット。この三名であるとレイは言いたいらしい。
「――ズリエルは杯を戻す事を良しとしなかった。後はアリスとエリオットだけだと思っていたのだが」
「俺は杯に触れられませんでした」
杯の姿は見たという。
何度も手を伸ばしたが触れる事は出来ず、その挙句、不思議な力で杯の傍から引き離されてしまったらしい。
「どうして……? リオは精霊の愛し子なのに?」
「分からない。俺自身に魔法がかかっているせいか、あるいは権利がないか」
「仮にエリオットに権利がない場合、一体誰にあるというのだろうか」
三人とも口を噤む。
分からない。ズリエルとアリスを除いても後一人、権利を持っている人物。それは一体……。
緩やかに時間が過ぎてゆく。
部屋に差し込んでいたオレンジ色の光は徐々に細くなって行き、代わりにと静かな闇が降りてくる。
全てを覆い尽くす夜の色は僅かに見えた光をも食らい尽くそうと忍び寄り、じわりじわりと勢力を拡大していった。
あたしは標を失わないよう必死になって手を伸ばす。
見聞きした情報を繋ぎ合わせ、自分の中に答えがないか意識を巡らせた。
王家に該当者がいればこんなに考える事はないだろう。つまり、その権利者は王家の人間ではない。となれば――……
「……一人、思い当たる人物がいます」
声に反応して、目線を上げる。
おもむろに口を開いたのはエリオットだった。
「……その人物は?」
「ロディ=クロスです」
「!! 騎士見習いの!?」
レイが身を乗り出す。ガタンと椅子を鳴らす彼を見て、あたしは気が付いた。
騎士見習い。それはアリスと共に姿を消した子供の事だ。
「見つけたのか!?」
「恐らく、という確証しか持てませんが」
「根拠は!?」
「彼はファーブルを知っていました。大気中のマナの組み換えを知っていました。出会ったのはアコットでしたが、知識だけで口にしている訳ではないと感じました。そして」
エリオットは一度言葉を切り、続ける。
「ウェイン様に伝える事はあるかと、訊ねたら『今更申し上げる事はないよ』と口にしました」
「…………」
レイの興奮が醒めてゆく。
期待の色を瞳に乗せていた分、あたしはその変化をハッキリと見てしまった。
やっと掴んだ手掛かりが、するりと零れ落ちてゆくその様を。
「そう、か……」
「はい。本人は違う名前を名乗っていましたが、今思えばそれも似ているかと」
「違う名前……? 彼は、今なんと?」
縋るようにエリオットを見たレイが問う。
あたしも思い当たる人物がいなくて、彼の方を見た。
エリオットがゆっくりと口を開く。
「……ロデリック=クロスリー。警邏隊……アコットでの騎士だと聞いています」
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