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14.冷えた心

 





 リアムが意識を失った日。

 あたしが弟を守れなかった日。

 あの日からあたしは矛盾を抱えたまま過ごして来た。


 指先から消えた温もり。

 あたしの指を掴んでいたリアムの手が、力なく濡れた地面に落ちたあの瞬間。

 心臓が冷たい水底へと突き落とされたように息も出来なくなって、自分の中から大切なものを(えぐ)り取られた感覚だけが残った。


 あの日、出かけるのを止めていたら。

 あの時、もっと注意を払っていたなら。

 あの瞬間、あたしが気を失わなければ――……。


 無力さを嘆き、周囲の言葉に耳を貸さず。

 迷いの森で(しるべ)を失った子供のように、見えない空を仰ぎ途方に暮れていた。


 あたしは怖かった。

 力とは現状を奪うモノなのだと、力そのものを恐れた。


 変わらずにいよう。

 特別なモノはいらない。力なんていらない。

 今ある日常が変わらなければそれでいい。


 もう何一つ、失いたくなかった。


 その間も協力しろと迫る人は多くいた。

 力ある者の義務だ、責任だと、彼らは声を上げるけど、じゃあ自分はといえば何もしていない。


 変わるのは彼らではない誰かで、日常を奪われるのも彼らではない。

 他者へと変化を望み、己はただ成果が上がるのを今か今かと待ち望むだけ。


 なんて身勝手なんだろう。

 自分の望む事を他人に押し付けて、己は何の行動もしないで。

 弟を守れず、今はもう傍に居てあげる事しか出来ないあたしに、彼らは首を横に振る。


 あたしは望んではいけないの?

 あたしは、あたしの願いを求める前に彼らの望みに答えなけらばならないの? どうして?


 ――そんなの、おかしいよ。



◇◆◇◆◇



 ゆっくりと瞼を開ける。

 薄暗い、部屋の中。沈み込む身体と、さらりとした感触で自分がどこかに横たわっているのだと気がつく。


 身の危険は感じなかった。

 静かだけど、張りつめたような気配もなく、自分に触れる寝具もきちんと手入れが行き届いている。

 見慣れた、自分に与えられている部屋。

 いつの間にと思い、起き上がろうとして。傍に人が居る事に気が付いた。


 うつ伏せなんて苦しいだろうに。

 ベッドの片隅に上半身だけを乗せて、エリオットが倒れ込むようにして眠っている。

 片腕を枕にして、両手であたしの手を握って。祈るように眠る彼はどうしてこんな風に眠っているのだろう?



「――あ」



 スッと身体が冷えた。

 直前の記憶を思い出し、視線を落とす。

 そうだ。あたしは……。


 エリオットが怖かった。

 彼もあたしに義務だと迫るのかと、あるかないか分からない力の為に、あたしとリアムを引き離すあの人達と同じなのかと。


 協力しろと迫る政府の人。

 義務だと声を荒げるヴァリュアブル。

 当然じゃないと囁く隣人たち。


 あたしには理解できなかった。

 自分が大切にしている事を差し置いて、そうしなければならない理由が。


 白い目で見られた。

 何で協力しないのだと、義務を放棄するなんてと。


 ますます、分からなくなる。


 大切な人達と共に過ごしたい。

 この思いはあの日より前も後もこれっぽちも変わっていないのに、どうして。


 思わず手に力が入り、エリオットが身じろぎをした。



「――ごめん、起こしちゃった?」

「……俺は眠っていたのか」



 顔を上げ、目を擦るエリオットを見つめる。


 苦しかった。

 皆の求めに答える彼。

 答えないあたし。


 息をする事が。存在する事自体が。

 彼の前に、あたしは居ていいのか。



「体調は……?」

「……うん。もう、平気だよ」



 失う事を恐れ、力を得る事を拒んでいたあたし。それでも変わって行く現状。

 自分の望む未来が欲しいから、手を伸ばす事を学んだ今。


 そう、あの時とは違うあたしがいる。

 むやみに変化を恐れ、立ち止まっていたあたしはもういない。


 ――だけど。


 あたしは冷たい人間なのだろう。

 あの時とは違う思いを胸に抱いても、彼らを支えようとは思えない。


 変化を望むなら、あなた達が行動すればいい。

 望むモノを手に掴む為、自分自身で選び取ればいい。


 他者へと声を上げ望み、そして押し付ける彼らに。あたしは差し伸べる手を持っていなかった。


 自嘲するような笑みが漏れ、それを見られない様、また下を向いた。

 同じ求められる立場に居ながらも、対極にいるあたしとエリオット。

 力があるから当然だと支えようとする彼には絶対知られたくない。



「ティア」

「ん? 何?」



 伏し目がちに返事をすれば、エリオットから予想しない言葉をもらった。



「――悪かった」

「え……?」



 ビックリして顔を上げれば、彼は真剣な顔つきでこちらを見ていた。



「ティアの様子がおかしい事に気が付いていたのに……倒れるまで、何もできなかった」



 すまない。と、頭を垂れるエリオット。


 意味が分からなかった。

 なんで。リオは何にも悪くないのに。なんで。



「や、やだなあ……。ち、ちょっと具合が悪かっただけなのに。あははは……」



 軽口で返してみる。

 だって、そうでしょう?

 エリオットが謝る様な事は何もない。


 それなのに彼は真剣な眼差しのままこう言った。



「――無理をするな。ティア」



 言葉が、刺さった。

 嘘を言えとか、誤魔化すなだったらいくらでも笑ってみせるつもりだったのに、短いその言葉はまるであたしの急所を突く様に、脆くなった心の壁を破壊する。


 やめて。

 心が悲鳴を上げる。



「……無理ってなぁに?」



 おどけるような言葉づかい。でも声が震えてしまう。


 彼は答えなかった。

 真っすぐにあたしを見つめて、瞳の中にあたしを映して。それだけで言葉を重ねられたような、頭を撫でられたような。

 最初に発せられた言葉に彼の思いの全てが溶け込んでいて、じわりと沁み入ってはあたしの心を溶かしてゆく。


 やめて。

 知られたくない。


 内心で背を向けるあたしに、彼は優しく手を伸ばす。

 甘い誘惑にも似たその手は温かそうで、全てを優しく包んでくれそうで。

 その手を取れば、きっとあたしはこの胸の内を吐きだしてしまうだろう。


 でもそれはダメ。

 弱い所は見られてしまったけど、醜い心までは知られたくない。

 こんな思いを抱えているのだと知ったら、リオはあたしを軽蔑するだろう。



「ひとりで抱え込む必要はないんだ、ティア」

「……抱え込んでなんか、ない」



 嘘が下手だと散々言われてきたけれど。

 言い切れば。そう、言い切ってしまえばそれは事実になるはずだ。


 あたしは必至で心の壁を立てなおす。

 その壁を壊そうとする優しい手を潜り抜け、一つずつ、一つずつ、ゆっくりと壁を作り上げる。


 お願い、隠させて。

 リオの知っているあたしでいたいから。

 リオに嫌われたくないから。


 なのにその手は同じ速度で壁を取り払ってゆく。



 問答が続く。

 遠巻きに詳細を聞き出そうとするエリオット。

 それを(かたく)なに拒むあたし。


 途中、早く話題を変えたくて、軽口を叩くようにしたあたしに、エリオットの口調も軽くなる。

 駆け合いは、重苦しい雰囲気からテンポの良いものに変わっていく。



「……普段は明るくてお間抜けなくせに。どうして肝心な所はこうも頑固なんだ」

「聞き捨てならなんですけど」

「ああ、聞き捨てる必要はないな。事実を言っているまでだし」

「そんなの事実じゃないもん」



 ここまでくれば負けられなかった。

 いくらエリオットが大人びていても、弟と歳の近い彼に諭されてなるものかと。


 年上の矜持、姉の意地。

 そんな考えが入り混じった状態で、エリオットを睨む。きっと結構な釣り目なはず。


 なのに彼はフッと表情を緩めた。



「ムキになるからバレバレなんだ」

「なっ!?」

「ほら、その反応がいい証拠」



 ――余裕の笑み。

 そう感じさせる表情は、ちょっと小馬鹿にしたような、年下を煽るような感じで。

 あたしは保っていた細い糸がプツリと切れるのを感じた。



「もうっ!! 大好きなリオには知られたくないの!!」



 言い切って、プイと横を向く。

 本当は何かを隠している事も知られたくないのに、どうして彼はこうも察しがいいのだろう。


 気を使ってくれている。

 あたしを見てくれている。


 それは意に沿わぬ事を願われ続けたあたしにとってどれだけ嬉しい事なのか。きっと彼は分かっていないのだ。



 一拍、二拍、三拍……。

 エリオットから反論がない。


 珍しい。いつもなら正論で攻めてくるのにと、不思議に思って彼を見る。


 エリオットは固まっていた。

 驚いたように目を見開いて、息を呑んで。

 彼だけが完全に時の流れから切り離されたように、ただただその姿勢を維持していた。


 視線が合うと、徐々に頬っぺたがバラ色に染まってゆく。

 少し、わななく唇。戸惑うように揺れる瞳。それを隠すように勢い良く顔をそむけ、片手で口元を押さえる。短い髪から覗く耳は真っ赤になっていた。


 ――可愛い。

 照れ屋さんのエリオットはすごく可愛い。


 無意識に口が弧を描き、余裕が生まれる。

 あたしはチャンスを悟った。



「ねえ、わかった? あたしはリオが大好きで大事なの。ここは大人しく引き下がりなさい」

「だ、大好きで、大事なら、何でも話してくれればいいじゃないか……」

「それは無理」

「だから!! なんでだ!」

「カッコを付けたい年上の気持ちを悟りなさい」

「俺の方が年上だ!!」

「はいはい」

「その言い方は分かってなっ……!」



 もうしゃべらせまいとエリオットを抱きしめる。

 慌てて暴れる彼を腕の中に閉じ込めて、悟られないよう深呼吸。彼の吐息が胸元にあたり、中からも外からも温められて早く打つ鼓動。


 ちょっぴり苦しいそれは、想い人に心を告げるような緊張と同じかも。

 そんな事を思いながら苦笑し、あたしは嘘偽りない言葉を紡ぐ。



「――子供とか大人とか関係ない。リオはリオ。あたしの大切な人」



 だから、嫌われたくない。



 腕に力を込める。軽口に隠された本心を悟られたくなくて、抱え込むようにギュっと。

 彼が顔を上げられない様に。瞳を覗かれない様に。お願いだから、今のあたしを見ないで。







『――(まと)え。誰もが気付かぬ(まぼろし)を』



 声と共に周囲から淡い光が現れた。

 驚いて少し力を弱めれば、いつか見た光が吸い寄せられるようにエリオットの周りへと集まって来て、身体は元より、指先や髪の毛の一本一本までを丁寧に包み込み始める。

 彼が、魔法を使ったのだと分かる。


 ――魔法を使って大丈夫なの?


 そう彼の事を思うのと同時に少し不安になった。

 感じる温かさで彼が腕の中にいると分かるけど、それでも心配で力を込める。――何処にも行かないでと、気持ちを込める。


 光が大きくなってゆく。

 エリオットと光の境目がぼんやりと溶け始め、彼自身も淡い光を放っているかのように、姿が光に呑み込まれて行く。――そうして、何故か。


 抱きしめている彼の質量が増した。



「リオ……?」



 抱きしめていたはずが、いつの間にか包み込まれる形になっていて。

 エリオットの肩に置いていた顔は、彼の胸の中に閉じ込められていた。



「耐えられる気がしない……」



 頭上からそんな声が聞こえてくる。


 いつもと同じ声。でも、少しだけ低い声。

 上を向くと青年になったエリオットが赤い顔をしたままこちらを見ていた。


 困った様なバツ悪そうな表情。琥珀色の瞳は戸惑うように揺れている。

 焦げ茶色の髪は変わらずふわふわなのに、プニプニほっぺは見る影もなくシュッとしていて、引き結ばれた唇は薄め。この唇で、緩く弧を描くように笑ってくれたらきっと素敵だと思う。――だけど。


 何か、ヘン。

 いつも見下ろしていたエリオットから、こんな風に見下ろされるなんて。



「……なんか、くやしいんですけど」

「これが本来の立ち位置だ」

「背伸びならず、魔法なんてズルイ」

「どうとでも言え」



 あの姿でいる方が、精神衛生上無理がある。

 そんな訳の分からない事を言うエリオットに首を傾げつつ、守られるように抱きしめられている現状はなんだか落ち着く。

 頼りになるエリオットが大きくなったから?

 小さい時は守ってあげたいと思うのに、ちょっと姿が変わったぐらいで現金なものである。


 過去、一度だけ見た事のあった姿をまじまじと眺めつつ、「横顔もカッコいいじゃない。未来は明るいなぁ」なんて、一人保護者気分に浸る。小さい頃が美少年なんだから、大きくなってもカッコいいに決まっていた。


 そんな時間も束の間。

 横を向いていたエリオットがこちらを見た。


 その顔には赤みが差していた頬も、戸惑う瞳もなく。

 微笑んでくれればきっと素敵と思った唇を、意志を持ってゆっくりと開けた。



「――ティア。俺に話して」








お読みいただきましてありがとうございます!(*^_^*)

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