13.リアム=ヴォーグライト
あたしの弟は良く出来た子供だった。
小さな頃はとてとてとあたしの後を付いて回り、まるでカルガモみたいだと言われていたというのに、七つになる頃は歳の離れたあたしをも言い負かすぐらい口達者なしっかり者になっていた。
「ティア姉さんが池に落ちるからだよ」
逆にあたしは鈍くて、弟が自分と同じ年頃になったら『姉さん』とも呼んでもらえないかもと、危機感を覚える。あたしは何をする時にでも『姉さんに任せなさい』と言葉に出していた。
両親が亡くなり二人で暮らす日々。
卵の殻がハンバーグに入っても。
洗濯機にポケットティッシュを入れて服がぼそぼそになった時も。
夏の草取りで、汗だくになって蚊に刺されまくった時も。
二人で騒いで、怒って、笑って。全部一緒にやり遂げた。
しっかり者のリアム。
お母さんには甘えん坊だと言われたあたしだけど、それでもあたしはリアムのお姉ちゃん。
弟が本当は寂しがりだって知っている。心細い時、そっと指先を握ってくると知っている。
あの日は雨だった。
傘要らずの姉弟といわれたあたしたちが二人揃って出かける日なのに、朝からバケツをひっくり返したみたいに土砂降りだった。
季節外れの大雨。
今思えば、出かけるなというお天道様のお告げだったのかもしれない。
「やっと傘が使える!」
「それ喜ぶところ?」
一目惚れして買った傘をさし、家の中でくるくる回っていると、リアムは八つとは思えない鋭い指摘を姉に浴びせてくる。
「いいじゃない! いつも出番がないんだし!」
「降られない方が良いと思うけどなあ」
濡れたら風邪ひくし。
そんな至極真っ当な事を言ってのける八歳児にあたしは唸る。
むう。ここは姉と一緒に雨を楽しんでも良いと思うの。
とりあえずお出かけを延期しなかったあたし達は、レインコートに長靴、お気に入りの傘を差して外に出た。
大粒の雨が傘に当たる。
音は歌に在る様な可愛らしい雨音とは程遠く、叩きつけるような激しいものだった。
傘は差してこそだと思っていたけれど、ちょっと可哀そうになってくる。もう少し優しい雨の日に使いたかったな。
灰色の空。降り続く雨。
いつもと同じ場所なのに目に映る景色はまるで違っていて。普段ならそれなりに人通りがある道も、今日はゼロ。
目的地へ向かうあたし達に雨の勢いは一向に衰える様子を見せず、晴れの日なら絶対寄り道する公園も、足を止める花壇も今日はお預けだ。
――晴れたらまた来よう。
リアムと、一緒に。
弟に声をかけようと振り返る。
足元に大きな水たまりが出来ているから、気を付けてと。
一瞬だった。
突然の衝撃。肺から逃げる空気。
お腹を押さえて蹲りそうになったあたしを無理やり引き立たせる何か。
「――姉さん!!」
リアムの声で、遠くなりそうな意識を取り戻す。
傘は無くなっていた。
雨粒が容赦なく顔に当たり目を開ける事が出来ない。
喉元に感じる圧迫感。背中に触れる硬くて冷たいモノ。
声の聞こえた方へと腕を伸ばそうとして、両手が拘束されている事に気がつく。
学園でも注意喚起されていた。
ヴァリュアブルには常に危険が付きまとう。
自分で自分を守れるように。自分を守ってくれるボディーガードを傍に置く様に、と――。
いざという時には魔法があるからと慢心するなと。
あたしは素早く相手の足を払う。
体勢を崩させた所で手の拘束を外し、相手の腕を持って地面に叩きつける。
足元の水が大きく撥ね、まだ濡れていなかった相手の服の色を変えた。
あたしは大丈夫。でも。
顔を上げ前方を見る。
リアムを連れ去ろうとする奴らを認め、すぐ反撃に出た。
相手は巨漢三人だった。
水浸しの服は重く、足元も悪かったけどこれぐらいなら大丈夫。
そう大丈夫大丈夫大丈夫――……
「……怖かった?」
全てを片付けた後。
リアムをギュっと抱きしめて、「もう大丈夫だよ」と囁く。
全身がびしょぬれで体温が奪われてゆく。
対抗するように心臓がバクバクと音を立てていて、その音が雨にかき消されますようにと願った。
弟の背中に回した腕が強張っているのが分かる。本当は腕だけじゃない。顔も、身体も、どこもかしこも息をひそめているように固まっている。
あたしはせめて指が震えないように自分の肘を掴んだ。
「怖かったのは姉さんの方だろ!!」
「違う。雨に濡れて寒いだけ」
震えている理由を誤魔化し、姉の面子を保つ。
本当は痛いし怖かった。
実践はちっとも慣れないし、逆に慣れたくもない。
それでもリアムに危害を加えようとする奴らには、絶対に負けない。
ヴァリュアブルのわりに狙われる回数が少なかったあたしは。
――詰めが、甘かった。
背後に立ち上った殺気。
自身を襲う衝撃と、そこからの切り返し。
今度こそ堕とした。危なかった。
安堵したのも束の間。次は自分の身体に力が入らない。
冗談でしょ。と思いながらも、冷静な部分では自分が大けがをしたのだと分かった。
霞む視界にリアムの顔が見える。
お父さんにそっくりな優しい瞳を酷くゆがませて、いつもは澄ました口元が大きく、忙しく動いていた。
声はもう聞こえなかった。
大丈夫だよと言いたかった。
声が聞こえないのは雨のせいだよと言いたかった。
心配させない為に、晩御飯の話をしよう。
今日はリアムの好きなハンバーグ。あたしも大好きだから、一緒に作ろうねって。
――次に見えたのはリアムのホッとした笑顔。そして閉じゆく瞳。
聞こえた声は見知らぬ人で、雨は上がっていた。
状況が呑み込めなくて、あたしはなされるがままに。
全ては――。
リアムが魔法を使って、あたしを治療した後だった。
いつもありがとうございます(*^_^*)




