12.義務
今日も街を歩き回り、昼時にはカフェの一角で腰を落ち着かせた。
エリオットはちょこんとイスに座り、足をぶらつかせたままテーブルの上で書き物を始める。
一生懸命文字を綴るその姿は愛らしいけれど、あたしは彼が何をしているのかが分かってからその姿を見るのが嫌だった。
あたし達は情報を集める傍ら、街の人々の声を聞いた。
『井戸水をくみ上げるのが大変』
『転移の魔法陣の数を増やしてほしい』
『欲しい品が欲しい瞬間に手に届く様にしたい』
などなど……
正直何それって思った。
井戸の水汲みはすでに重労働ではなく、マナの力で水が甕へと勝手に飛び込んでゆくようになっているし、転移の魔法陣は小規模の村でも最低一つ、街なら三つはあった。移動できる人数が限られているから待つ事もあるけれど、それは数分。待てない時間ではない。
欲しい品が欲しい瞬間に……なんて、夢のような事をいうのは、いい歳の大人だった。
そして何より驚いたのは、その要望を叶えようとメモを取っている人がいるのだ。
エリオット。
彼は街の人の声を聞き取り、これらの要望に答えるつもりなのだと。
それが自分の役目だと言っていた。
あたしは首を傾げた。
果たしてこれらはエリオット――つまり、国に叶えてもらうような事柄なのか。
自分たちでなんとか出来ないのか。彼らには魔法だってあるのに、と。
少なくともあたしにはこれらの要望が単なる我が儘に聞こえた。
「こういう要望は叶えなくてもいいんじゃない……?」
あたしが指差した案件は『畑の草取り』。
なんでもこの土地は肥沃ですぐに草が生えてしまうのだとか。
だけどそれって、自分の畑なら自分で手入れしたらいいだけじゃないと思ってしまう。
「持ち主のマナの量が少なくて、一度で駆除できないんだろう」
「残った分ぐらい手で抜けばいいじゃない」
「手で? 大変じゃないか」
「そ、そうだけど……」
なんだろう。
言っている事は理解できるのに、なんだか腑に落ちない。
あたしの言いたい事が上手く伝わっていない気がした。
そんな気持ちを抱えながらこっそり見に行ったその場所は、確かに草が生え放題だった。
でもそれだけ。夏に二週間ぐらい草取りしなかったらウチの庭もこうなる。
エリオットはこの場に人の派遣を決めて、畑の持ち主は縁側で昼寝をしていた。
一度気が付けば、些細な引っ掛かりは必ず目に止まる。
要望は日常のほんの小さな出来事が主で、その殆どが自分でやろうと思えば出来る事ばかり。国が動かなければならないような重要な案件は出てこない。
けれど彼らは動かない。
王様が、お国の騎士様がなんとかしてくれると、今日も笑いながら怠惰に過ごす。
震えた。これが普通だと表現できるなら、あたしはこの世界に違和感を覚えない。
「なんで、ここまで……」
動かなくとも、欲しい物が欲しいだけ与えられる。
衣食住すべてが満たされていて、王様は優しく、騎士は真面目でささやかな願いも叶えてくれる。
己が行う事はただ一つ。希望を口にするだけ。
それはまるで両親の愛を一心に受け入れる赤子のような待遇だった。
どうして?
どうして彼らは何もしないの?
マナが尽きたら諦めて。
マナが足りなければ騎士や国に縋り。
マナがあるのに、自分は動かない。
創意、工夫、努力。
得る為の行動を何一つ自分では取らず、他者へと安易に望む。
その様子は王都に近いほどよく表れていた。
「力有る者が無き者を助ける。これは義務だ」
何言なくエリオットが放った言葉に耳を疑った。
誰が、無き者?
ファーブルにはマナが溢れているのに。皆、魔法が使えるのに。
身体も健康で、手足だって十分動かせるというのに。それなのに。
「義務……?」
震える心から声を絞り出す。
義務義務義務。
「ああ。民の願いを叶えるのは騎士の務め」
『お前は治癒魔法を使った子供の血縁だろ!? だったら当然じゃないか!』
過去に投げつけられた言葉。
どうして。
貴方だってヴァリュアブルじゃない。
どうしてあたしに押し付けるの。
「俺には力がある。助けるのは義務だ」
『お前には力がある! 協力するのは義務だ!』
――……あたしには力なんてない。なのに。
義務。
この言葉は強制と何が違うんだろう。
「ティア?」
心配そうに自分を見上げるエリオットが怖かった。
リオは、エリオットはあの人達と同じ?
心臓が激しく脈打つ。
久しく見なかったあの夢が蘇る。
『リアム君を我々のところに――』
いやだ。
リアムはあたしの弟。
力があっても、なくても。
あたしの、弟。だから――……!!
「リオ、あたし、は」
ひゅっと喉が鳴る。
息が上手く吸えなくて、プツリと目の前が真っ暗になった。
◇◆◇◆
ティアナが倒れた。
俺と話している途中で顔色が悪くなって、気遣った時にはもう遅く、彼女はガタガタと震えながらフッとその場に崩れてしまった。
頭が真っ白になる。
それでも身体は反応してくれて、なんとか彼女を支える。
意識の無い身体は重たくて、子供の姿では満足に抱えてやる事も出来なかった。
心臓が動いている事にひとまずホッとし、だが早く安全なところで休ませたいと、大気中のマナを紡ぐ。
焦る気持ちを抑えて、冷静に。転移に失敗したら成功するまで何度でもやってやる。
決意を胸に転移魔法を発動させる。
幸い一度で成功し、無事城へと帰還した。
与えられた部屋にティアナを横たえ、苦しそうな表情をする頬に触れる。
夏なのに頬は冷え切っていた。風邪ではない。心から来る悪寒だと悟った。
「ティア……」
呼びかけに彼女は答えない。
――ファーブルに来た疲れが今出たとでも?
まさか。もう何日経っていると思っている?
ほんの少し、異変を感じ取った先日。
それでも傍に居さえすれば大丈夫と高を括っていた自分。
いつかのようにきっと話してもらえると、一体何の根拠があって安心していたのだろう。
扉がノックされ、王が入ってきた。
俺に分かるようにしたのだろう、王のマナを纏ったそれは幻術だった。
幻の王は心配そうにティアナを見つめ、俺に報告を促した。
報告できる事は少なかった。
ずっと一緒にいた俺にすら原因が分からないのだから。
王の見立てでは心に負担がかかったのだろうと言っていた。
負担。
一緒に居て彼女の心を守れなかった自分に腹が立つ。
何が彼女の心を怯えさせた?
倒れた直前の事を思い出し、首を振る。自分が傷つけたなど、思いたくはなかった。
――それじゃあ、一体誰が。
俺はティアナの手を握り、そのまま額に当てる。
冷え切った指先。再会した時のように思い切り抱きしめ、彼女の心を温めたい。
俺にその資格があれば、今すぐにでもそうするのに。
――何を心に抱いている? ティア。
早く彼女が目覚めて、その憂いを奪ってしまいたかった。
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