7.庭園の主
「貴方はここで見ていなさい」
完全に油断していた。まさか、彼に魔法をかけられるなんて。
愛する妻との思い出の場所に軟禁され、途方に暮れた。
何故ここなのか、いや、考えるまでもない。
自分以外、誰も訪れる事のない、それでも寂しさよりも愛しさで満たされているこの場所は、私を留まらせる事に適している。
出よう、と思えば出られるだろう。
彼の力が強いといっても、この欲のせいで手に入れた力には遠く及ばない。
しかし一方で、無責任な考えが頭を掠める。
もう十分。十分じゃないだろうか。
身体は衰えずとも、心は年老いてゆく。
亡くした半身は願っても戻らず、欲してもいない力は手に余る。
誰か。誰かわたしを彼女の元へ。
ここは日当たりも良く、抜ける風はいつも優しく髪を攫ってゆく。
髪を押さえる君が見える。
頭を揺らす花の姿に翡翠色の瞳を細め、こちらの視線に気付いた君は表情を綻ばせる。
舞った花びらを戴く君はさながら花の妖精だと本気で思っていた。
永遠など、願ってはいなかった。
それでもわたしは。あの日がずっと続くと信じて疑わなかったのだ。
◆◇◆◇◆◇
目を開ければそこは青空だった。
ベンチで見上げた空と同じである事に安堵し、それでも一体何が起こったのか理解できず、混乱状態のままむくりと起き上がる。
手に触れたのはフカフカの芝生。目の前には種類も色合いも様々な花が沢山咲き誇っていて、それは、さっきまでいた場所とは違うのに、何故か同じような温かさを感じる花畑だった。
立ち上がり、芝生を払う。
冷静に、落ち着け、あたし。
ファーブルに来て何度も移動の魔法陣を使った。その経験から、先程の花壇にそれが隠れていたのだろうと予想する。
「遠くに飛ばされてなければいいのだけど……」
とにかく人を探そう。
城下に、エリオットの元へ戻らねばならないあたしは、ここが何処であるか調べなくては。
「――そこで、何をしている」
低く、怒りを含んだ声色で背筋がピンと伸びる。
背後から聞こえた声。無意識に止まった呼吸のせいか、心臓がうるさく鳴った。
「ここは立ち入り禁止だと知っての狼藉か?」
「違います!! ごめんなさい!!」
先手必勝!
怒っている人にはまず謝る!!
不可抗力ではあったが、ここが立ち入り禁止ならばこっちが悪い。
そう思ったあたしはすぐさま振り返り、腰を直角にして頭を下げた。
じわり、と嫌な汗が背中を伝う。こういう時は沈黙が一番つらい。
「……違うのか。ならどうして?」
幾分優しい声色になった相手へ、頭を下げたまま状況を説明する。
城下の花壇を見ていたら、こちらへ移動してしまったようだと。
勝手に入り込んでしまってごめんなさい、と。
そう伝えたら、相手は急に黙り込んだかと思うと、顔を上げて欲しいと言いだした。
ほっと心の中で溜息をつき、恐る恐る顔を上げる。
流れる金髪は高価な金糸のようで。こちらを見る深い青色は澄みきった海の色。
一目見たその姿は金髪碧眼の、物語に出てくるような人物を彷彿させるのに、髪はざっくりと三つ編みされ、手には茶色っぽくなったグローブ。如何にも『作業中ですよ』と言わんばかりに腕まくりされた腕は健康的に焼けていた。
「――――……」
男性の唇が動いた。
だけど声は聞こえず、あたしは首を傾げる。
すると彼は表情をくしゃりと歪め、片手で目を覆った。
「あ、あの……?」
「……――シャ」
「えっと、ごめんなさい? 良く聞こえなくて」
「アリーシャ……」
たった一言。名を、呟いただけなのに。
周りの花が共鳴するようにざわめき、あたしの心を撫でた。
陽だまりのように温かい幸せと。
吹き荒ぶ雪山に置き去りにされたような孤独と。
同時に訪れた感情の落差に、あたしの心臓は早鐘のように鳴り響く。
高鳴る想い。――息の止まる苦しさ。
愛おしい。――心の奥底からの切望。
意識せずとも分かるその鼓動から甘い想いが溢れているのを感じるのに、同じ音を立てながら底冷えする悲しみが滲み出てくるのも分かってしまった。
――声を、かけられなかった。
彼はあたしを誰かと間違えている。
そう分かっているのに、声を押し殺し泣いている彼にかける言葉を持っていなかった。
風が吹き、花を揺らす。
だけど花はもう謳わない。
それはあたしに出来る事は何もないのだと言われているようで。
胸が締め付けられるように苦しく、呼吸すら忘れてしまう。動けなくなってしまう。
何かしたいと思うのに動けない。
「――すまない。取り乱して」
しばらくして顔を上げた男性が、恥ずかしそうに笑った。
「君が――……とても妻に似ていたから」
「……奥様に?」
「そう。わたしの最愛の人に」
幸せそうに微笑みながらも、瞳の奥に寂しさを見つけたあたしはその意味を悟る。
「とても驚いたよ。妻のお気に入りの庭に、若い頃の妻そっくりの女の子がいるんだから」
「ごめんなさい。勝手に入り込んでしまって」
「いいや。これも何かの縁だろう。――君、名前は?」
「ティアナです」
「ははは、これは驚いた! 名前は娘にソックリだ!」
嬉しそうに笑う男性は、さっきまで涙を流していたのが嘘のように明るい声だった。
これが空元気ではない事を願わずにいられない。
「わたしの名前はレイ。この庭の手入れをしている」
金髪碧眼の男性――もとい、レイは庭を見ていかないかと誘ってくれた。
あたしも是非そうしたかったので、ニッコリ笑って頷く。
生えそろった芝生の上を二人で歩く。
広く取られた空間に点在する花壇には、様々な花が入り混じっていた。
名前を知っている花を見つけては嬉しくなり、知らない花を見つければレイに訊ねてみる。
アコットで見た事ある花も、初めて見る花も。皆、のびのびとしているのは、愛情を込めて手入れをされているからだと実感する。
「このお庭は何人で手入れを?」
「わたし一人だよ」
「ええ!? お一人で!?」
「そう。土いじりが好きなんだ」
レイは時折足を止めては花壇の脇に生える名の知れぬ草花を抜いた。
それはただ乱暴に抜くのではなく、優しく根っこから取り除き、土ごと包み込むように手を添える。そうしてから別の場所へと持って行くのだった。
「予定していたモノじゃないと、切り捨てるのは失礼だろう?」
この子達も可愛らしい花を咲かせるんだ。
そう言いながら案内された一角。
公園や原っぱでお馴染の小さな花達がちょうど満開を迎えており、まるで花束のように寄り添って咲いていた。
レイは手に持った花をそっと地面に置き、土をかける。
手折られるはずだった小さな花の蕾は満開の花畑の一員として迎えられ、嬉しそうに頭を揺らした。
そんなゆったりとした時間を過ごしながら、あたし達は話をする。
ファーブルの人とこんなに沢山話をしたのはシュートを除いて初めてで、それは楽しい時間だった。
ただ、よくよく考えれば、あたしは何をしているのかって事で。
レイには悪いけれど、あたしには秘密にした方がいい事情がいくつかあるし、決してお遊びでここにいるわけではないのだという事。
「あーと、レイさん? そろそろ帰ろうかなあって思うんですけど……」
「まだいいじゃないか。――もう少し、ね?」
すっかり打ち解けてしまったレイは大分砕けた口調でニッコリほほ笑む。
さわやかながらも有無を言わさぬ気配は、彼がここの支配者である事を物語っていた。
お読みいただきましてありがとうございました!(*^_^*)




