6.王都の花壇
『祭事に紛れて王に会う』
エリオットの作戦はこれだった。
ファーブルでは七歳になると、王様から祝福を受けるという古い祭事があるらしい。
現在、七、八歳であるエリオットがその祭事に参加する事は、王城に忍び込むより遥かに簡単で。
参加資格を満たしているかの審査も、幻術で別人を偽っていないかの確認のみで、提出した書類は呆気なく通った。
「……こうもあっさり認められてしまうと、それはそれで複雑だな」
普段から大人を公言しているエリオットは通過した書類を不満げに眺めていた。
この祭事というのは、年に一度とかそういった限定された儀式とは違い、不規則に行われている。
不規則というのは王様の都合に合わせているからなのだけど、じゃあ一カ月もの間、行われない時もあるのかと言われればそんな事はなく。それこそ毎日行われる時もあるらしい。
「……王様って、ヒマなの?」
「バカを言え。あのお方ほど多忙な人はいない」
子供を大切に思っていると評判の王様。
だからどれだけ忙しくても、祝福に来た子供が居れば、極力すぐに対応してくれるそうだ。
「祝福を受けられるのは当人だけ。ティアは城下の散策でもしていてくれ」
またもお留守番を言い渡されたあたしは、城へと向かうエリオットを見送り、城下を歩く事にした。
澄みきった青空に抜けるほど景気の良い声が上がる。
いたるところから談笑が聞こえ、購入品を乗せた無人の台車が人の隣をすり抜けてゆく。今日は所謂平日なのに、軒を連ねるお店は賑やかだ。
あたしは楽しそうと思いつつも、店に近寄ろうとはしない。
……と、いうのも、あたしはお金を持っていないのだ。
以前、あたしが持参したお金は使えなかった。
「国が違えば当たり前だろう」と呆れるエリオットに、「そだね……」と、面目丸潰れな気持ちでアコットのお金を仕舞い込んだあたし。
その後、買い物や宿泊などでお金を使う機会はあったものの、結局、物価などを理解出来ていないあたしがお金を管理する事はなく、エリオットと離れたあたしは公園でぼんやりしている他ないのだった。
「……納得いかないわ」
一人、愚痴をこぼしながらベンチに背を預ける。
雲一つない空を、鳥がゆったりと飛んでゆく。
頬をくすぐる風はさわやかで、気候は春の日の様に心地よい。
目線を正面に戻せば花壇が見える。
騎士の様な凛々しい姿を見せるササユリや、人目を惹く赤い薔薇。一面を黄色い絨毯にするマリーゴールドの花は自宅の庭先にもある。
(家のお花、大丈夫かな?)
自宅に咲く花達を思い浮かべ、ちょっと心配になる。
マメとはいえない自分の性格を考え、基本、手入れ不要な花しか植えていないけれど、真夏の太陽に照らされて萎びてしまう可能性はゼロではなかった。
『ねえねえ、このお花は何て名前なの?』
『これは、シオンよ』
『しおん?』
『そう。これは、遠くにある人を思うって意味があるの』
『へー! じゃあこっちは?』
『こっちはね――……』
思えば、花好きはお母さんだった。
暇さえあれば庭先に出て花を愛でる。
季節に合わせて毎年違う花を植え、一緒に手入れを楽しんでいた事を覚えている。その中にはお父さんも混じっていて。お父さんはお花なんて手入れした事ないし、そもそも花を色でしか区別していなかったのに、最終的には家で一番詳しくなっていたっけ。
対するお母さんはといえば、花の図鑑を買って来て、こっそり勉強していた。『お父さんには内緒よ』と、悪戯っ子みたいに片目を瞑って。
リアムが生まれて、家族が四人になって。
お姉ちゃんになったあたしは、自分の後ろをよちよちついてくる弟が可愛くて仕方がなかった。
二人でどろんこになって遊んだ時も、遊びに夢中で迷子になった時も。
もちろんマリカともたくさん遊んだ。
マリカとは同い年なのに、なんだかお姉ちゃんが出来たみたいで。叱られたりすることもあったけど、褒められるとすごく嬉しいのは今でも変わらない。
それから、それから――……
とめどなく溢れる想いは懐かしく、心が温かくなる。
当時は気がつかなかった日常は幸せそのもので、自然と笑みが浮かぶほど愛しかった。
ずっと続くと思っていた日常。
あの時は、この日常が失われるなんて考えた事もなかった。
あたしはベンチから立ち上がり、花壇へと歩みを進める。
可憐さを持ちながらも、周囲にもたれかかる事のない花を見て、マリカを思い出した。
小さくても、一生懸命伸びようとする花はリアム。二種類が寄り添うように咲いている花は両親。
黄色くて、元気のある花はジェシカさんで、ユニークな葉の形をしている花はアレンさん。あのミステリアスな花はロデリックさんだろうか。
そして。
真っすぐに、自分の信念のまま突き進むエリオットは――……
(――そうだ)
せっかくだから、ファーブルの花を覚えよう。
大切な人を思い浮かべた花の名前を知らないなんて、勿体ない。
あたしは花壇に近づき、目線を花に合わせる。
揺れる花からは甘い香りが漂って来て、自然と笑みが浮かんだ。
一つずつ花を見て、香りを楽しみ、立て看板に書かれた名前を心に留め。
少しずつあたしは花壇の奥へと進んでゆく。
最初は背の低い花壇だけだったのに、途中からは木も現れ始めた。
カラフルな花と緑の世界には沢山のマナが漂っている。
面積にしたらそれほど多くはないこの花壇の周りだけで、アコットの森よりもマナが多いと感じた。
『マナは生まれる場所に多い』
そう言っていたロデリックさんの言葉を当てはめるなら、ここには命に溢れているという事だ。
あたしはマナに手を伸ばしてみる。
真ん丸のマナは指に沿うようにするりと抜けてゆき、何事もなかった様にふわふわと浮いている。
その平然とした様子は、さも「捕まえられるなら、捕まえて御覧」と言われているように思え、対抗心に火がついた。
花壇を飛び越え、木々をかわし。シャボン玉を追いかける子供のように、夢中でマナを追いかける。それをいとも簡単にすり抜けてゆくマナは、手が届きそうで届かない星のようで、更にあたしを夢中にさせた。
マナが、高くなった木々の上を飛んでゆく。
あたしも負けじと木の隙間を縫って追いかけた。
風を切る度に舞い踊るマナは、吹き上げた風に乗る綿毛のように空高く飛んでゆく。
しばらく追いかけっこをしていると、視線の先でマナがパチンと弾けた。
キラキラと光りを反射するマナの欠片が、植えられていた花達に降り注ぐ。
花がすっと背筋を伸ばし、垂れていた頭が起き上がる。
心なしか、色も鮮やかになり、そよぐ風で明るい音色まで聞こえてきそうだった。
あたしはその光景に見惚れた。
マナが、命を分け与えたその美しさに。
「いいもの見ちゃった」
リオは見た事あるかな。もしないなら自慢してやろう。そして今度は一緒にみたいな。
そんな事を考えながら戻ろうと後ろを振り返り、なぜか視線を奪われた。
視線の先には花壇。
別段いい香りがするとか、見た事のない花ばかりとか、そういったわけではない。
だけど、手作りのお菓子の様な優しい雰囲気は、存在を主張する訳でもなく、ただそこに在るだけなのに、じんわりと胸の奥が満たされてゆく。
心温まる。というのは、こういう気持ちを言うのだろう。
そんな素敵な気持ちを分けてくれた花を存分に見つめ、折角だから名前も知りたいなと、改めて一つ一つを目に留めるよう視線を動かす。
手前から順番に、白、ピンク、クリーム。そして……?
――息を、呑む。
揺れる空色の花。
他の花に隠れていた、一輪の、あの、花は。
(――玄関に供えられていたのと同じ!?)
思わず身を乗り出した。
見慣れた、でも、名前を知らない花に手を伸ばす。
――瞬間。
身体が何かに引っ張られ、目の前が暗転した。
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