2.青年シュート
人間、本当に驚いた時は声が出ないらしい。
気が付けばあたしはその場に尻餅をついていた。
「ババア! いい加減にしとけ!!」
「いい加減にするのはお主じゃ、バカ孫が!」
威勢よく言い放ったお婆さんはこちらを見て「娘っ子さん、この馬鹿を仕置きするけぇ、ちょーっとまっとってな」と、微笑む。
……仕置き?
不穏な言葉にあたしは視線を上げ後悔する。
「だめ! 仕置き、絶対だめ!!」
こちらをギロリと睨む竜。
全力で首を振るあたし。
だから怖いのダメなんだってば!!
「おやおや優しいねえ……」
「優しいって言うか、死んじゃいます!!」
「大丈夫。ウチのバカ孫はそんなヤワじゃないけぇ」
ヤワって! そういう問題じゃない!!
繰り広げられる仕置きが怖ろしくて、尚も首を振るあたしに「……まあ、娘っ子さんの頼みやけぇ」と、お婆さんが呟く。
「シュート。今回は娘っ子さんに免じて勘弁してやるわい」
「ふん。何を勘弁されてるかわかんねえなあ?」
「減らず口が。……さあ、お前はお行き」
お婆さんの言葉と共に竜が動く。
今まで塊のようにまとまっていた体を空へと伸ばし、そして。
「きゃあああっ!?」
あたしの悲鳴を他所に竜は一直線に下って来る。
迫りくる竜。その先には――壷。
予め水が入っていたはず。
なんてどうでもいい事が頭を掠めた後、豪快に、それでいて水しぶきを上げる事なく、竜は壷に吸い込まれて行く。
「え、え!? 何!? 何が起こったの!?」
「……これがばあさんの水汲みだよ」
「水汲み!?」
「そ。こうやって見知らぬ人をからかって、遊んでんだよ」
「からかう次元が違うでしょ!?」と、半ば悲鳴のように声を上げれば、「苦情はばあさんに言ってくれ」とシュートは溜息をつきながら言う。
実際言われた通りお婆さんを見やれば、パチリと片目を瞑りウィンクしていた。どうやら彼の言っていた事は本当らしい。
突然シュートがびしょぬれになって、空に七色に光る竜が居て。
なのに今度は壷の中に入って……。これが、水汲み?
「……って。壷……壷の中身、どうなってんの?」
怖いもの見たさに言葉を発すれば、シュートが「見たきゃ見ろよ」と、言う。
あたしは頷き立ち上がろうとして……そして気がついた。
「……ごめん。腰抜けたみたい」
その後。
あたしは成り行きで、お婆さんとシュートの家に行く事になった。
「……ホンット、ありえねーし」
「いや、ありえるでしょ!! あれは!!」
竜が壷へと姿を消し、腰を抜かしてしまったあたし。
お婆さんは「ほっほっほ」と笑い、シュートは頭を抱えた。
『そんなに驚いてもらえるとは……嬉しいもんじゃ』
『嬉しいじゃなくて、迷惑かけんなって!!』
『人生、経験が大事じゃ』
『意味分かんねえよ!!』
喧嘩腰のシュートとおちゃめなお婆さん。
はたから見ればお婆さんを虐げる青年の図に見えるが、どうやらこれは彼らの通常運転らしい。
だって、あたし達を見た村の人が苦笑いしていたもの。
ちなみに。
壷の中はたっぷりの水で満たされていて、竜の姿は何処にもなかった。
「ったく……いつもあれで人を驚かして、その後始末すんの俺なんだぜ」
「まあ、確かに。気の毒、のような……」
「今日なんて、どこぞの娘に怒鳴られるわ、ババアに水ぶっかけられるわで」
「…………」
「ほんっと! 災難だよなぁ!?」
「ごめん!! ほんとに、ごめん!!」
全てが分かり、おぶわれている今。あたしには謝罪しかなかった。
だってあれを見たら文句を言わずにはいられなかったとか、そういう言い訳はしないでおく。
結果あたしの早とちりみたいなものだし。
「――まあ、分かってくれりゃあいい」
「うん。ごめんなさい。だけどね、貴方だって……」
「シュート」
「え?」
「だから俺はシュート」
アンタは? と、続きを促す様な間。そういえば、まだ名乗ってもいなかったっけ。
「あたしはティアナ。ティアナ=ヴォーグライト」
「ヴォーグライト……? 珍しい名前だな」
呟くシュートに、ギクリ。と、身を固くする。
あたしはファーブルの人間じゃない。
ひょっとして偽名とか必要?
ドキドキと高鳴る緊張を他所に、「まあ、ここは田舎だからなあ」と、シュートはそれ以上名前の事に触れなかった。一安心。
「とりあえずティアナ。ばあさんが手伝いの礼に飯でもって、言ってるから食ってけよ」
「うん……なんだか、気を使わせちゃって悪いな……」
「どの道。飯を作るのは俺なんだけどな」
「……お世話になります」
口が悪く、一言多い青年、シュート。
彼がこうなってしまった片鱗を見た気がした。
◇◆◇◆◇◆◇
腰を抜かす様な出来事は終わっていなかった。
『踊れ。風と共に』
目の前の野菜が宙に浮く。
にんじん、じゃがいも、たまねぎ……それに、リンゴも。
鋭い風があたしの脇を通り抜け、次の瞬間、野菜達を巻き込む。
じゃがいもとリンゴはその場で高速回転し、花が咲く様に真ん中からパッカリと八等分され。ニンジンと玉ねぎは上下が僅かに切り落とされた後、回転と共にバラバラになる。
乱切りされたニンジンが、スライスになった玉ねぎが放物線を描きながら舞う。
じゃがいもも幾分かに切られた後、舞いに合流して、野菜の滝が完成する。
上から下へ。
カラフルな滝の流れに目を奪われていると、コトリと、音が鳴った。
「……? 何呆けてんだよ?」
この間、僅か十秒足らず。
さっきの音は切り終えた食材がお皿に到着した音だった。
「い、いやあ……あ、鮮やかだなあって」
ちなみに皮は回転した際に剥かれ、リボン状の塊になってその場に落ちている。
「こんなの誰でも出来んじゃん」
「いやいや無理ですから!!」
つい本音が出て焦る。
ここはファーブル。魔法先進国。出来て当たり前!!
「あ、あたしは……その、作る過程が好きだから。だ、だから、そんな風に切ったりしないんだよね……えへへ」
「……下ごしらえなんて、面倒だし時間かかるだけじゃん? それが、好き?」
「そう! 好きよ好き!! もう大好き! ほら、如何に均等に素早く切るかとか、皮を極限まで薄くむくのに挑戦したりとか!! ねっ、ねっ!? 楽しいでしょ!?」
「……まあ、何処に楽しみを見出すかは人それぞれだからな」
彼の目は、明らかに残念な子を見る目だった。ううっ。
その後もシュートは手際よく調理を続ける。
サラダを切り分け、何もない所から火を起こし、そして水を壷から注ぐ。
否、注ぐという表現はおかしい。正確には壷に入った水が吹き出し、零れる事なく鍋に飛び込んで行く。
「下ごしらえは魔法ですぐ出来るけど、煮込み時間は縮められねえからな」
ちらり、とシュートはあたしを見る。
「味が早くしみこむ魔法。使えるか?」
ブンブンと首を振る。すると彼は「だろうなぁ」と一言。
あっけらかんと言い放たれた言葉に嫌味は無かったが、料理が出来ないと言われた気がして、なんだか不本意だった。
◇◆◇◆
ちょっと遅めの昼食後。
森へ戻ろうとしたあたしをシュートが止めた。
曰く、「腰抜かしているんだから、安静にしていろ」との事。
実際そうしたいのは山々なんだけど、本格的にエリオットが心配で。あの場を離れた自分が招いた事とはいえ、また離れ離れになってしまうのは嫌だった。
だけど、なんとか帰ろうと「湿布貼ったら治るから!」と、力説したあたしを、シュートは「そんなもん 貼ったってすぐ治らねえよ」と、逆にほっとけねえといった雰囲気で大人しくしていろと促す。
有り難い。けど参った。
大丈夫とは言えない身体のまま、どうやって抜けだそうか考える。
買い物があるとか、村を見て回りたいからと言ってみようか?
いや、安静にしてろと言われているのに、そういう理由では無理だろう。
やはり正直に待っている人がいると伝えようか。
でも、ついてくると言われたらどうしよう?
それはそれで困る。だって、リオの事は知られない方が良い気がするし……。
あれこれ考えていると、不意にノックが聞こえた。
「誰だぁ? こんな妙な時間に……?」
シュートが面倒くさそうにしながら、席を立つ。
今の内に窓から逃げてしまおうか?
幸いここは一階。窓の縁も低く、腰を痛めていても、椅子を使えば出られそう。
だけどそれは恩人に対してひどい気がする。じゃあ……
「――誰だ、お前?」
耳に怪訝そうな声が届く。
あたしは考えを中断し、玄関扉へと視線を走らせる。
見えるのはシュートの背中。来客者は小柄のようで、彼は頭を下に向けている。
一体、どんなお客さんだろう?
興味本位で首を伸ばし、思わず立ち上がった。
「リオ!! ……いったたたたぁ!!」
「!? ティア!?」
「おい!! 何なんだお前!?」
「シュウ! お前、ティアに何をした!?」
エリオットはシュートを押しのけ、部屋の中に入って来る。
「シュウだと!? 俺はお前みたいなガキにシュウと呼ばれる覚えは……!」
そこまで叫んだシュートがエリオットの姿をまじまじと見つめ。彼は不貞腐れた表情のまま、シュートを振り返る。そして。
「っ!? お前、まさか、エリ……」
「続きは部屋の中だ」
「言われなくても!」
慌てて扉を閉めるシュート。
こちらを向き直ったエリオットは、つかつかと真っすぐあたしの元に歩いて来て――……そのまま、ゲンコツを落とした。
「いったぁ!?」
「痛いじゃない!! 捜しただろ!!」
「いや、これには深い……いや、浅い訳が……!!」
「深くても浅くても関係ない!!」
エリオットの怒りは尤もで。
待っていろと言われたのに、その場を動いたあたしが悪い。
しかもその挙句、腰が抜けて……という事情は、青筋を浮かべて怒るエリオットには言えない。
いや、むしろばれてはいけない。絶対に。
そう思っていたのに、思わぬ伏兵にやられた。
「ティアナは動けねえぞ。腰抜けてるからな」
「なっ!? ほんとか、シュウ!?」
「ああ。それよりかお前、エリオット、なんだよな?」
怪訝な顔つきでシュートがエリオットを見る。
頭のてっぺんから足の先まで。
明らかに疑っていますと言わんばかりの視線は不躾で、そんな目で見られたエリオットは苦笑を浮かべる。
「疑う気持ちは分かる。――だが、間違いなく。俺はエリオット=マーカムだ」
お読みいただきまして、ありがとうございました!(*^_^*)




