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1.隣国の景色

 





「――様子を見てくる」



 そう言い残してエリオットはあたしの元を離れた。



 豪奢な屋敷から一転、湿気を含む青臭い香りと薄暗い視界。

 柱のように立つ木々と、踏みしめる度に音を立てる下草。辿り着いたのは森だった。


 移動後、あたしがキョロキョロと辺りを見回すと、何故か同じようにしたエリオット。

 疑問に思い訊ねてみれば、彼は「……いや」とだけ答え、その後すぐどこかへ行ってしまった。


 つまり。

 この場所が想定外だったのではと気付く。今更だけど。



「もうー……早く帰って来てよ~」



 木の(うろ)の中で腰を降ろし、エリオットの帰りを待つ。

 こんな見知らぬ場所に一人取り残されて、心細いったらない。


 森の中はハッキリ言って薄暗かった。

 太い幹を持つ木の枝には葉が生い茂り、頭上は一面緑色。

 僅かにある隙間から見えた空は薄い白煙に覆われており、その景色は少し角度を変えて見上げても変わらなかった。


 雨じゃなかっただけ良い。

 そう思わなくちゃとは考えるものの、光の入らない森ほど気味の悪い所もない気がした。


 身を潜めるには丁度良いけど、夜になったら怖すぎる――。


 そんな事を考えながら待つ時間は怖ろしく長かった。


 日の動きは良く分からず、空は相変わらずの薄雲り。

 周囲に生える木々は太く、木質化した幹はひび割れて今にも樹皮が剥がれ落ちそうだった。


 草木のざわめきを聞く度に身体を震わせ辺りを(うかが)う。

 心の怯えをあざ笑うかのように森はあたしを音で惑わせ、戸惑う心はさっき見たハズの木の(うろ)さえも、ぬっとあらわれた人の顔のように見せてしまう。ここで背後から手を添えられでもしたら、あたしはきっと気絶する。



「無理無理無理! あたし、ホラーは無理!」



 ここに居たら気が狂う。


 居ても立ってもいられず、その場に立ち上がる。

 一度顔に見えてしまった木はもうそれにしか見えず、視界に入れる事すら恐怖だった。



「ごめんリオ! す、少し明るい所に行くだけだから!!」



 ずっと同じ場所にいなくたっていい。

 一度明るい場所に行って、それからまた戻ればいいのだ。うん。


 いないエリオットに言い訳しながら、自分のいた大木を背に真っすぐ歩き出す。

 大丈夫。他の木より大きな洞があったから目印にはなる。

 あたしは早足で明るい場所を目指した。


 求めていた場所は案外近かった。


 あたしが居たのは丘の上。

 前方に広がるなだらかな下り坂を進み、広がるのはのどかな田園風景。

 一面を染め上げる青々とした葉と、田の間を走るあぜ道の茶色がハッキリと見える。


 中央にある少し太めの道奥には開けた場所があり、そこにはいくつもの家が立ち並んでいた。

 遠目では良く分からないが、恐らく一、ニ階建て。煙突付きの濃い茶色の屋根と、白っぽい壁面が辛うじて見える。



「……街? ううん、村、かな?」



 自分のいる丘があまり高くないので、その全容は見渡せない。


 エリオットはあちらへ行ったのかな?

 それなら一緒に行きたかったな。



「……って、こんなに近くならあたしを置いて行く意味なくない?」



 あんな暗い所に置き去りにして。


 戻りたくない気持ちと、やさぐれた心と。

 そうしてちょっぴり、エリオットが困ればいいと。

 大人げなくそんな事を考え。


 気付けばあたしは丘を下り始めていた。



◇◆◇◆◇



 歩く事十五分程。

 上から見下ろしていた景色が目の前に現れ、あたしは足を止めた。



「きちゃった……!」



 初めて見る場所への期待と、少しの罪悪感と。

 両方を胸に足を一歩前に出す。


 個人的な判定は村だった。

 家の戸数は数えられない程多くはないし、すれ違う人も穏やかに挨拶をしてくれる。

 他所者を冷たい視線で見るような排他的な雰囲気はどこにもなく、どこか家族のような温かさを村全体から感じ取る事ができた。良い村だと思った。


 ゆっくりと辺りを見回していると、前方に壷が歩いていた。

 正確には壷を背負った誰かだと思われるが、壷が大きすぎて人の姿は見えない。

 左右にゆったりゆったり揺れ動きながら進む姿は、時計の振り子のようにも見え、自然とその揺れを視線が追ってしまう。


 そうしてしばらくの間、壷を見つめていると、不意にその動きが止まる。


 そこには小さな屋根があり、その下は石で囲まれていた。

 屋根のすぐ下には滑車、そこからロープが垂れ下がっている。先端には桶が結び付けられている事からこの場所が井戸だと分かる。


 ――水を汲みにきたのね。


 合点が行き、その場を立ち去ろうとした時。

 壷の前方から現れた存在に目を見開く。



 背中を丸めた、白髪の、女性。



 平均寿命は三十歳。

 そうだと信じて。実際ここまで歳を重ねた人に会う事はなくて。

 両親達に会いに来る人もいなくなった、ここ数年が意味する事も自然に受け入れていたのに。


 その過去を、目の前の現実が(くつがえ)す。



 ――本当に、ファーブルなんだ。



 今更ながら、心が震える。

 見慣れぬ景色へと移動した時、ファーブルへ来たんだと安気に喜んでいた。

 エリオットと再会して、魔法を見て。それなのに心のどこかでは、アコット内の、どこか知らない場所だと思っていたのかもしれない。


 あたしが立ちつくしている間に、白髪のお婆さんは自分の背負っていた壷を降ろした。


 壷が重かったのだろう。

 首を左右にゆっくり動かし、肩を撫でている。

 そうしてから非常にのんびりとした動作で桶へと手を伸ばした。



「手伝います!!」



 思わず声を上げていた。

 そのままお婆さんの元へ走って行き桶を掴む。



「えっと、引っ張ればよかったんですよね?」



 お婆さんは突然現れたあたしに動じる事もなく、ニコニコ微笑みながら頷く。


 あたしはロープを引っ張る。

 先端についた桶を井戸の中に放り込み、もう片方が上がって来るまで引っ張り続ける。


 重い。

 蛇口を捻れば水が出ていた生活が、魔法のように思える。


 たぷんと水を湛えた桶を掴み、壷へと傾ける。


 まずは、一杯。


 空になった桶を井戸へと放り込み、同じ事を繰り返す。



「毎日、この作業をされているんですか?」



 お婆さんはニコニコしたまま頷く。



「大変、じゃないですか?」



 再び、頷く。


 なんて事だ。

 明らかに歳を重ねているお婆さんにこんな重労働をさせているなんて。



「……アンタ、何やってんだ?」



 不意に聞こえた声に振り返る。

 背後には黒髪の青年が立っていて、あたしが返答をする前にロープを取り上げた。



「……手伝ってくれるの?」

「ちげーよ。何でそんな事しなきゃならねぇんだ」



 青年はめんどくさそうに返事をし、ロープを手放す。

 折角持ち上げていた桶が井戸の中へ逆戻りし、ドボンと水しぶきの音が聞こえた。


「ちょっと! 何すんのよ!」

「――おい、ばあさん。さっさとやれよ。こんな事やってたら、日が暮れちまう」



 青年はすでにあたしの方を見ておらず、お婆さんに向かって暴言を吐いた。

 信じられない!!



「何言ってんのよ! 貴方!!」

「はぁ? 何って……事実を言ってるだけだろう?」

「『はぁ?』って、言いたいのはこっちの方!! 水汲み、どれだけ重労働だと思ってんのよ!!」

「あんたこそ、何言ってんだ?」



 心底めんどくさそうにあたしを横目で見て、青年はお婆さんを指差した。



「ばあさんの水汲みを手伝うなんて、ただのアホだ」

「なっ!? 貴方、自分が何言ってるのか分かっているの!?」

「分かってるに決まってるだろ、大体……」

「もう止さんか、シュート」



 少し強めの声が、青年の言葉を(さえぎ)る。

 横を見ればお婆さんがほっそりとした目を少し開いて、前方の彼を見ていた。



「こんな優しい娘っ子さんをアホ呼ばわりとは」

「ばあさんが水汲みを手伝わせたりするからだろ?」

「久しぶりに無垢な優しさに触れたからのぅ……。――どっかの誰かさんは、手も貸してくれんし……」

「はっ! 腹黒ババアに差し出す手はねえよ!!」

「ここに!! ここにあるわよ!!」



 シュートと呼ばれた青年はあたしを一睨みし、言外に黙っていろと釘を刺す。



「――とにかく。さっさと水汲みして戻って来てくれよ」

「ちょっ……! この期に及んでまだ手伝わない気!?」

「いい加減黙っててくれよ、アンタ」



 シュートがうんざりした口調で言う。

 それでもあたしは黙る気がなく、こうなったら絶対に手伝わせてやると、彼の手を掴んだ。



「おい! 何するんだ!」

「決まってるじゃない! 一緒にお手伝いするのよ!!」

「なっ!? 俺はやらないぞ!!」

「重いんだから手伝って!!」

「いやだ!! 離せ!! でないと……!!」



 シュートがあたしの掴んだ方の腕を振り上げる。

 思い切り動かすその仕草は配慮のかけらもなく、手を離さなければ転んでしまいそう。

 だけど、もちろん離してやる気はない。


 振られる腕に噛みつくようにしっかりと、それでいて纏わりつくように食い下がるあたし。

 

 シュートの眉が釣り上がる。鼻から空気を吸い、胸を膨らませた。

 あたしは耳の代わりに目をぎゅっと閉じる。彼が怒鳴るつもりだと分かったから。

 


 バッシャーーーーンッツ!!



 音と同時に、頬に何かが跳ねた。

 ビックリして手の甲で拭ってみるとそれは水で。慌てて空を見上げるも、頭上は先程同じ薄雲り。

 逆に下を向けば、あたしとシュート――主に、シュート――の周りだけが濡れていた。



「クソババア!! 何しやがる!!」



 声を上げたシュートは、何故かびしょぬれだった。



「人には優しくしろと何度言ったらわかるんじゃ!!」

「もれなく一名! 傍に優しくしたくねえ奴がいるから無理!!」

「己の祖母に対して、何たる言い草!!」

「問答無用で孫に水ぶっ掛けるババアに優しく出来るわけないだろ!!」

「ならばもう一発食らうが良い!!」



 ゆらり、と視界の端で何かが動いた。

 それが足元の影だと分かり。同時にこの影があたしと、シュート、そしてお婆さんのものではないとわかって、あたしは顔を上げる。


 小さな屋根の下には収まりきらない。

 細く長い体はうねる様に波打っており、その表面は雲間から射した光を浴びて七色に輝く。

 

 三人のものではない、影。


 正体は――……竜、だった。





お読みいただきましてありがとうございました!!(*^_^*)

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