26.纏う色は愛しくて
星屑の導きのまま、あたしは建物内に侵入した。
豪奢な造り。としか言いようのない内装は、大富豪や身分の高い人を想像させる。
素人目にも分かる高価そうな品々。見上げれば星を閉じ込めているかと思ったシャンデリア。
手に花瓶が触れて、声をあげそうになるのを両手で押さえ込む。
恐らく一生縁の無い品々は興味をそそられる。けれど、そんな余裕はなくて。
むしろ不法侵入なので、さっさとお暇しなくてはならないのが残念だ。
「……これがリオの実家とかだったらどうしよう」
無事を確認するという意味では好都合。
だけど、こんな家のお坊ちゃんに弟のお古を着せていたと思うと気が引ける。……まあ、似合ってたけど。
交差する廊下奥から音が聞こえた。
カツカツと床を鳴らす足音は一組。
複数人でない事にホッとし、あたしは物陰に身を隠す。
音が段々と近づいてきて、そして遠ざかってゆく。
もうこちらの音は聞こえないだろう。
そう確信して。あたしは、はあと溜息をついた。
「あの姿。どう考えても見回りよね……」
肩から胴回りまでを守る銀色の防具。
腰に佩いているのは長剣。
通り過ぎて行ったのは簡易な鎧を着た兵士だった。
「早くリオを探さなきゃ!」
周囲の様子に気を配り、エリオットのマナを追いかける。
音を立てぬようこっそりと。時に、物影で息を潜めて。
そうして何度か見回りをかわし、建物の奥へと進んでゆくと、急に辺りが騒がしくなった。
「どうなっているんだ!!」
「分かりません!!」
「魔具は作動していなかったのか!?」
「傍目にはちゃんと作動している様に見えましたが……」
「しっかり確認してこい!!」
「はっ!」
慌しく駆ける足音と、カチャカチャと金属のすれる音。
何かあったのだと分かるけど、恐らく自分の事ではなさそうだ。
浅ましい考えかもしれないが、この状況は都合がいい。
混乱に乗じてエリオットの居場所を突き止めるまで。
そう思って息を潜めていると、指示を出していたと思われる男が一人ごちた。
「くっそ……あのガキ!!」
捨て台詞のように言い放ち、場を立ち去る男。
苛立ちを孕む足音が向かうのは――……星屑の導きと、同じ。
あたしはとっさに男へと襲いかかった。
ごめんなさいと、心の中で叫びながらも手を止める事はない。
男はうめき声を上げ、膝から倒れ込む。
その後、自分が隠れていた物影へと男を引っ張り込み、ベルトで腕と足を、男のスカーフで口を縛り上げる。
一瞬、剣を奪っていこうかと悩んだが、使い慣れていない物は却って邪魔と判断し、男の手が届かぬ位置まで蹴飛ばした。
急いで廊下を走る。
音を立てぬようにしていた事など忘れ、全力で星屑の導きを追う。
心臓が早鐘のように鳴り続ける。
『あのガキ!』と、悪態ついた男の声がこだまする。
リオ、リオ、リオ!
根拠なき不安が内側から溢れだし、呼吸が浅くなる。
駆け巡る衝動。
じわりと滲む手の汗。
視界は狭まり、オレンジ色のマナのみを追う。
導きが角を曲がった。
本来なら立ち止まって様子を窺うべき。
だけどあたしは全力疾走のまま角を曲がる。
視界に、人影を捕えた。
あたしは進行方向へ居座る相手に容赦なく襲いかかろうとし――……ピタリ、と、動きを止める。
青みがかった緑色の服に黄金色の帯。
纏った白銀のマントは美しく。柔らかそうな髪はこげ茶色。
顔は、垂れる頭で窺えない。
それでも纏う色が愛しくて、思わず声が漏れた。
ゆっくりと、その頭が動く。
顔を見られない方がいい。
そう分かっているのに、身体は動かない。
時間が、止まる。
あたしだけ、動けない。
縫い止められたように前だけを見つめるあたしを、琥珀色の瞳が捕えて。
気付けば、手を引かれていて。
あたしは腕の中に閉じ込められていた。
「ティア」
耳元で囁かれる声が、記憶の中で重なる。
「どうして……危険だと、言ったじゃないか」
声だけじゃなくて。
頬をくすぐる髪も。自身を包み込む温かさも。
あたしはこれを――……知っている?
「……リオ?」
「そうだ、ティア」
ぎゅっと抱きしめられたまま。
相手は確信、あたしは疑問を含んだまま呼び合う。
その理由は。
「……どうして、おっきくなってるの?」
そう。目の前のエリオットは青年だった。
幼かったころの面影を残したまま、顔は大人びていて。小さかった手も、足も、身体も。あたしより大きくなっている。
「これが本来の姿……って、言いたいところだが」
声と同時に、エリオットの姿が淡く光る。
それは発光する蛍の様に。触れてしまえば、壊れてしまう泡のように。
一夜の幻を見ているような淡い光は、緩く彼を包み込み。そして、ゆっくりと溶けてゆく。
「……幻術だ。未だ体が戻らない」
苦笑しながら手を離そうとした彼は、あたしの知っているエリオット。
抱きしめた。
何も考えずに。ただ、力の限りしっかりと。
息が、詰まる。
鼻の奥がツンとなって。ダメだと思っているのに、視界がぼやけてくる。目尻に涙が浮かぶ。
「……ティア」
「心配、したんだから……」
――忘れ物、持ってきたよ!!
――あたしを置いていくなんて、ネバ豆尽くしなんだから!!
こんな軽口を言って。
リオが「ごめん」と謝って。
それから、それから。
――どうして、あたしを置いていったの?
抱きしめる力を弱めエリオットの顔を窺う。
彼は困ったように笑い、あたしの眼元を柔らかく拭ってくれる。
優しかった。
いつもはツンと澄まして、優しさを隠しているのに。
今日は始めからあたしを包み込むように温かくて。
彼はすべて分かったと言わんばかりに、小さな腕をあたしの背に回してくれた。
「……また、この温もりを味わえるとはな」
きゅっと力が込められる。
突き放されなかった。帰れと言われなかった。
それだけで追いかけて来てしまった事が厭われていないと。
想いのままに彼を大切にしていいのだと。心の奥底に隠していた不安が、じんわりと消えてゆく。
「無事でよかった……」
「まあ、ギリギリな」
しっかりと抱きしめ合う。
温かくて、愛しくって。ああ。やっと会えたんだと、あたしはもう一度彼を抱きしめる。
そこにある温かさ確かめる為に。もう二度と、失わないように。
彼の温もりがあたしに移って、二人の温度が同じになるまで。
そうしてしばらく抱きしめ合った後、エリオットがスッと身を離した。
「早速だが、ティアのマナを分けてくれないか?」
「あたしの、マナを?」
話を聞いたところ、今エリオットのマナは底を尽きていて、魔法を使うには他所から補給しなくてはならないらしい。
「まっかせなさい!」
あたしは力強く頷き。
すぐにエリオットを抱き寄せる。
――そう。彼が魔法を使った、あの時と同じように。
「ティ、ティア?」
「ん? もっと、強く抱きしめた方がいい?」
聞きながら少し腕に力を込める。
エリオットは何も言わない。
おかしいな。あの時とまだ違う所があるのかな。
そう思いながら頬を擦り寄せてみると、弾かれたように身体が押し返される。
「どうしたの、リオ?」
予期せぬ行動に目を瞬く。
だけど彼はこちらを見る事無く「どうして……」「いや、でも……」と、一人ごちた。
「……ティア。魔法が怖い、のか?」
「ううん? リオが使う魔法、怖くないよ?」
何故そんな事を思ったのか分からず首を傾げていると、彼は顔を赤くしたままこちらを睨んだ。
「じゃあ、なんで! 急に、こんな……!」
「え?」
「……っ!! ティアは俺をからかっているのか!?」
眉を吊り上げ怒るエリオットに、あたしは焦る。
「な、何で怒るの?? 魔法使うって言ったから、準備しただけ……」
「準備!? 俺の集中を妨げる準備か!?」
「何その被害妄想!? 以前と同じようにしているだけじゃない!」
きょとんとするエリオット。
何の事だ? と、言いたそうに目をパチリとして。
だけどそれは一瞬で。
彼の顔は次第に熟れたリンゴの様に染まってゆく。
「あ、あれはっ……! つまり、その……」
口ごもるエリオット。
泳ぐ視線と、赤くなったほっぺ。
これ以上顔を見せられないとばかりに口元を隠し、気まずげに横を向いた。
「忘れたとは言わせないわよ、リオ?」
あたしはここぞとばかりにエリオットを追い詰める。
あの日を思い出して恥ずかしがっている彼はとても可愛くて。つい、抱きしめて頬ずりしたくなってしまうけれど。
今はダメ。
彼にはちゃんと言っておかねばならない事がある。
「強く抱きしめないと魔法が使えない――……だったら躊躇っている場合じゃないでしょ?」
「え……」
「『え』じゃないよ? 以前あたしに『ヘンな遠慮するな』って言ったのはリオじゃない!」
過去の言葉を逆手に取り叱りつけてやれば、エリオットが目を逸らした。
都合が悪くなるとそっぽを向く仕草は可愛いけれど、これだけはハッキリさせておく必要がある。
だって、とっても大事な事なんだから。
エリオットが、ちらり、と窺うようにあたしを見る。
気まずいような、後ろめたいような。
そんな困った表情を浮かべる彼に、今度は優しく、諭す様に語りかける。
「リオ、遠慮しないで。いつでも抱きしめていいから」
「……!!」
エリオットが息を呑んだ。
ここまで言ったら遠慮なんて出来ないだろう。
言い切ったあたしはニコリと笑う。
すると彼は思惑通り、半ばやけくそのようにあたしを抱きしめる。
『向かうは王の都。凛とした、ササユリの元へ!!』
突然の浮遊感に心が震える。
けれども自身を抱きしめる温かな体温は心地よく。
お気に入りのぬいぐるみへするように、あたしはそっと頬をすりよせた。
お読みいただきましてありがとうございました!(*^_^*)




