24.ひだまりの息吹
お日様の光をたっぷり浴びたタオルに顔を埋め、鼻から空気を吸い込む。
胸一杯に広がるぽかぽかとした温かな香りを味わいつつ、満面の笑みを浮かべる。
晴れた日の、洗濯物を取り込む時の癖である。
「……ティアナ、顔緩んでる」
「えへへ……この香り、好きなんだよね」
一面を温かな色で染める草花。
太く立派な幹を持つ木々。
燦々と降り注ぐ恵みを一心に受け、育まれる命。
多分。と、いう予想は確信に近かった。
「ファーブルにマナを証明する……つまり、ファーブル行きを願えばいい?」
「そうね。ティアナがここと決めたなら」
あたしは頷く。
そうしてから足元の草花に気をつけ、なるべく黄金色の真ん中を目指す。
「呪文、とか、いるの、かな?」
「純粋に、それだけを、願えれば、基本は、いらない」
「呪文は、集中するための、掛け声、みたいなもの」
よっと。と、バランスを取りながら、二人が答える。
「ジェシカさんは、この間、使ってたよね?」
「それは、相手の魔法を、打ち消す、イメージを、強く、持ちたかったから!」
「なる、ほど!」
両足をそろえて着地する。
少しだけ花の間隔が開いた、良い場所が見つかった。
「……ここにするよ」
「――うん」
あたしはかばんを開け、ある物を探す。
必要最低限に減った荷物。それでも手放したくなくて、絶対持って行くんだと決めていた品。
「……それは?」
「うん。リオのマント」
エリオットが居なくなってしまった後、彼の衣類は消えていた。
初めから何もなかった様に、その場所をぽっかりと空けて。
心に穴が開いたみたいで寒かった。
リアムが眠って、一人で生活するようになって二年。
突然現れたエリオットとの暮らしは、想像以上にあたしを満たしてくれていて。
なんでもない日常が頭の中を駆けるように通り抜けてゆくと、ポタリと、床に雫が落ちた。
泣いた。
彼がいないのだと。
そんな事は分かり切っていたのに。その場にうずくまって大声で泣いた。
そんな事があった数日後。
エリオットを追いかけると決めて、荷物を準備している時に、このマントは見つかった。
彼と初めて会った時の、あの白銀のマント。
「……『何で来た』って言われたら、『忘れ物よ』って言ってやろうと思って」
「国を越えてまで忘れ物を届けるオカンぶりは、エリオット君もビックリだな」
「ふふん。あたしの行動力を舐めてもらっちゃ困ります」
にやりと笑って、あたしはマントを仕舞い込む。
大丈夫。きっと……ううん。必ず見つけてみせる。
あたしは「始めるね」と二人に断り、目を閉じ思い描く。
エリオットの故郷、ファーブル。
魔法がすごく発展していて、しかも、何度も使えるらしい夢の様な国。
街の様子はどうなんだろう? 王様がいるなら、当然お城もあるよね?
緑は沢山あるんだろうな。だって、魔法が何度も使えるのだから。
それから、それから……
具体的なイメージなんてない。
人々の顔も、街並みも、空の色さえも。
ただ願うのは、彼が帰ってしまった国。
エリオット=マーカムのいる場所。
周囲に温かな気配が集まって来る。
これが、マナ? それならお願い! あたしをファーブルへ入国させて!
「……俺にすら、何かが集まるのが分かる」
「アレン、静かにっ……!」
二人の声が少し遠くに聞こえる。
おかしいな、すぐ傍にいるはずなのに。
……と、そこでマナの密度が減るのを感じ、あたしは集中を取り戻す。
再び濃く感じるマナの気配。
自身を取り囲むように集まって来るそれは、きっとあたしの願いを魔法という形で叶えてくれる。
しかし。
マナの濃度がある点を境に変わらなくなる。
強く、強く入国を願っても。あたしをファーブルへと誘ってはくれない。
「後少し、後少しなのに……!!」
マナが足りない。
それは感覚的に分かり、あたしは更に強く願う。
きゅっと、手が握られた。
目を開ければ、隣には微笑むジェシカとアレン。
そして、反対の手を握っているのは。
「マティアス!?」
居るはずのない学友に驚く。
そんなあたしに彼は、「僕だけ仲間はずれなんて嫌だったんだ」と苦笑する。
表情が崩れた。
出来そこないの笑顔はきっとヘンな顔だけど、嬉しい気持ちはしっかりと現れているはず。
再び目を閉じ、強く入国を願う。
集まるマナ。それでもやっぱり、ある点を境にマナの密度が上がらなくなる。
そして――……。
「僕のマナも使って、ティアナ」
呟かれた言葉の後、マティアスの手から力を感じる。
これは、彼の魔法――!?
「良い使いどころ。でしょ?」
ニッコリ笑う彼は晴れ晴れとしていて。
それは幾度となく見たどの笑顔とも違って。
柔らかく細められた空色は、何度も見上げた沢山の青空よりも澄んでいる。
応援してくれている。
失う力に憂いもなく、ただ、純粋に。
彼の気持ちがマナと共に流れてくるようで、あたしは今度こそ泣きそうになる。
「――ティアナ、集中」
「……うんっ!」
マナが境を越える。
色合いと、光と。
絶妙な相性のそれらは、互いの存在を混ぜ合わせ、膨張させ。
ここだ! と、あたしは力を込める。
『目指すはファーブル王国! エリオット=マーカムの元へ!!』
風があたしを包み込む。
魔法が、発現する――!!
「ジェシカさん! アレンさん! マティアス!!」
ありがとう!!
矢継ぎ早に紡ぐ言葉はあたしと共に光に吸い込まれ。
全てが真っ白になった。
◇◆◇◆◇◆
――――……。
―――……。
――……。
「………」
瞳を射す光も、耳に届く音もなく。
無音の世界に現れたのは、くすんだ、灰色。
雪が降る前の、低く重苦しい雲の様なそれは、自身の見上げている天井だった。
ここは……どこだ?
王都の自室? それとも、彼女の家?
見上げている天井はいずれでもないようだ。
薄くぼんやりとしていた景色が、はっきりしてゆく脳内と同じくして澄んでゆく。
広がる、視界。
直感的に見知らぬ場所にいると感じ、すぐに身を起こして。軋む身体に眉を寄せた。
俺はガーディーを追い、ファーブルへと帰還した。
到着地点は王都からほど近い森。
小規模で、散策地にもなっているそこは良く見慣れていた。
思い出の残る、傷がついた木々。
昔、魔法を使わず何処まで登れるか試した事もあって。もしティアナの前で披露したら、間違いなく心配するだろう高さまで登れたのは、幼いころの自慢だった。
いや、もしかしたら彼女の方が高く登れたかもしれない。
信じてくれないけれど彼女とは同年代。同じ村で生まれていたなら、一緒に遊んでいたに違いない――……
何の気なしに、想像した彼女の姿に胸が痛んだ。
嘘をついて置いてきてしまった事への罪悪感。
もう二度と会う事もないという、喪失感。
季節は夏だというのに、心には吹き荒ぶ木枯らしが鳴いていた。
だから、かもしれない。
俺は何も考えない様にしながら王の元へと向かい、そして。
「……『捕まった』」
そうだ。潜んでいた奴に、やられた。
アコットに居る間、魔法を使う事が出来なかった。
それは反応速度を落とすには十分で。隙のあった俺は、あっさりと意識を失った。
完全に平和ボケだった。
「すぐ殺されなかっただけでも、マシか……」
ガーディーの事だ。俺がファーブルへ帰還する事は読んでいて、どうせならこっちで公開処刑にしようと考えたのだろう。
事の他、冷静に。するりと出てきた、『処刑』の二文字。
ガーディーの言う事を鵜呑みにするつもりはない。
俺は罪など犯していない。ましてや、反逆などあり得ない。
奴の言う通り、お傍を離れていたのは事実だが、忠誠も信頼も捧げた王を、何故裏切る必要があるのだ。
俺は不自由な手をそのままに、格子に近づく。
幸運な事に見張りはいなかった。
「――……と。なんだ、あれ?」
格子の向こうに、台座。その上に水晶。
牢の周りにしては不自然すぎる装飾品に疑問が浮かぶ。
恐らくガーディーの魔具だと思われる。
だが、効力は――……
「っ……!?」
突如重苦しい脱力感を覚え、その場に膝をついた。
(一体、なにがっ……)
ぐらぐらする頭を上げる。
視線の先には、黒より深い、深淵の青を湛えた水晶が、鈍く震えるように輪郭をダブつかせ。ジュッと湯気を上げるように、黒い靄を発生させる。
――まるで食べ過ぎたというように。
「……なるほど」
図らずともその効果を目の当たりにし、苦笑する。
マナを吸収する魔具。
道理で周囲のマナが極端に少ないわけだ。
「ガーディーの野郎、いつの間にこんなもん造り出して居やがったんだ……」
魔具と呪魔法において、奴の右に出る者はいない。
――さて、困ったもんだな。
どっかりと腰を落ち着け、目の前の水晶を睨む。
汚名を着ている可能性がある以上、救援は望めない。
目の前の水晶がマナを吸収する為、おいそれと魔法を使えない。
身体は縮んだままなので、腕力もない。
ない。とばかり言葉を締めくくる思考に、手詰まり感が漂う。
時に考えすぎる性質は突破口を自ら塞ぐのだと、俺は気付いていなかった。
脳裏にティアナの姿が浮かぶ。
何にも知らないくせに、ついてくると言い張った彼女。
危険だとハッキリ伝えた。それなのに頑として譲らなかった、強気な彼女。
俺があの時。
望むままに彼女を連れ去れば。
彼女は翼を広げてこの国に飛んできただろう。
きっと見慣れぬモノに目を白黒させながら、俺に色々聞いてくるに違いない。
危険な目に合うかもしれない。
帰れないかもしれない。
共に、在る事が出来たかもしれない――……。
(また、『ない』か……)
気落ちしそうな自分に首を振る。
分かっている。
今は堕ちている場合じゃない。
(なあ、ティア……)
その名を口に出す事は、もうないのかもしれない。
これから先、ずっと、ずっと。
国が違うのだ。いつか会えるだろうなんて、お気楽な考えは浮かばない。
だが俺は。
これから先も彼女の名を思い描く。
泣きつく為じゃない。
懐かしむ為じゃない。
打ち消す音を孕みながらも、これは確かにある――……想い。
(――鮮明に。君を傍に感じる為に。だ)
不意に。
温かな風が、頬を撫でる。
命の息吹をも感じるそれは、俺の周囲にスッと馴染むように溶けた。
「……?」
堅牢の中、突然吹いた、風。
それは何故か。とても、愛しかった。
お読みいただきましてありがとうございました!(*^_^*)




