2.落ちていた少年
「……お前が言っている意味が理解できない」
「その前に年長者を敬いなさい、エリオット」
自宅前で繰り広げられた攻防の後。
あたしは茫然と自分の手のひらを見つめる少年、エリオットを自宅へと招き入れた。
人間と分かれば怖くない。しかも相手は子供。
その事実はあたしの心を大きくし、ついでに態度も大きくさせた。
「何度も言っているが。俺は二十歳だ」
「はいはい。こーんな可愛らしい二十歳なんて見た事が無いわ」
「それは!! 何らかの影響で身体に異変が……!」
「『何らかの影響』って、何よ」
「それが分かれば苦労していない!!」
本人曰く、とある場所で探し物をしていたところ、突如として意識を失い、気付けばウチの玄関先に倒れていたとの事。ついでに身体が縮んでいたと言っている。
なにそれ。意味不明。
百歩譲って誰かの魔法に巻き込まれ、ウチの玄関先まで吹っ飛ばされたとしても、そこで若返る理由が分からない。
疑いの眼差しでエリオットを見やれば、彼は目を吊り上げ、柔らかそうなほっぺを赤く染める。
本人は怒っているのだろうけど、それはむしろ可愛い。
「……そんな事ばっか言ってたら誘拐されるわよ」
「はあ!? なんで……」
「なんでって。もし若返っているなら、その理由を知りたいからよ」
言動、服装、そして何のためらいも無く魔法を使った事。
見た目、七、八歳のエリオットは何か事情があり、世間から隔絶されていたと想像がついた。
それは決して珍しい事ではない。
あたし達の平均寿命は三十歳でそのうち学園に通う期間は十二年。
かつては存在したという大学という制度を廃止し、それらの勉学を習得させる為に圧縮され濃くなった日々の授業は長く、一日の大半を費やす。
それを無駄、と思う人も沢山いて。
勉強より家族で過ごそうと考える人も、もっと好きな事だけをしたいという人もいた。
そして、それを選ぶことも出来る。
ただそれは期限付きの自由。
最初に約束した期日を迎えたら、全ての人達は政府の管理下に入る。それが絶対条件だった。
「――ねえ。ご家族、は?」
埒が明かないと思ったあたしは聞きたくない話題を口にした。
エリオットが七、八歳。平均寿命は三十歳。
計算なんて、したくはなかった。
「両親はずっと前に亡くなっている」
「……そう」
「だが、父親のように思っている人がいる」
「なら、その人のところへ帰りなさい」
父親。と、いうからにはきっともう、二十歳を超えているだろう。
ならば残された時間は限られている。一刻も早く帰った方がいい。
「――まだ、帰れないんだ」
「え? 何で??」
「約束を。まだ、果たしていないから」
約束……?
と、あたしが不思議そうな顔をすると、エリオットがフッと笑う。
「果たせるかどうかわからない約束をした。だから俺はそれが果されるまで帰らない」
「意味分かんない!! 学園にも行かず、一緒の時を選んだのに、どうして、そんな!?」
「お前の言っている意味が分からない。学園とはなんだ?」
心底知らないという表情をするので、仕方なしに概要を説明する。
するとエリオットは、ニヤリと子供らしくない笑みを浮かべ。
「なんだ。俺には無関係な場所だな」
「だから! なんでそうなるかなあ!!」
自分は大人だと言い切るエリオットに、あたしは頭を抱える。
「もー……からかうのはいい加減にして」
「事実だ、ティアナ」
「呼び捨て禁止!」
エリオットはムッとして、「俺の方が年上だ」と偉そうに腕を組む。
一方あたしも、負けじと腕を組みエリオットを見下ろした。
「そんな言葉、信じられないって言ってるでしょ」
「じゃあ、なんだ。今この瞬間から、『ティアナ姉さん』とでも呼べば良いっていうのか」
「よし! それ気に入った!!」
「帰れ。アホ。絶対呼ばないからな」
「可愛くない!!」
こげ茶色の髪はふわふわで、ほっぺはこんなにプニプニしているのに!
この老成しきったしゃべり方が全てを台無しにしている。
「あーあ……折角可愛いのに勿体ない……」
「何か言ったか?」
「いーえ。なんでもありませんよーだ」
不審げにこちらを見るエリオットをあしらいつつ、あたしは用意しておいた紅茶を一口含む。美味しい。
一息ついてクッキーにも手を伸ばせば、エリオットもあたしと同じように手をつけた。
「……ねえ。これからどうするつもりなの?」
「約束を果たすべく、行動するのみだ」
「一人、で?」
「当たり前だ」
クッキーをもぐもぐ食べながら言い放つが、目の前のエリオットはつけたマントも引きずる子供。自信満々でも放ってはおけないと思うのはきっと誰でも同じだろう。
「……どうしてもっていうなら、手伝ってあげても良いけど?」
「結構だ。俺一人で十分」
いやいやいや……。普通に考えて無理だってば。
「……なんだその顔は」
「言いたい事が分かったなら偉いと思う」
「子供扱いするな」
「だって子供でしょ」
エリオットは諦めたように首を振り、「年齢の件は置いておこう」と言う。
それは置いておこうが何しようが、目に見える事実は全く変わらない。だけど大人なあたしは首を縦に振りその意見を呑む。偉いぞ。あたし。
「とにかく要らぬ庇護欲は捨てろ。お前も見ただろう? 俺の魔法を」
「うん」
「じゃあ、わかっただろ。俺はこれでも魔法の扱いに自信がある。例え見た目が幼くとも、『マナ』の力は同じだ」
「同じでも、使っちゃったじゃない」
「ああ。だがそれがどうしたと言うんだ」
またも分からないと、エリオットは首を振る。
――本当に、何も知らないんだ……。
こんなにもしっかりと自分の意見を持っているというのに、この子は世界の理を知らなさすぎる。
それが家族の意図なのか何か別の原因なのか理由は分からないけれど、このままじゃエリオットの説得は難しい。
「……本当はご家族か学園で教えてもらうべきなんだろうけど――」
あたしは仕方なしに世界の理を説明する事にした。
◇◆◇◆◇◆
誰が初めに呼び始めたのか。
あたし達の住むこの世界は『マナ』という名前の力があった。
マナとは命そのもので、生み出す力の源でもあり、地上に存在する全てのモノはマナの力で生まれ、マナが失われる事により寿命を迎える。
それらが年を経て循環する事により、世界は半永久的に営まれて続けている。
その中でも人間にだけ、命のサイクルとは外れた力が宿る。
何もない所に火を起こし、風を呼び。時に空をも舞う事が出来る。
今そこにないものを生み出す力は、魔法と呼ばれた。
ただそれは一度しか使えなかった。
理由などは判明しておらず、結果として一生に一度だけの不思議な力。
魔法が使える者を政府はヴァリュアブル――、もしくはアンユーズド、魔法未使用者と呼び、それらの力を狙った者から己を守る為、ボディーガードという名の騎士をつけるか、自己防衛プログラムの受講を義務づけている。
「――……とまあ、こういう訳」
「つまり、魔法には回数制限があると?」
「回数制限っていうか、一回だけ?」
エリオットは無言で手を見つめた後、ぼそぼそと何かを口にした。
その呟きは聞こえなかったけれど、その後の彼はあたしと言い合っていた時の自信はどこへやら。手で口元を押さえ、眉間にしわを寄せていた。
「本当、なんだな……?」
「こんなメンドクサイ作り話、誰が好き好んでするのよ」
マナっていわれても目に見えるわけじゃないし。
魔法に関しては、ごく稀に見る事があるから、この理が本当って分かるぐらい。そもそもさっきの話だって、教科書に書いてあったのをそのまましゃべっただけだ。
「なら今の俺は見た目通り、ただの子供ってわけだ」
「やっと分かってくれた?」
エリオットはコクリと頷く。
不服顔だが認めただけでも進歩だろう。
あたしは大げさに頷き、「分かったなら、お父さんと思っている方のところへ帰ろうね」と続ける。
大分長話になってしまったから、家まで送り届けよう。そう思いながら。
しかし、エリオットは。
「――俺は約束を守りたい」
一閃の矢の如く。
光の当たり方によっては金色にも見える瞳があたしを射ぬいた。
迷いなく向けられる眼差しは強い意思を帯び、こちらの出方を窺う。
「ティアナ。さっきお前は手伝っても良いと言ったな」
エリオットがあたしを射ぬいたまま続ける。
「条件を言え」
言葉を返せないあたしに、彼はもう一度同じ言葉を繰り返す。
そういう事か。と、理解した。
本当ならこんな交渉など取り合わず、帰りなさいと繰り返せばいい。
年上らしく、限りある時間を大事にしなさいと、諭し続ければいい。
だけどあたしは。
言葉に籠められた想いと揺るぎない眼差しを前にして。模範解答など、無意味である事に気がついてしまった。
「……見返りなんて、求めてない」
覚悟を決めて。あたしは交渉の場に乗る。
「――歳の話は不毛だから止めておくが。助けてもらうだけというのは、俺の矜持が許さない」
「そんな事言っても……」
子供にお願いしたい事なんて。
言いかけて、あたしは閃く。
我ながらこんな事を思いつくなんて、友達に聞かれたら「おバカ!」って言われそうだけど。突如として頭の中に降りてきたそれを、あたしは名案だと思った。
エリオットから見返りなんて求めていない。
だけど。それじゃあ納得しない男の子の為に。
「じゃあ、さ――」
ニッコリと、笑う。
「あたしを守ってよ」
予期せぬ提案だったのか、エリオットは「は?」と言いたげに眉を顰める。
その態度に内心苦笑しながら、「あたし、ヴァリュアブルなんだ。だから守ってよ」と、続ける。
ヴァリュアブルは狙われる。
その魔法の力を目当てに、悪事を企む者がいるから。
実際狙われたら自分で何とかする。
その為の自己防衛プログラムであり、あたしは義務として受講しているのだから。
それでも建前上、自分に騎士がいるのは嬉しいし、エリオットも納得してくれるのではと考えた。
「――狙われているのか?」
「うん。ヴァリュアブルだからね」
「魔法が目当て?」
「そう。一回だけだから、捨て駒なんだろうけど」
エリオットは少し考え込み、そして、スッと手を差し出して来た。
真っ白な手は雪国の生まれなのかな。って、そんな事を想像させる。
「交渉成立かしら?」
「ああ」
差し出された手を握る。
小さな手のひらは柔らかく、それでいて強くしっかりとしていた。
お読みいただきましてありがとうございました!