19.彼の選択
「――それが、君の答えなんだな」
「ああ。こちらには、彼女の弟と親友がいる。引き離す訳にはいかない」
崩れ落ちたティアナを思い切り抱きしめる。
普段は照れが先立ち、強く抱けなかったこの身体。
陽だまりと花の香りを纏う彼女は眠りの魔法で意識がなく、俺のされるがままになっている。
「建前はそういう事なんだな」
「……余計な御世話だ」
俺はロデリックを睨む。
詮索するな。
考えるな。
想いを見透かすな。
ありったけの気持ちを込めて視線で威嚇する。
そうだ。これは誰も知らなくていい。俺だけが。俺だけが知っていれば。
知られない想いは、無かったも同然。
俺は選んだ。だから――……迷わせるな。
ロデリックが肩を竦め他所を見た。
その隙に彼女の耳元へ唇を寄せ、もう一度「ごめん」と呟く。
聞こえていないと分かっている。ただの自己満足。
目が覚めたら、ティアナは絶対に怒るだろう。
それこそ烈火の如く怒り狂って、夕食を「ネバ豆」尽くしにされる事間違いなし。最悪だ。だけど甘んじるだけの事をしている。
……と、そんな事を考えた自分に苦笑した。
もう二度と、彼女と夕食を共にする機会などありはしないのに。
名残惜しい気持ちを無視して、ティアナをロデリックに預ける。
軽々と彼女を抱きかかえる姿に嫉妬し、自分の姿を見て失笑が漏れる。
「……ファーブルに戻れば、姿も戻るだろうか」
「見目が違うのか? だが、あちらでは重要視されないだろう?」
「そういう問題じゃない」
「戻らなければ、幻術をかければいいだけだ」
「それは根本的な解決になっていない」
あくまでも見た目に拘る俺を鼻で笑うロデリック。
ロデリック=クロスリー。
名を聞いた時、もしや。とは思ったが。
話の端々から見受けられるマナの知識を考えれば、この予想も外れてはいまい。
「――王に、ウェイン様に伝えて欲しい事はあるか?」
「……いや。今更申し上げる事はないよ」
「そうか」
ならば、もう行かなくては。
チラリ、と。ティアナの姿を見る。
見納めだと思うと、目が離せなくて。
このままずっと見つめていたいという気持ちに、足元を絡め取られそうになる。
「……ティア、世話になった。ありがとう」
「伝えるか?」
「いや。言わないでくれ」
未練が残ってしまうのは俺だけで十分。
彼女には薄情な子供だったと、怒って忘れてもらった方が良い。
ガーディーの放ったマナが失われてゆく。
元より魔法が使いにくいこの国には基本的にマナが少ないらしい。
乾いた砂地に水が吸い込まれて行く様に、マナがどんどん物質へと溶け込んでいってしまう。
今の俺には物質を分解、組み替えるだけの内包するマナがなく、大量に放出されているこの空間でしか魔法が使えない。
帰還するには、今しかなかった。
「……ティアを頼む」
「ああ」
俺は目を閉じ、息を吸い込む。
視界から消えた彼女の存在をしっかりと心に留め、漂うマナを紡ぐ。
『我の名はエリオット=マーカム』
王の元へ向かう事と、ティアナの傍に居る事。
願いはたったの二つだけなのに、それは俺の手に余った。
『風に我を乗せ、山を、川を、そして国を越えよ』
本当は選びたくなかった。
どちらかが優位である事はないのに、時は無情にも選択を迫る。
『……目指すは我が故郷。その名は、ファーブル』
狭まる視界の中、最後の最後までティアナを見つめる。
寂しがりの彼女を置いて行くのはとても心配で。
何もかも忘れて、このまま彼女の傍にと。共に在りたいと。心の奥底からそう叫びながらも。
同時に在る大切な約束も絶対に守りたかった。
この選択に、正解などない。
どちらを選んでも、ふと立ち止まり、必ずこの日を思い出す。
故に、分かるのだ。
大切な約束を葬った自分を、俺は決して許せない。だから。
君を守る役目を、誰にも譲りたくない――。
君と共に在れない自分に。
こんな事を想う資格など、ありはしないのだ。
◇◆◇◆◇◆
ぼんやりと、霞みがかった意識の中。
現実と夢との境が曖昧で、その間をふわふわと漂う。
綿菓子のような雲に寝転がった、心地よい、まどろみ。
――ああ。気持ちいい。
まだ休んでいてもいいだろうか? ……いいよね?
誰もが知っている、目覚める前の至福の時。
大海原に解き放たれたように。大の字に寝転がって。
ゆらり、ゆらり、ゆらり。
好きなだけ揺られて。こんな風に甘えて。
それは彼が起こしてくれると知っているから。
あたしには騎士がいる。
怒りっぽくて生意気だけど。本当はとっても優しい――……あたしの、あたしだけのボディーガード。
ねえ? リオ?
「う……ん……」
ゆっくりと靄が晴れてゆく。
まだ眠い。寝返りを打つ。
フカフカの綿毛につつまれた心地は極上で。
あたしは二度寝を決め込む。
――……が。
「!!」
急激に意識が浮上し、慌てて身を起こす。
伝わるのは沈み込む感触と、さらりとした手触り。ここは……ベッドの上?
「……目が覚めた?」
柔らかな、気遣う様な声が聞こえ、隣を見た。
「――ジェシカ、さん?」
「ん。勝手に悪いなって思ったけど、部屋に運ばせてもらったから」
運ばせて。
その言葉を聞き、直前の記憶が呼び戻される。
――あたしは、気を失ったのだと。
「リオ……エリオット、は……?」
「……帰った」
「『帰った』……? 一体、どこへ?」
「ファーブル王国」
「『ファーブル、王国?』」
「そ。彼の故郷だって」
帰った。ファーブル王国。彼の、故郷。
全ての単語が連なり、エリオットがもうここにはいないのだと分かる。
「なん、で?」
「王様が心配なんだって」
「……ちがう、そうじゃなくて」
そうじゃなくて。
「どうして……。どうして、連れて行ってくれなかったの……?」
ついて行くって言ったじゃない。
一緒に行くしかないのかって、言ったじゃない。なのに、なんで?
「……これが、彼の選ぶ最善だっただけだ」
「ロデリックさん……」
「人は常に選択をし続ける。――たとえ、事柄が同列に比べられなくともだ」
壁にもたれたロデリックが、遠くを見るように言った。
その言葉も、姿も。
彼が、そういう選択を迫られた事があると語っていた。
エリオットが何を考え、この選択をしたのかは分からない。
それでも結果として、彼はファーブルに帰った。
あたしを置いて行く。と、いう選択をして。
「でも、それじゃあ……」
あたしの選択はどうなるの……?
事の起こる早さについて行けなくて。
急に襲われて、撃退して。そうしたら、エリオットが行ってしまうと言うから。
何がどうなっているのか分からなかったけど、ただついて行こうと決めた。
彼を守りたいと。離れたくないと思った。なのに。
それがエリオットにとってはどうでもいい事だった?
迷惑、だった……?
役になんて立たないかもしれない。
居るだけで、足手まといなのかもしれない。
だけど、あたしは。
「離れたく、なかった……」
あたしの呟きに、答えはなかった。
お読みいただきましてありがとうございました!(*^_^*)
またお暇がありましたらよろしくお願いします!!