18.襲撃2
空気が揺らめいた。
見えないのに、そこに何かが存在していて。
あたし達を囲む甲冑の人間から発せられたその何かは、ガーディーに吸い寄せられるように集まって。揺らぎが大きく、まるでひずみが出来たように、空間を揺らす。
『辛い、暗い、見えない。零れるのは、魔女の涙。奪うのは、白き心』
世界が、割れる。
ガーディーの手を広げた先――……何もない、その場所が。何故か低く、鈍い音を鳴らし。大気を重々しく震わせる。
次の瞬間。
まるで壁に入ったヒビの様に、黒い稲妻が走り抜けた。
「ティア!!」
気付けば、エリオットに抱きしめられていて。
その小さな身体が、あたしを守ろうとしてくれているのが伝わる。
「ティア、ティア!!」
少し、遠くで聞こえる声。
小さくて、温かな感触。
そして。
空から零れる黒い涙――。
あたしはその異様な光景から目が離せない。
突然、夜になる。
それを疑う間もなく、視界は真っ暗で。
じわり……と、垂れたインクが広がるように。視界のみならず、心も身体もゆっくりと、しかし、確実に黒一色で塗りつぶされてゆく。
――ねえ、だれか。
呼びかけに、答える者はいない。
――ねえ?
意識が混濁する。
周囲の様子も、見上げていたはずの空も、あったはずの体温も。
――…………?
分からない。
何も、ない。
形ある物も、ない物も。
全てが、ぐずぐずに溶けてゆく――……。
『――白は染まる事を恐れぬ』
何処からか響く、凛とした声。
『赤も青も黄も。そして、黒へも』
どこかで聞いた事のある、この声色。
『故に――……』
黒く染まっていた視界に、一筋の光が差す。
『白であり続ける事は、この上ない誉れなり!!』
光が膨張し弾ける。
一瞬のうちに広がったその光は黒を呑み込み、次の瞬間収束してゆき。
光が。
音が。
そして、自らを包む温かなものが。
突如としてその存在を現す――!!
「っは……!!」
吸い込んだ空気で声が漏れる。
激しく脈打つ心臓。浅い呼吸。
まさか。今の今まで呼吸が止まっていた?
事態を呑み込めないあたしの目に、驚愕の表情を浮かべたガーディーが映る。
そして対峙するは――……
「――魔法はアンタ達の専売特許じゃないんだからっ!!」
黒いスーツに身を包む金髪碧眼の女性――……あれは、ジェシカ?
「ガーディー様の魔法が破られた!?」
「まさか!!」
「しかし、相手は『王の隼』エリオット=マーカムの仲間だぞ!!」
動揺が、広がる。
確信していた勝利が消え、焦りが不安を呼び、そして恐怖を伝染させる。
「慌てるな、皆のもの!!」
ガーディーの声に、賛同は上がらない。
「ちっ!!!」
盛大な舌打ちをし、ガーディーはローブを翻す。
漆黒のマントは風に煽られ大きく広がり、彼の全てを包み込もうとする。
――と。すぐ傍を風が通り抜けた。
視界を掠めた色は黒。
野生動物のようなスピードで走る誰かがガーディーへと襲いかかり、あたしは思わず顔を逸らした。
衝撃音が響く。
とても人から発せられる音に聞こえなかったそれは、強化されたガラス戸を殴りつけた様な音。
生身の人間がただで済むとは思えない。
怖い。
怖い。
怖い。
直視出来るとは思えないその光景を想像し、あたしはきつく目を閉じる。
怪我をする、誰か。
あたしの代わりに眠ったリアム。
マリカ。マリカ。マリカッ。
胸が締め付けられる。息が苦しい。
どうして。いつも。見たくない。選びたくない。
あたしは、ただ。みんなと――!!
もぞり、と。腕の中で身じろぎをされる。
ハッとした。
腕の中の温かなモノ。
小さくて、でも大きな存在で。
それはいつだってあたしを支えてくれている。守ってくれている。
彼はあたしを守ることを選んでくれた。
あたしも守りたい。選びたい。
彼を。リオを。絶対に、守るんだ。
あたしは、恐る恐る視線を戻す。
視線の先には一突きに出された拳。
その拳は、ガーディーのマントを揺らす事すら叶わず。
寸でのところで静止していた。
ピシリ。と、何かが割れる音が聞こえて、拳とガーディーの間にガラス片のような物が舞い散る。当然、そんなところにガラスがある訳がなく、そこで初めて、見えない障壁が築き上げられていた事に気がつく。
「……くっ!! 撤退だ!!」
「逃がすわけないでしょ!!」
ジェシカが地を蹴った。
ほぼ同時にガーディーも手を振り、魔法を完成させる。
黒が広がる。
先程の恐怖を思い出し、身が無意識に委縮する。
しかしその色はあたしの元へは来ず、ガーディーや甲冑の兵士たちを呑み込む。
「止まれ!! ジェシカ!!」
「っ!! どうして隊長!?」
「転移魔法に巻き込まれたいのか!」
「んもう!!」
突撃しようとしていたジェシカが足を止めた。
悔しそうに眉間にしわを作る彼女を他所に、広がっていた黒は音も無く消え。
ガーディーも、輪を作る程にいた甲冑の兵士も。
最初から、誰も居なかった様に消えている。そして。
広場に、また水の音だけが戻った。
「……ティア、大丈夫、か?」
耳元で聞こえた声に、ホッと胸を撫で下ろす。
「――うん、リオも大丈夫?」
「ああ。問題ない」
お互いの顔を確認し、表情を緩める。
「ティアナ! エリオット君!! 大丈夫!?」
「ジェシカ、さんっ……!!」
「良く持ちこたえてくれたわ!」
微笑むジェシカに、あたしも笑う。
良かった。とにかく良かった。
信じられない出来事は怒涛のように過ぎ去り、訪れた安堵は日常へと向かう。
「――君が、ファーブル王国のエリオット=マーカム?」
聞き覚えのない、低い声。
いつの間にか近づいてきていた黒い誰か……もとい、黒服の男性が声をかけてくる。
「……貴方は?」
かけていたサングラスを外す男性。
フッと表情を緩め、手を差し出すが、対するエリオットの表情は硬いまま。
誰だ。と、訝しげに見る様子で、知り合いではないと分かる。
「俺はロデリック。ロデリック=クロスリー」
「なんと! うちの隊長様で~す!! あのね、隊長はね……」
「少し黙っていてくれないか、ジェシカ」
「ひっどーい!! 隊長の為に、あたしの魔法使ったのに!!」
「それに関しては、とても感謝している。――良くやった、ジェシカ」
「えへへへ……。褒められちゃった」
「――だが、ここからは大事な話となる。静かにしていてくれ」
「はあーい」
まるで子供をあやす様にジェシカを大人しくさせ、ロデリックはエリオットを見る。
二人はお互い何かを見極めようと瞳の奥を探り合うようにしていたが、先に目を逸らし、首を振ったのはエリオットだった。
「――聞きたい事は、山ほどあるんだが」
「『時間がない』と言いたそうだな」
「……ああ。俺は今すぐ王の元へ帰還する」
「それがいいだろう。大量にマナの放出されたこの場なら、うまくマナを感じ取る事ができる」
エリオットが苦笑した。
「そんな事まで知っているのか……アンタ、ひょっとして」
「気にするな。今はどうでもいい事だ」
「……たしかに」
何か通じ合うモノがあったらしい。
二人は同時に頷いた。
「ティアナの事は俺達に任せてくれ。彼女の望まぬ事はしないと誓う」
「……ああ。守ってやってくれ。……絶対に」
エリオットとロデリックが握手を交わす。
交渉成立とばかりのその行動。
……って。
「ちょ、ちょっと待ってよ!!」
「ん? どうした、ティア?」
口を挟む事を予想していなかった対応。
なにそれ。ひどい。
あたしはさっきからここに居るのに!
「当然、あたしもついていくからね!!」
口を挟めるような雰囲気じゃ無かったから、うっかり言いそびれたけど!!
それはあたしの中で決定事項だ。
なのにエリオットは顔を顰めた。
「――ダメだ、危険すぎる」
「危険だと聞いて、リオ一人だけを送りだせるわけないじゃない!」
「…………」
「黙りこんでも無駄よ!! 絶対ついて行くんだから!!」
乗り掛かった船!
というより。あたしはエリオットと離れたくなかった。
出会ってから、一緒に暮らした日々。
マリカが倒れて、支え合ったあの日。
小さな身体を張って守ってくれた、今。
全てが大切で。
さっきだって、あたしは選んでいた。
彼を、守るんだって。
だから一緒に行かない理由なんてこれっぽちもない。
「ホントに、『余計な事ばかりに首を突っ込む』」
「マリカのまねをしたってダメなんだから!!」
「なんか、アイツの気持ちが良く分かる」
「マリカが起きたら、言ってあげて! 喜ぶから!!」
「いや、絶対喜ばねぇな」
心底違うと言わんばかりに首を振り、エリオットは息をつく。
……なに。その全てを諦めたような重い溜息は。
不本意すぎるその仕草にもめげず、あたしはエリオットを見つめる。
絶対ついて行く!! と、瞳に力を込めて。
譲れない。これだけは絶対に譲らないと訴える。
しばらくの間エリオットはあたしを見ていたが、ようやく首を振った。
「――……一緒に、行くしかないか」
「うん! そうこなくっちゃ!」
言い方は可愛くないけど。この際、良しとする。
傍で聞いていたロデリックもジェシカも何も言わない。
異論なし。という事なのだろう。
「時間がない。ティア、屈んでくれないか?」
「うん」
――これで、いい?
と、目線を合わせて尋ねればエリオットは笑みを浮かべて頷く。
「ティア、もっと傍に」
「うん? こう??」
ピッタリとひっつく様に身体を寄せれば、エリオットがあたしの背に腕を回す。
ぎゅっと、抱きしめられる。
いつもより力強い抱擁は離れない為にするもので、きっとこのまま魔法を使うのだろう。
彼の魔法を見るのは二回目。
一回目の魔法もすごかったけれど、今度はどんな事が起こるのだろうか。
未知の体験は不安。だけど、リオがいるから大丈夫。
覚悟を決めて、エリオットの名を呼ぶ。
腕に力が入る。少し怖い。でも大丈夫。
彼がもう一度抱きしめる腕に力を込め、あたしの頬に顔を寄せた。
『時を待つな。すぐに訪れよ。我は誘う、黄金の夢』
突然身体の力が抜け、そのままエリオットに寄りかかる。
なんで? と、考えようとして。
頭の中が白く靄が立ち込めている事に気が付いた。
目に映る景色が、輪郭を失う。
自分の意志とは関係なく、意識が閉じてゆくのが分かる。
「リ、オ?」
呟いた言葉で、抱きしてくれている力が強くなる。
柔らかな頬っぺたが、温もりを伝えてくれる。
不安を包み込むように。俺が守るから。と、そう言われている気がするのに。
「――ごめん」
聞こえた声は――……とても、辛そうだった。
お読みいただきましてありがとうございました!!(*^_^*)
お暇がありましたらまたお願い致します!あと、お気軽にコメントなどいただけたらとても嬉しいです!よろしくお願いします<(_ _)>ペコリ