17.襲撃
「ティア!!」
立ち竦むあたしの元へエリオットが飛んでくる。
抱きつく様にあたしを押し倒し、そのまま転がりながら壁に突っ込んだ。
「リ、リオ? 一体どうなって……」
「話は後だ!! 壁沿いに走る!! 絶対自分の影を作るな!」
なにが、どうなっているの?
事態を呑み込む事が出来ず、ただエリオットに手を引かれながら走る。
あの場に広がった禍々しい気配。
足を引っ張られるような感覚。絡みつく黒い靄。
あれは一体、何?
「くそっ!! 方向が制限される!!」
「影、どうしてダメなの?」
「呪魔法をかけられた! 影を作れば、自身の影にマナを刈られる!」
「意味、分かんないんだけど!?」
「後で説明する!! それより水持ってないか!?」
「水筒がある!」
「貸してくれ!!」
壁にピッタリと寄り添いながら路地を曲がると、エリオットが足を止める。
彼はあたしが差し出した水筒をひったくるように奪い取り素早く水を注ぐと、何故かあたしにコップを握らせる。
「俺のマネをしてくれ」
エリオットが目を閉じ、言葉を紡ぐ。
『我は純潔の乙女。穢れを知らぬ我の心、我の口づけは、悪しきものを祓う』
「えっと、『我は純潔の乙女。穢れを知らぬ我の心、我の口づけは、悪しきものを祓う』?」
「ティア、水に口づけを」
「う、うん……」
言われた通り、唇で水へと触れる。
すると一瞬で水の輝きが増し、中身が水晶玉のようになって浮いた。
「な、何コレ!?」
「ティア、一緒に触れるぞ」
エリオットは「せーの」と掛け声を上げ、あたしも慌てて水の玉に触れる。
パチンっと玉は弾け、細かい霧状になり――……そして、消えた。
「――これで解呪成功だ」
「え? これ、あたし、魔法??」
「魔法ではなく、祈祷だな」
「ごめん、違いが分かんない……」
それでも困った事態は回避できたらしい。
あたしはホッと息をつく。
「とにかく、落ち着いたら色々聞かせて」
「巻き込んでしまった以上そのつもりだ」
でも、その前に。と、エリオットは立ち上がる。
「……ティアが乙女で安心した」
「え? あたしのどこを見て、性別を疑うのよ??」
あたしの解答にキョトンとした表情を見せたエリオットが、柔らかく微笑んだ。
「――知らないなら、それでいい」
「意味違うって事?? なら教えてよ」
「気にするな。悪い意味じゃない」
「そういう問題じゃない!!」
「もう!!」と怒るあたしに、エリオットは「また、後でな」と言い、そして、すぅっと目を細める。
光の侵入を抑え、鈍く光るその瞳には、もうあたしを映してはいなかった。
ひたり。と、冷たいモノを背後に感じた。
「――ざまあないね、エリオット」
「お前に名を呼ばれたくない――。ガーディー=ハウンド」
あたしを飛び越えた先へと話しかけるエリオット。
恐る恐る振り返れば――……そこには黒マントの男が立っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「えらく可愛くなったもんだな。大魔法使い様は遂に刻まで操れるようになったのか?」
「お前は相変わらず、陰気くさい魔法ばかり使いやがって」
ガーディーと呼ばれた男は、ふんと鼻を鳴らす。
フードから零れるのは鈍い銀色の髪。双方を彩る紫色の瞳。
知的な香りと、纏う狂気と。普段は漆黒のマントで覆い隠しているのか、その造形は美しく、そして毒々しい。
視線を感じたのか、彼はこちらを見たかと思うと、厭わしげにフードを被り直した。
「――まあ、刻を操れる様になったのなら、さぞ王もお喜びになるだろうな」
呟くように語る声には誰も答えず。ガーディーは続ける。
「『幸せだったあの頃を永遠に』――時を遡れるなら、王は何をしてでもそれを手に入れるだろう」
「……あのお方は、そんなに弱くはない」
「ふん。お前は王を美化しすぎだ、エリオット。あれはもう過去の遺物だ」
「なっ!!! ウェイン様を愚弄する気か!!」
「『ウェイン様』か。お前は王のお気に入りだもんなあ、リオ?」
「黙れ!!」
今にも飛びかからんとする勢いでエリオットが吠える。
奥歯をギリリと噛みしめ怒りを露わにする彼を、ガーディーは口角を上げ嗤った。
「まあ、それも今日で終わりだエリオット。お前は二度と王に会う事も無く、ここで朽ちる」
「なん、だと?」
「王の元を離れ、責務を忘れ。異国でのうのうと暮らしているお前に、居場所などあるわけないだろう」
「……休暇中の事を、お前にとやかく言われる覚えはない」
「ふん。知らぬ、気付かぬは罪だな」
「……? なんの事だ?」
エリオットの言葉に鼻をならしたガーディーは、「それがお前の罪だ」と言う。
「その罪はやがて王都を呑みこみ、ファーブル全土を、人々を腐らせる。そうならぬ様、ここで一人朽ちた方がよほど効率的だろう?」
「謂われ無き罪で朽ちる必要などない!」
「『謂われ無き罪』、か。――では言葉を変えよう。
お前は必ず『命の杯』を傾けようと考える。それはファーブルにとって重大な損失を与えるだろう――つまり、反逆だ」
反逆者は死罪。
当然だよなあ? エリオット。
嗤うガーディーにエリオットは言い返さない。
いや、言い返せないのだとすぐに分かった。
それは彼が驚愕、としか言いようのない表情を浮かべていたからだ。
「……なんだ、その間抜け面は。ああ……、そうか。どうして俺が『杯』の存在を知っているかって? 王家のみの秘密だからといって、他者が知らないなんて安直すぎるだろう?」
小馬鹿にしたような口調でガーディーは続ける。
「未来永劫守られる秘密などありはしない、時代は変わるんだよエリオット」
「……貴様! ウェイン様をどうする気だ!!」
「どうするかは俺の仕事ではないからな」
クククと笑うガーディーは音も立てず、後ろへと下がる。
「待て!!」
堪え切れずエリオットが飛び出し、あたしは慌てて後を追う。
壁に添いながら走った道を逆戻りしながら、あたしは自分がエリオットについて何も知らないのだと気付く。
休暇中?
命の杯?
それに、ウェインって誰?
頭の中では聞いたばかりの言葉がその解を求め、ぐるぐる回り続ける。それでも自身の中では解答の糸口すら見えず、戸惑うばかりでどうする事も出来ない。
目の前ではカーディーを追うエリオットの背中が見える。
その小さな背中にはあたしの知らない何か大きなものを背負っているのだと理解できると、今すぐにでもその荷を掴みたくて手を伸ばす。
――だけど。届かなかった。
全力で走っていても荷を掴む事はおろか、あたしの手はエリオットの背中に触れる事も出来ない。
待って。
と、心の中で声を上げる。
分かってる。
今、声を上げるべきではない。
だからあたしは歯を食いしばって疾走し。
そうしてやっと。やっとの思いでエリオットに追い付けば、そこは最初にガーディーを見た場所だった。
誰も居なかった、お祭り広場。
噴水の、水の音だけが背景に溶け込むように流れていたその場所に。
今度は見た事のない甲冑を着た人間が。
手に槍と盾を持ち、輪を描く様に整列している。
囲まれた。と、気付くのに時間はかからなかった。
「皆のもの!! そこに居る幼子が、反逆者エリオット=マーカムだ!!」
ガーディーが吠え、とどよめきが広がる。
「彼の姿に惑わされるな!! 奴は『王の隼』だという事を思い出せ!!」
視線がエリオットに集中し。
どよめきが、賛同に変わる。
そして――。
「ファーブル王国の為! 我らが主君の為! ここで反逆者を討つ!」
賛同が怒号に変わる――!!
「ガーディー!! 貴様っ!!」
「――さあ、終わりの時間だ、エリオット!!」
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