15.無力
「ティアナ」
「…………」
「気をしっかり持て、ティアナ」
「…………」
「……しっかりしろ……ティア」
マリカが呼ぶ愛称を耳にし、心が震えた。
少しずつ、少しずつ、エリオットの言葉を理解しようと頭が動き出し、それが進むにつれ、全身の力が抜けてゆく。
ガクリと、膝から崩れ落ちたあたしを、エリオットが支える。
引かれた、カーテンの奥。
ベッドに横たわる、誰か。
エリオットを柔らかく押し戻し、這う様にしてベッドに近づく。
力の入らない身体を無理やり動かし、ただ必死に床に手をつき進む。
震える手でカーテンを引いた。
日焼け知らずの、白い肌。
何時も厳しい事ばかり言うけれど、本当はすごく優しい言葉を紡ぐ唇。
閉じられた瞳は見えないけれど、いつもいつも手入れに余念がない亜麻色の髪が、真っ白なシーツの上に広がっている。
「マリ、カ?」
蚊の鳴く様な声で。
「マリカ……」
響く、音は弱々しく。
「マリカ!!」
受け入れられない全ての事が、堰を切って溢れだす。
「マリカマリカマリカマリカ!!!」
「止せ、ティア」
「離してエリオット!! こんな冗談許せない!!」
「こいつが、こんな悪趣味好むと思うか」
「冗談じゃなければ、何だっていうのよ!?」
「こんなの、ありえない!!」と叫ぶあたしに、「マナの枯渇だ」と、エリオットは言う。
「運動機能を司るマナが著しく減っている為の症状だ。マナの量を増やせば目を覚ます」
「じゃあ増やしてよ!!」
ギラギラと目を光らせ、エリオットを睨む。
手が白くなるのを厭わず拳を握りしめ、戦慄く唇を歯を食いしばって止める。
いやだいやだいやだ。
マリカまで、どうして。
涙を流さないのは意地だった。
泣けば現状を認めてしまうのだと。マリカが、本当に倒れてしまったのだと。
違う。そんな事はない。絶対に!!
目に映った現実を必死で排し、これは嘘だと心が叫ぶ。
エリオットが視線を落とす。
気まずくてというより、耐えられないといわんばかりだった。
「やれるものなら……もう、やっている」
意気消沈した言葉に、ビクリ、と身体が震える。
「今の俺はマナを感知できない……だから、できないんだ……」
彼の、悲痛な思いに触れ。
思いのまま叫んでいた自分に気が付いた。
あたしは、何を。
彼を責めて、何をやっているの。
黙りこんだあたしに、エリオットは何も言わない。
握りしめる手は、震えていた。
「……ごめん、エリオット」
原因が分かっているのに。
知っているのに、出来なかった彼が、どれだけ絶望したのか。
現実を見ず、責め立てるあたしに、どれだけ傷ついたのか。
それを理解せず、取り乱して、八つ当たりして。
自分の投げつけた言葉に嫌悪した。
あたしは「ごめん」ともう一度伝えながら、拳を作るエリオットの手を取った。
このこわばりが取れますように。
願いを込めて握った手は冷たく、雨に晒された子猫のように俯く彼を、手のひら全体を使って、優しく優しく撫でて。ゆっくりと拳を開かせる。
彼の手のひらには、くっきりと爪の跡が残っていた。
「……酷い事言って、ごめんね」
小さな手を握り、自分の頬へと当てる。
目を瞑り、彼の心が、痛みが、少しでも理解できるよう。伝わる手の温かさに、想いを乗せる。
「ティア……」
「ごめんね、リオ」
もう片方の腕を伸ばし、エリオットを抱きしめた。
彼は何も言わず、あたしの背に手を回し、労わるようにゆっくりと背中をさすってくれる。
しばらくの間、あたし達は抱きしめ合っていた。
辛い気持ちも、悔しい気持ちも共有し、支え合う様に。お互いが、倒れてしまわないように。
「今ほど、この身体を悔しく思った事はない――……」
呟きの意味はわからなかったけれど、彼も無力を嘆いている事だけは分かった。
◇◆◇◆◇◆◇
マリカが倒れてから。
あたし達はお互いを愛称で呼ぶようになっていた。
「リオ」
「なんだ、ティア」
それは、見えない壁を一つ壊した様な。
一歩お互いの心が近づいた様な、そんな感じがする変化。
「えへへ、こっちにおいでよ、リオ」
「……ティアはいつになったら、俺の年齢を信じてくれるんだ」
「信じてるよ?」
「嘘言え」
不安を隠す様に。
人肌が恋しいのだと言って、隙あらば引っ付こうとするあたしに、エリオットは気まずそうに顔をそむける。
その顔がちょっと赤くて。恥ずかしがっているのだと思うと、それも可愛くて。あたしは甘えるように小首を傾げる。
「ね?」
「何が『ね?』なんだよ……」
エリオットは顔を赤く染めたままあたしを見る。
次の行動を迷っているのか、少しだけ揺れる瞳。
そんな彼に向かってあたしはニコリと笑い、両手を広げる。おいで。と、行動で示す。
「……俺は、ちゃんと申告しているからな」
何やら自己弁護をしながらこちらへ近寄って来る。
視線はそらしたままで。それでも広げた腕の中へと入ると、おずおずとその小さな腕をあたしの背中へと回してくれる。
温かい、エリオット。
今は夏だけど、心地よくて。
たぶん冬になったら、もっと心地よいから。きっと。
「――冬になったら、一緒に寝ようね?」
「っ!! 俺は子供じゃない!!」
慌てるエリオットは、とっても可愛いから。
マリカにも絶対見せてあげたいと、そう思った。
お読みいただきましてありがとうございました(*^_^*)
またお暇がありましたら是非よろしくお願い致します<(_ _)>ペコリ