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14.変わる日常

  





 帰宅すると、部屋には人の気がなかった。


 飲みかけのカップ。開きっぱなしの分厚い本。

 居間の机にはエリオットがいた形跡があるのに、その姿は見えない。


 嫌な予感がして家中の扉を開けて回る。


 お風呂、トイレ、自分の部屋、弟の部屋。


 どこにも、誰もいない。


 飲みかけのカップを手に取る。

 カップの中には小さくなった氷と、手には沢山の水滴がついた。



 まだ、そんなに時間は経っていない――。



 あたしは庭先へと続く窓を見た。鍵はかかっている。

 じゃあ、玄関?


 そんな、エリオットが不用意に扉を開けるだろうか?

 ……待って。玄関の鍵は、かかっていた。



「どういう、事?」



 あたしはその場に立ちすくむ。

 忽然(こつぜん)といなくなったエリオット。


 彼が現れたのも突然だった。

 だから、お別れも急に?



「そんな……だって」



 変わらない日常に風を巻き起こし、あたしの元にやってきたエリオット。

 大嫌いだった一人きりの時間は減り、口喧嘩したり、調べ物をしたり、一緒にご飯作ったり。

 からかって不貞腐れた顔を見て笑って。怖くて震えていた心をそっけない態度で守ってもらって。

 彼がいる事が当たり前で。それは、何の変哲もない日常になっていた。なのに。



「エリオット……どこ……?」



 分かっていた。

 この日常が、仮初(かりそ)めである事を。

 ずっと続くと、決まっていた訳じゃないと。



「ねぇ……返事を、して」



 ちゃんと分かっていた。――……はずなのに。


 彼の不貞腐れた顔が。

 顔を真っ赤にして怒る言葉が。

 目には見えない温かな心が。


 ゆっくりと、遠ざかって行く。



 あたしはふらふらと立ち上がり、エリオットの痕跡を探そうと歩きまわる。


 朝干した洗濯物は取り込んでくれている。お風呂は濡れていないから、まだ入っていないみたい。

 服。エリオットと初めて会った時の服。……置いてある。どうして? 自分の意思で出て行ったのではない?


 あたしは玄関へと向かい、靴を確認する。


 一足、ない。


 やっぱり、自分の意思で出て行った?


 縋る様に顔を上げ、閉じている玄関扉を見る。

 今すぐにでも扉が開いて、彼が帰ってくればいいと。

 何食わぬ顔をして、「どうしたんだ。ティアナ?」と首を傾げればいいと、そう思って。


 しかし、扉は一向に動かず。

 あたしは視線を落とした。


 ……と、そこに貼った覚えのないメモ紙を見つける。

 自分の目線より少し下――エリオットが手を伸ばして貼れる、一番高い場所――にあり、それには走り書きでこう書かれていた。



『アーバン通り3665―25』



 あたしはすぐに家を出た。



◇◆◇◆◇◆◇



 その住所は医療施設だった。


 白を基調とした建物は清潔感があり、大きなガラス張りの窓は解放感があった。

 傾けられたブラインドからオレンジ色の光が差し込んで、長椅子を朱に染めている。

 日中であれば外にある木々を眺めながら順番を待つようだが、夕方である今は人が(まば)らで、広く開いた空間がなんとなく寂しさを感じさせた。


 どうしてここの住所が貼られていたのか。

 

 受付で彼の名前を出してみる。


 受付嬢は首を傾げ、「その様なお名前の方はいらっしゃいません」と言った。

 念のためヴォーグライトの名前も出してみたが、反応は同じ。


 エリオットがここに運び込まれたわけではないようだ。



 握りしめていたメモを見る。

 筆圧は強め。文字数も少なく、走り書き。


 数字の部分に、なんとなくエリオットを感じる。

 走り書きながらも見やすさのある数字は、年の割に綺麗な字を書く彼の筆跡だと言われれば納得も出来る。



「ティアナ」



 聞こえた声に振り返れば、そこに探し人がいた。



「エリオット!! 探したんだから!!」

「すまない。急ぎだったんだ」

「急ぎって、何よもう!!」



 自宅へと帰った時のあの静けさ。言いようのない不安。恐怖。

 それらの全てが安堵と、ちょっとした怒りに変わり、あたしは頬を膨らませエリオットを睨む。


 彼はそんなあたしに反論してくる事も無く、神妙な表情を浮かべている。

 さすがのあたしも何かあるのだと分かり、怒りを鎮めて彼の言葉を待った。



「ティアナ、こっちに来てくれないか」



 表情の硬いままのエリオットを見て心配になる。


 何か良くない事が起こった?

 まさか、父親と思っている人がここに?

 いや、それより『アリス』が居てとか?

 それとも……?


 あれこれ考えているうちに、エリオットは立ち止まっていた。


 真っ白な扉の前。

 治療中の人が寝泊まりする、部屋の一つ。

 この部屋の中に、エリオットをこんな表情にさせる人がいるのだと思い、札を確認する。


 名前は、入っていなかった。

 記号のみが書かれた札は個人を識別する仮のもので、それはまだ入室して時間が経っていない事を表している。


 エリオットが静かに扉を開ける。

 自分も入室して良いのか迷っていると、彼が頷いて見せたのでその後に続いた。


 部屋は白で統一されていた。

 シミ一つない壁。光を跳ね返す床。厚手の、白いカーテン。


 カーテンの奥には恐らくベッドがある。

 誰かが居るのは間違いなかった。



「ティアナ、落ち着いて聞いてくれ」



 そんな事を言われたら、(かえ)って緊張してしまう。


 身構える心。


 ただ、何から心を守ればいいのか分からない。



「――が倒れた」



 聞き取れなかった。

 決して小さな声だった訳ではないのに、よく、聞こえなかった。



「……ごめん、聞こえなかった」



 あたしはヘラリと笑った。

 どうして笑ったのか、自分でも分からない。


 エリオットは表情を崩さず、閉じたカーテンへと手を伸ばす。

 そしてもう一度、言葉を繰り返した。



「マリカ=シグレスが倒れた」



 全身が凍りついた。








お読みいただきましてありがとうございました!!

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