13.手掛かり
「――ティアナ達は『アリス=ファーブル』を探しているんだって?」
一番知られたくない奴に知られた。
昼下がりの図書館。
窓際だけど、大木のお陰で涼しい席の片隅で。
あたしは少しでも『アリス』の手掛かりを探したくて、小一時間ほど書物と向き合っていた。
「マティアスには関係ないと思うけど」
「つれないね、僕は力になりたいだけなのに」
今、マリカは別件で席を外していて、ここにはあたし一人。
マティアスはそのタイミングを狙っていたのではないかと思えるほど、実に嫌な時に話しかけてきた。
「僕の兄が政府機関に所属しているのは知っているよね」
ニコリと笑う瞳は寒そうな青。
澄んだ綺麗な瞳だとは思うけれど、どうしてもこの瞳は好きになれない。
返事をしないあたしにマティアスは勝手に話を続ける。仕方がないので相槌を打つと、「それで聞いてみたんだよ、『アリス』の事」と、言い出した。
どうしてそんな!
あたしが絶句していると、マティアスは「そうしたら、本で見た事があるって返事だった」と嬉しそうに続ける。
「うそ……!!」
「こんな嘘、僕が吐く意味ある?」
たしかに、そうなんだけど。
マティアスは親切だ。
女子の間では王子様容姿が人気なのはもちろん、きめ細やかな気遣いも人気の一つだった。
この間も特別講習をすっぽかしたあたしを心配してくれていたし、模擬戦の時も相手が女のあたしだったから、やりにくそうにしていた。
ひょっとしたら、こっちがなんとなく苦手意識を持っているだけで、それが本来の姿を霞ませているのかもしれない。
もしそうなら、彼にしてみれば不本意すぎる話だろう。
「……詳しく、聞いても良い?」
躊躇いがちに聞くあたしにマティアスは笑みを深め、『アリス』の記述が載っていた本は政府管轄の図書館内にあり、お兄さんが気を利かせて借りてきてくれたのだと言う。
「――汚したりする訳にはいかないから、学園には持って来られないのだけど……もしよかったら、今日僕の家で見て行かない?」
「自宅、へ?」
「うん。距離もそんなに遠くはないし、どうかなって。……あ。そういう意味での下心はないから、安心して?」
「学園の王子様相手に、そんな心配はしてないわ」
「それはまた、残念かも」
クスクス笑うマティアスは「……ああでも。別の下心はあるんだ」と、ペロリと零す。
「僕は、ティアナに嫌われているんだろうけど。僕自身は君と仲良くなりたいって思っているんだ」
だから点数を稼がせてよ。
しれっとそんな事をいうマティアスは実に楽しそうで。
あたしはやっぱり彼の事を苦手だと思ってしまった。
◇◆◇◆◇◆
同日、あたしは講義終了後マティアスの自宅へと向かう。
「私も一緒に行こうか」と心配するマリカに首を振り、エリオットへの伝言を頼んだ。
校舎の入り口へ歩いて行けば、長い足を組んだマティアスが壁に背を預ける姿が見え、遠巻きに女子がひそひそと噂をしている声が聞こえた。
こんな状態でマティアスに話しかける勇気はない。
あたしは通りすがりを装って、「先に行って」と小声で伝える。
ゆっくり門へ向かっていると、マティアスがすっと追い抜いてくれたので、その後に続いた。
学園の門を出て、そのまま歩く。
突き刺さる視線を何とか回避する為、数歩以上後ろを維持しつつ、且つ、見失わないように速度を調整。さも、「同じ方角なだけです」を装い、振り返って話しかけようとするマティアスを睨む。
彼は事情を察したのか苦笑だけして、また前を向いて歩き出す。
マティアスの自宅は完全に逆方向だった。
こちら側は政府関係者の自宅が立ち並ぶ一角で、聞いた話によるとお互い近所の人を完全に把握しているらしい。まあ、重要な情報を知っている人達が住んでいる訳だし、当たり前といえば当たり前なのだろう。
ただ、その所為か、無関係な人間は目立つようで。
別の意味で視線を集める事となったあたしは、マティアスの隣に並んだ。
「もうそろそろ着く?」
「うん。――ティアナ、逆方向だよね?」
「そうね」
帰りは送るよという彼に「お互い狙われる身の上なんだから」と辞退しておいた。
じゃあ代わりに人をつけるよと言った彼の言葉で、あたしはエリオットの事を思い出した。
「――あたしにも、ちゃんと騎士がいるから大丈夫」
「え。そうなの? マリカ……じゃないよね? ……まさか、あのちびっこ君?」
「エリオットに言ったら怒るわよ」
「騎士殿はエリオットと言うんだね」
「そ。あたしだけの騎士よ」
マティアスは目を細め「仲良しなんだね」と笑った。
案内されるままマティアスの自宅へとお邪魔し、部屋を出た彼を待つ。
柔らかなソファーを堪能しつつ、出された飲み物を頂いていると、彼は一冊の本を抱えて戻って来た。
あたしはカップを脇に避け、用意されていた布巾でさっと机を拭く。
「――お待たせ」
差し出された本はこげ茶色の革張りだった。
表紙の大きさは手三つ分程で、総ページ数、およそ千はありそうな厚み。嫌な予感がして、重厚な表紙を捲ってみれば、これまた豆粒の様な小さい文字が並んでいる。
「…………」
これはアリの大群だ。
お宝を見つけたアリが列を成して進んでいるのだ。
『前方にお菓子発見! ただいま急行しております!』
彼らはきっと、そんな事を叫んでいる。
「――ティアナ? 大丈夫?」
「ええ。ちょっと、眩暈が」
素で返したあたしにマティアスは優しげに目を細め、本の端をちょんと触る。
一体何かと思いそちらを見れば、可愛らしい花が描かれた栞が挟まっていた。
「――調べておいてくれたの?」
「確認しただけだよ」
多分、こういう所がときめきポイントなんだろう。
残念ながらあたしはときめかないが、一歩引いたところからマティアスを見ても、彼は親切だと思った。
あたしはその好意を受け取り、栞のページへと進む。
ページの始めは『アラル』から始まり、『アラン、アリア……』と続く。視線をどんどん走らせ進んでゆけば、『アリス』の文字が飛び込んできた。
『アリス』は複数人の記載があった。
あたしは更に指で文字を追い、遂に『アリス=ファーブル』を見つける。
『アリス=ティア=ファーブル。
ウェイン=レイ=ファーブルとアリーシャ=リオ=ファーブルの一人娘。
アリス=レイン
奇跡の歌姫……』
え、ちょっと待って!?
あたしは焦り、もう一度読み直す。
『アリス=ティア=ファーブル。
ウェイン=レイ=ファーブルとアリーシャ=リオ=ファーブルの一人娘』
何度見直しても同じ。
彼女の記述はたったの一行。姿絵すらない。
「――情報が少なすぎたかな。ごめん。騙すみたいで」
言葉を失うあたしに、マティアスがバツ悪そうに頭を掻く。
当然これは彼が謝るべきところはない。
……にしても。情報が少な過ぎやしない??
ウェインって人とアリーシャって人の一人娘しか書いていないなんて。
あたしはページを捲り、ウェインという人を調べる。しかし載っているのはアリスと同じで、両親の名前のみ。ちなみにアリーシャも調べたが同じだった。
「う……ん。とりあえず、ありがとうマティアス」
「ごめん。やっぱり騙すみたいになっちゃたね」
苦笑するマティアスにあたしは首を振る。
「ううん。全く手掛かりがなかったから、助かる」
「そう言ってもらえると、僕も嬉しい」
ニコリと王子様スマイルを浮かべるマティアスは、開いていた本を閉じた。
分厚くて重い本を大事そうに抱え込みながら、「これは、政府管轄の家族まで開架されている本。――だけど恐らく、もっと詳しいものが存在すると思う」と続けた。
「……それは、どうすれば見られる?」
「政府に所属すれば、閲覧できると思う。ティアナはヴァリュアブルだから、志願すればすぐ所属出来ると思うよ」
続いて出た言葉はある意味、想像通り。
政府に、所属。
それはあたしが一番嫌だと思っている事だった。
「……どうして、マティアスはそんな事を教えてくれるの?」
片付けを終えた彼は顔を上げ、ニコリと笑った。
「さっき言ったじゃないか。――僕は君と仲良くなりたいって」
マティアスはいつもと変わらない笑顔を浮かべている。
それでもあたしを映す青い瞳の奥は――……どこか冷めているように見えた。
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