10.再び
全身黒で統一された服。
不自然に隠された顔。
そして一度だけ聞いた事のある、声。
そこには、覆面の男が立っていた。
「――っ!!」
声にならない悲鳴を上げ、あたしは部屋の中へと引き返す。
まさか、自宅を知られているなんて。今まで押し掛けられた事はなかったのに!!
「――ティアナ?」
「エリオット!! 逃げるよ!」
あたしはエリオットの手を取り、庭先の窓を開け放つ。
外に置いておいたサンダルを引っかけ、花壇を飛び越えた。
「どうしたんだ!?」
困惑するエリオットに「覆面、来た!」と、片言で伝え、そのまま人通りのある方へと駆け出す。
すごく走りにくい。庭にもスニーカーを置いておくべきだった!!
「おい、ティアナ!」
「しゃべらせないで!!」
「いや、ちょっと止まってみろ」
「はあ!? 何言ってんのよ!!」
話しかけてくるエリオットを睨むと、彼は空いている方の手で後方を指差す。
こんな時に振り返れって? 何言っているのよ!
首を振る代わりに眉を寄せる。しかし、エリオットは後ろを指差すのを止めない。
しばらくの間その動作を無視して走っていたが、尚をも後ろを見ろと彼は言う。
仕方なしにあたしは振り返り――……そして、足を止めた。
「――追って、来てない?」
「そのようだが」
静かに、少し冷めた口調で言い放つエリオットを地面に降ろし、あたしはペタリとその場に座り込む。
「なによそれ……一体なんなのよ……」
「見間違い。じゃないのか?」
「そんな事無い! 全身黒服で、あの日と同じ声だったし!」
「――ベルが聞こえたが。鳴らしたのはそいつ?」
「そう! 玄関開けたら、いきなり『ティアナ=ヴォーグライトか』って」
「おい。それ、おかしいだろ。誘拐犯が玄関から来るか?」
いや。そうなんだけど。
でも、実際来たし。黒いし、同じ声だし。何より覆面だよ?
「とにかく、一度家に帰ろう」
「ええっ……、いやだ、なあ……」
「夜、外をうろつく方が危ないと思うが?」
そうだけど……と、ごねるあたしにエリオットは「マリカ=シグレスでも呼ぶか」と言うので、慌てて首を振る。
「マリカには、内緒」
「そういう事をするから、余計に心配をかけるんだぞ」
「言っても心配するもの」
「だったら、伝えればいいじゃないか」
「ダメ」
マリカには余計な心配をかけたくない。
頑なに首を横に振るあたしに、エリオットは溜息をつき、「じゃあ、どうするんだ」と、問う。
「……警邏隊呼ぼう?」
「警邏隊……黒服の事か」
「そ。住民の安全を守ってくれる正義の味方……「はぁーい! 呼んだかな?」
かぶせるように聞こえた声にギョッとして振り返れば、後ろには真っ黒なスーツを着こなした女性が立っていた。
ぷっくりと柔らかそうな唇が印象的な彼女は、幼さの残る可愛らしい顔立ち。
鼻も小さくて、白い肌も柔らかそうで。
海の雫のような青い瞳は綺麗だし、サイドでまとめ、胸元に流れる金色の髪もウェーブがかかっていて、とても優しげな印象を受ける。
「えっと……?」
「『警邏隊』呼ぶんでしょ? 運が良いね、君達! 私がそうだよ!」
ニッコリと笑う彼女は、警邏なんて言葉の対極にいそうな可愛らしい女性。
底抜けに明るい声と表情はあたしのイメージする警邏隊とは程遠い。
「……ホントに?」
「わぁお! 疑う!? この紋章が目に入らぬか!!」
彼女はあたしに首を近づけ、襟元を見せつける。
悠然と前方を見つめるクロツグミの横顔。それは強い信念を持つ、警邏隊の紋章。本物だ。
彼女は屈んでいた姿勢を起こし、腰に手を当てると「で? 何か困った事でも?」と、こちらを見る。あたしが要約して不審人物の件を伝えると、一緒に自宅まで来てくれる事になった。
彼女を加え、三人で帰宅する。
ただ、良かったと言うべきか、残念……と言うべきか。すでに覆面の姿はなく、彼女は辺りを見回した後、まるで小さな子に言い聞かせるように言った。
「私達もこの辺りの巡回を強化するわ。でも、一番効果があるのは自己防衛。油断してはダメよ?」
確かにその通り。不用意に玄関を開けたのは不味かった。
反省したあたしに、彼女はくすりと笑い「何か気になる事があったら、いつでもおいで」と、一枚のカードをくれた。そこには、彼女の名前と詰所の名が記されていた。
『ロデリック隊 三番補佐官 ジェシカ=バッツィーニ』
それが彼女の名前だった。
◇◆◇◆◇◆
そんな彼女との再会は、驚くほど速かった。
通算三回目となる特別講習にて。
本日は実技講習である為、運動館に移動していたあたしは、後から入って来た見慣れぬ大人達の一人に目を見開く。
普段、全身黒で統一されている隊服の代わりに、教員と同じ紺色の服を身につけている彼ら。
「実技講習を担当して下さるロデリック隊のみなさんだ。左から――」
なんと彼女は政府から派遣された講師の一人だった。
「ジェシカ、さん?」
「はぁい! こんにちは!」
思わず話しかけてしまったあたしに、ジェシカは笑顔で答えてくれる。
あたしは先日のお礼と、ここ数日、特に異変はない事を伝える。
ジェシカからも周囲で不審者の情報は上がっていないと聞き、「引き続き、注意しましょうね」と、話を切り上げた。
「どうやら私、ティアナのいる班担当みたい。よろしくね」
やった! と、心の中で飛び跳ねる。
……が、それも束の間。
見知らぬ人よりは、気楽に……と、思ったけれど、先日の件を知っているせいか、ジェシカは厳しかった。さらに上達の悪いあたしは、他の生徒よりみっちり扱かれる事となる。
「いや、ほんと、もう無理ですっ……」
「基礎値は結構あると思うんだけどなあ……」
「それ、気のせいですっ!」
「いやいや。私の勘って結構当たるのよ」
「勘なんですか!?」
根拠、勘。
いいのか、それで!?
「……こういうのって、要はやる気次第なのよね」
ぐさり。と、図星を指された。
気まずくて少しの間、視線を彷徨わせるが、いつまでもそうしている訳にはいかず。
あたしは、そろーりとジェシカを見る。
……目の笑っていない、笑顔。
思わず後退した。
そんなあたしに、ジェシカは言う。
「自分を守れない人は、間接的に周囲の人間を傷つける。ティアナは、それでいいの?」
完全に、見抜かれている。
あたしが嫌々訓練している事を。上達を、望んでいない事を。
目を逸らしていた現実は、突然目の前に降って来た。
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