1 ドングリ集め
今、山にいる。
食料の調達のためであったが、今の状況を考えるだけで、時間が無くなってしまいそうだ。
今はいつ頃なのか。ここは本当に過去の日本なのか。そして、日本のどこなのか。
考えたところで、知ったところで生きるのに役立つとは思えない。もう少し生活に余裕ができたら考えればいい。
ところで、夜に僕は何を食べてしまったのだろうか。
食べただけで、前世?の記憶を思い出せるもの。朝起きた時には、口の周りと口の中が土だらけになっていた。土を食べたところで…ねぇ。前世の記憶を取り戻すことなんてないだろう。
いや。試してみるべきかもしれない。今夜にでも弟の1人にやってみるべきだろうか。
そもそも、土を食べること自体ほとんどないのだから知られていなかっただけなのかもしれない。だとしたら、21世紀で前世を持つとかおっしゃっていた方々は土を食べていたのかもしれない。
なんというか、いっていることが本当だったとしても、普通に土を食べるような人とは話が合わない気がする。
あっ。でも僕も飢えて土を食べている時点で同類なのかもしれない。お母様から見たら…朝起きたら土を食べた痕跡のある飢えた息子の寝顔。
だから、朝いつもより優しかったのだろうか。
手ぶらで家に帰るわけにもいかず、山の幸を探す。
どこに何があるのかは、大体わかる。近所に住んでいたキュウベイに小さいころから連れてきてもらっていからだ。しかし、いつも採取するドングリはほとんど残っていない。彼が集落を去るまでに、山の採取ポイントは僕しか聞いていなかったのに。他に誰かがいるのだろうか。
仕方がない。彼が連れて行ってくれなかった方を探索してみる。
迷って帰れなくなることは確かに怖いけれど、食料を集落に持ち帰れないことの方が怖い。僕の両親は集落への新参者、いわゆる難民らしいので、集落への有用性を示し続けなければならない。
既に兄弟の何人かが役立たずの無駄飯食いと言われ、集落を追い出された。
……いや。今思うと殺されていたのだろう。その年の収穫祭には肉のようなものが入っていた気がする。おそらくは、極楽浄土に行けるように、ということなのだろう。
足を引きずるようにして、地面に跡をつける。
来た道を見失わないように気を付けながら、食べることができるものを片端から背負い籠に入れていく。
ガサガサッ。
落ち葉を踏みしめる音が聞こえてくる。というか、近づいてきている。採取ポイントを一掃した山師だろうか。
背負い籠を守るように身構えながら、音のほうに体を向ける。
うがぉぅ!ぐゎぉ!ぐぁぐぁぐぁぐぁぉ!
真横の茂みから子連れの熊が威嚇しながら出てくる。
やばい奴だ!不味い奴だよ!!
熊は冬眠の前に食いだめをする。前世の知識も今世の経験も、恐ろしい勢いで警鐘を鳴らしている。思っていた以上にピンチな状況だ。
僕が後ずさると、熊達も間合いを詰める。
グアゥ!ワォゥ!
さっき、足音のした方から、別の熊が姿を現した。そして飛び掛かってきた。
振り上げた腕を僕に向けた思いっきり叩きつけようとしている。
反射的に後ろに飛びのく。背負い籠が地面にあたり、地面に転がってしまう。逃げ出そうとするも親熊が僕を押し倒す。
重い!臭い!こーろーさーれーるー!
僕の首を食いちぎろうと顔が近づいてくる。むせ返るような血の匂い。今まさに使われようとしている凶器には、殺しの歴史__赤黒い模様が描かれていた。
僕を使って新たに書き足される未来しか浮かばない。食い殺される未来しか予想できない。生きたまま食われるよりはひと思いにやってほしい。
そう達観しつつも、手足はバタバタとさせていた。……うん。達観なんてできていなかった。
鼻に頭突きをかませるといいと聞いたことがある。__僕は人間だ、キリンじゃなかった。鼻を狙ってパンチすれば良いのではないか。__やろうとしたら腕を噛まれそうになった。
鼻が駄目なら目を狙う。パンチは無理っぽいから唾を吐く。__効果はないようだ。
土だ。目つぶしをすればいいんだ。
右手で握りしめた土を、目を狙って思いっきり叩きつける。__熊は後ろに飛びのいた。
熊は暴れている。予想以上に暴れている。地面を転がるようにして叫んでいる。
そ、そんなに痛かったのかな……。投げたの土だよ、土。正当防衛だよね。いや、刑法第36条(正当防衛)の成立要件は、えっと。人に対してじゃないと成立しないんだっけ……。
って、それどころじゃなかった。思った以上の効果に、逃げ出すのも忘れて逃避していたようだ。
暴れる熊の近くでも横たわったまま。命をかけた度胸試し。体に爪が当たらないよう目の端に入れながら、他の襲撃熊の様子を探る。そっと。死んだふりをしながら。
死んだと思ってくれているのか。強面の不良が注射で泣き出すような熊の様子に、呆然としている。スキだらけだ。
背負い籠の近くにある、こぼれたキノコと木の実をざっと拾い、集落を向けて走り出す。逃げる僕にさえ気が付いていない。