神子と水神様
今回は和風ファンタジーです。
洞窟の中、波は静かに寄せては返すばかり。
差し込むほんの僅かな月明かり。それは若く清らかな乙女の肢体を浮かび上がらせていた。穢れを知らない白い肌。結紐が解かれたぬばたまの黒髪は地を這うかのよう。
神子は身を清めた後、神降ろしの儀式を執り行う。神様から御神託を頂くためだ。
乙女は不安を覚えているのか。弱々しく身体を震わせ、目を伏せたよう。
しかしながらしばらくして、乙女は海の中へと入って行った。
ここは和乃国。
アサギリ神とヨギリ神の子どもたちからなる大地。緑や水の豊かな島国で、最も強い力を持つ国。
しかしそれは、神々の御加護があってこそ。
今の和乃国から緑や水は失われ始めていた。それに伴い人々は病に倒れ、水と食料を巡って争いすらも始まろうとしていた。
神子は為政者の一人として、それらをひどく憂いていた。
空は晴れ渡り、波の音だけが聞こえてくる。
日が昇りし刻限より、神降ろしの儀式は始まるのだった。
神子は白と赤の装束を纏う。そして岩からなる神座にて舞い、踊り、歌う。
幾ばくかの時は過ぎ、水神様は御子の祈りに応えた様子だ。晴れ渡っていた空に雨雲がかかり、雨が降り始めたためだ。
――リーン
〝我を呼ぶモノはそなたか〟
神子の頭の中に形容しがたい声が響いた。
大きな光。それは神子という存在を塗り潰してしまいそうなほどの存在感を有していた。
水神様は神子に啓示を与える。
"人々の行いにより大地から病がもたらされた。このままでは稲穂どころか粟、更に芋すらも育たぬ。故に尊き命を捧げよ。さすれば実りは約束されよう〟
神様が微笑みを浮かべなさった気がした。それはひどく楽しそうなもののように思えた。
〝そなたたちに与えられた機会はこの度のみ。ゆめゆめ選択を謝らぬように、な"
水神様はそう告げ神子の身体から離れた。
同時に空を覆っていたはずの雨雲も、霧散してしまった。
神子は糸が切れてしまったかのように、その場に崩れ落ちる。誰の目にも息が荒く、消耗しきっていることは明らかだった。
「尊き命。赤子や若者たちは捧げる訳にはいきません。そして失敗も赦されません。ならば神子たるこの身を捧げましょう」
神子はそれにも構わず顔を持ちあげ、海の向こうを見つめた。
「ミナ様、なりませぬ!! あなた様は何者にも変えられぬ御方なのですよ!?」
和乃国の政治を取仕切っているのは、神子の弟。字(愛称のようなもの)はジン。
神子・ミナと良く似た男子である。
音を立てそうなほど長いまつげ。女子と見紛うほどの華奢な体躯。しかしながら剣の腕が立ち、人々をまとめることにかけては右に出る者はいないほどであった。
ジンやその場に集まった豪族たちは、必死に神子の意思を変えようとしていた。
「あなた様なしに、この国を治めることはできませぬ」
がっしりとした豪族の一人が腕を組みながら言った。
「ならばこのまま命を捧げず、国を滅ぼしても構わぬと?」
ミナは柳眉を逆立てた。
「赤子を捧げればよいではありませんか」
若い豪族も机から身を乗り出しながらミナに言う。
「いいえ、わたくしの命を捧げます。神様はわたくしたちを試していらっしゃるのです。選択を誤ればそれこそ国は滅びます。次の神子は……ナキ、いらっしゃい」
ミナは意見を聞かなかった。ミナはすぐそばに控えさせていた妹のナキ呼び、次の神子に指名する。
「ナキと申します。皆様、これからよろしくお願い致します」
ナキは、丁寧にお辞儀をした。
長い艶やかな黒髪は結い紐でゆるく縛っている。優しげでえくぼが愛らしい少女である。
ジンや豪族たちがナキに視線を集中させていた間に、ミナはその場を立ち去っていた。
「姉様――!!」
ジンは勢いよく席を立ち、ミナを追いかけて部屋から飛び出そうとして、ふと思いとどまる。
(混乱しているのは僕だけじゃない。今は豪族たちをまとめあげなければならない)
ジンは豪族たちの慌てふためく声を聞きながら、唇を噛み締めた。
滝つぼの上。
ミナは和乃国全てを見渡すことができるその場所に立っていた。
地面には所々苔が生え、近くには林もある。そして水は轟々と音を立てながら落ちていく。
(数ヶ月前まで、あそこは森だったはず)
ミナは現在の風景と記憶に残る数ヶ月前の風景と見比べた。遠くでは火事が起きたのか黒煙が上がり、近くでは山崩れが起こっている場所もあった。また湖も干上がっているようだ。
ミナは覚悟を決めた。
滝つぼから身を投げようと、一歩踏み出す。
「きゃあ!」
ミナの足に何かが絡みついてきた。そのため思いっきり地面に後頭部をぶつけた。
「痛いです……」
ミナは地面に寝転がったまま頭を抱えた。また地面を転がったせいで白と赤の衣装は土で汚れてしまった。
(何が絡みついたのでしょうか?)
ミナは頭を抱えながら起きようとすると、お腹のあたりに小さな白蛇が乗っていることに気がついた。
「水神様……?」
自身なく小さな声で呟くミナ。
〝いかにも〟
頭の中に声が響く。儀式の際に聞いた声と一緒だった。
「!? なぜ蛇の姿でこちらにいらっしゃるのですか!?」
ミナは勢いよく起き上がる。
〝そなたが身を投げようとしたからに決まっておろう! このたわけが!〟
ミナは水神様のしっぽで右手を攻撃された。
「水神様おやめ下さい、痛うございます!」
〝む? すまぬ、やりすぎてしまったか〟
水神様はしゅんとしている。それを見たミナは、小首を傾げる。
(あれっ? 相手は神様でいらっしゃるのに、抱きしめたくなります)
小さい蛇の姿だからか、威圧感を感じていない様子。
〝そなたは確かに尊き命である。しかしそうである前に、そなたは神の妻なのだ。神の妻としての役割を果たさねばならぬ〟
ミナは何かに気がついたようだ。
「! 失念しておりました。水神様、申し訳ありません!」
立ちあがって水神様に頭を下げるミナ。
(……どうにも調子が狂うな)
神様はミナをなだめながら、頭を悩ませていた。
「……ではわたくしが、水神様の正式な妻になればよろしいのですか?」
〝そうだ。神にその身を捧げたことになるゆえ、それでも構わぬだろう〟
ミナは水神様を左肩の上に載せて、下山していた。
「そのためにはどのような儀式を取り行えばよろしいのですか?」
ミナが左肩の方を振り向くと、水神様はミナの唇を奪った。
〝こういうことだ〟
水神様はにやり、と笑ったような気がした。
すみません、力つきました……。
機会があれば続きを書いてみたいです。
参考文献等は5/17の活動報告に載せていますので、興味があったら読んで下さると嬉しいです。