第6射:慣れる なれる ナレル
慣れる なれる ナレル
Side:ナデシコ・ヤマト
『魔物を殺すことは別に悪いことじゃない。むしろいいことだ。人を襲う、害獣を退治するなんて、よくあるだろう?』
確かに、地球でもよくあること。
そんな話はごまんと聞く。
だが、私にはそんな経験はない。
今まで、財閥の一員として、本物の大和撫子様にあやかって、そのままの名を頂き、万が一の時の影武者として生きてきたが、それでも、日本人の一生徒として生きてきた私にとっては、なかなか踏ん切りのつく話ではない。
私に求められたのは、身代わりであって、命を奪うことではないのだから……。
「ガルルルッ!!」
目の前で、唸る狼、いえウルフがいても、私は剣を構えるだけで振り下ろすことはできません。
だって、仕方ないじゃないですか。
狼、犬の祖先。姿形は私の愛犬とは違いますが、それでも思い出します。今となっては離れ離れになってしまった姉妹のように育った愛犬を。
更に言うのであれば、既に満身創痍。後ろ足は兵士に斬りつけられたのか、片足が存在しません。
ひょこひょこと歩くその姿は、犬を飼っている人たちならば、まず治療に走るでしょう。
ですが、そんな行為はこの場では異端。人の命を奪う魔物を相手にそんなことをすることはおかしいのです。
せめて、襲い掛かってくれれば、踏ん切りがつくものを……。
でも、そうはいかないのですよね。私が襲われてそのまま反撃する間もなく、殺される可能性だってあるのです。
だから、田中さんたちはこのようなお膳立てをしてくれた。
そういう、田中さんの心遣いがわかっていても……。
体は動いてくれない。
この手に持つ、剣で突けばいい。
相手は躱せないほどの怪我を負っている。外すこともない。
訓練の時のように、的に向かって、練習相手になってくれた兵士さんたちと同じように……それだけのことができない。
そして、私は固まったまま……。
「ぎゃん!?」
いきなり横からやってきた田中さんに斬られて、ウルフは地面に横たわり、血だまりの中でやがて動かなくなりました。
「ま、初めてだとそんなもんだよな。しかも相手がウルフだし。犬でも飼ってたか?」
「……はい」
今にも田中さんを怒鳴りそうな気持を抑えて、そして死んでしまったウルフを見てこみあげる吐き気は押さえて、何とか返事をする。
「そっかー。なおのことつらいよな。でもな、介錯だっけか? もう、こいつには死ぬしか道がなかったからな。早くやってやる方が慈悲だとは思わないか? 結局、こいつは痛い怖い時間が伸びただけだ」
「……」
言っている意味は分かる。私が止めを刺せなかった時間、このウルフは痛い思いを続けていた。助かるのならそれも良かったというのも、私の傲慢ですわね。
野生の生き物で四肢を失うようなことになれば、死ぬしかありません。
ここから無事に逃げ出せたとしても、先にあるのは死。
……田中さんの言うことは正しいですが、それでも私の心は納得していないのか、口が動きません。
「ま、その気持ちを忘れるな。それが無くなれば、ただの命を刈り取るだけの、殺戮者だ。かといって、今のままみたいに体が動かないのはアレだけどな」
「……怒らないの、です、か?」
罵倒でも、お叱りの言葉でも飛んでくるかと思っていたのですが、そんなことはなく、田中さんは私たちに気を遣ってくれるだけです。
「怒る理由が無いからな。ただ、偽善で助けたいとか話せばわかると言ってるわけでもないし、普通に覚悟を決めて、武器を持って敵と対峙した。結果は自分で殺せなかったが、それでも立っているからな。俺としては上等だと思うぞ? リカルドはどうだ?」
「はっ。今までの生活を聞くに、この場で嘔吐もせずに立っていることが素晴らしいと思います!!」
「ということだ。ちなみに、あっちを見てみろ」
「?」
田中さんに言われるまま、その方向を見ると、晃や光がうずくまっていました。
「なにが?」
「ん? あっちは、俺たちが止めを刺したら、死体を見てゲーゲーやっているんだよ。ま、ゴブリンだったからな。人を思い浮かべたんじゃないか?」
「……」
それはキツイ。
私はある意味、幸運だったのかも……。
「じゃ、手早く解体するか」
「は?」
田中さんの言っている意味がわからなかった。
カイタイ?
「いや、魔物ってわけじゃなくても、こういう毛がある生き物ははぎ取って金になるだろう? マノジル殿の話であった剥ぎ取りってやつだ。任せていいか?」
「はっ。お任せください」
「実演だ。よく見とけ。いつか俺たちもしないといけないからな」
そして、目の前で行われる解体作業に……。
「……うっ!?」
そして、私も晃と光と同じように、激しく嘔吐した。
「……いやー、キツイね」
「……うん。やっぱり、舐めてたよ」
「……ですわね。知識で知っているのと、目の前で行われることは、やっぱり違いますわ」
そう言って、私たちはげっそりした表情で蝋燭の灯りの中、話し合う。
あれから、結局私たちは、一匹も魔物を倒すこともなく、吐くだけで終わってしまいました。
幸いなのは、漏らさなかったことぐらいで、後は放心して、気が付けばお城に戻っていました。
覚悟はしていたつもりでしたが、やはりつもりでしかなかったと反省と自己嫌悪です。
「夕食のお肉……」
「ウルフだったみたいだね」
「……危うく二度吐きそうになりましたわ」
普通なら、あんなショッキングな場面を見せられた後は、食事なんてしないのですが、田中さんが……。
『流石にそこまで甘やかすつもりはない。お前たちだって生き物の命を食ってるって自覚を持てや。完食しないと寝かせない』
そういって、私たちは、吐き気を堪えて、何とか用意されたお肉を食べ、この部屋に戻ってきたのです。
ああ、部屋は晃の部屋ですが、私たちの部屋も隣同士なので、そこまで困ることはありません。
集まっているのは反省会というか愚痴という感じでしょうか?
「……たぶんさ。田中さんは、俺たちに異世界も地球も日本でも変わらないって言いたかったんじゃないかな?」
「どういうこと?」
「……おそらくですが、私たちがいた日本でも、誰かが今日のウルフやゴブリンのように、命を絶って、解体しているってことでしょう。食卓に並ぶお肉は、元からお肉だったわけじゃないと……」
「……ああ。僕たちは野蛮なところに来たとか思ってたけど、結局、地球も変わらないってことなのか」
そう……。
いえ、下手をすると、地球の方が野蛮なのかもしれない。
殺す為に、いえ、食べるために多くの命を育てている。人口の比率を考えれば、消費される命もまた圧倒的でしょう。
「ここに来てさ、俺、自分が恵まれてるってよくわかったよ」
「そうだね」
「私もですわ。よくできた環境でした」
本当に、日本にいたころが懐かしいです。
召喚されて勇者として祭り上げられて、利用されて、訓練で命を懸けた戦いとか……。
なんで私がこんな目にと、思ってしまいます。
「でもさ、俺は自分が知らなかったというか、意識してなかった部分を知ることが出来てよかったと思ってる。ほら、あんな風にさ、俺たちは命を食べてるってよくわかったからさ」
「……晃は前向きだね。僕はまだそんな風に割り切れないや」
「私もですわ」
「別に、俺もすぐに魔物っていう生き物を殺せるってわけじゃないけどな。でも、結局さ。人に委ねてるだけだよな。俺たちが嫌って言えば、田中さんやリカルドさんたちが代わりに戦うだけ。それを知っちゃうとな」
「「……」」
それを言われると、私たちは何も言えなくなります。
私たちが魔物を殺すのをためらうのは、ただの我儘でしかないし、他人に仕事を押し付けているだけ。
「……いつまでもさ、田中さんが庇ってられるわけでもないし、俺は頑張ってみようと思うんだ」
「そう、だね。僕たちのこの状況はずっと続くわけじゃないんだし……」
「……ルーメルが欲しているのは、勇者の力ですからね。使えないとなれば……」
すぐに見捨てられる。いや、最悪、殺されるかもしれません。違いますわね。最悪は、田中さんが言った奴隷にされて無理やりですわね。
そうなれば逃げ出すこともできずに、ずっと……。
「田中さんだってさ、俺たちの面倒を見るのは大変なはずだし、田中さんが不意にいなくなったりしたとき、このままじゃきっと何もできないからさ」
「「……」」
そうですわね。
不意にいなくなるなんて、晃は言葉を濁しましたが、こんな足手まといの私たちの面倒を見ていれば、いつかはきっと命を落とす羽目になるでしょう。
そうなれば、私は悔やんでも悔やみきれないでしょう。
なら、……やるしかない。
光も私と同じように覚悟を決めたのか、部屋を出る時は、うつろだった瞳に力が入っていました。
そして……。
「……うえっ」
そんな覚悟はまるで意味をなさず、私は、私たちは再び吐いていました。
しかし、田中さんはそんな私たちを怒ることなく……。
「よーしよしよし。今日は、自分で剣を振るうことが出来たな。それが出来れば上出来だ。どうだ? 肉を切る感触は? 自分で命を刈り取るってのは、なかなか来るだろう? そして、自分たちが持っている力をよくよく再確認できたはずだ」
そういって、褒めてくれました。
田中さんの言う通り、晃や光が同じかは分からないけど、自分で剣を振って、ゴブリンの首をいとも簡単に飛ばせた感触に嫌悪を感じて吐いてしまいました。
あんな、腰の引けた斬撃で簡単に斬り飛ばせてしまった。
あんな振り方じゃ、肉の繊維や骨に阻まれて止まるはずなのに、女の力じゃその程度がやっとなはずなのに、異世界に来て付いた勇者の力のおかげか、斬り飛ばせてしまった。
素人の女性である私ですらこの力。加えて、魔術とかいう力もある。異世界から勇者を呼びたがるわけですわ……。
そんな感じで、私たちは思うように上達することはなく、何度も吐いては地べたに蹲り、を繰り返して、命を狩ることに、戦うことに慣れていきました……。
「「「ガルルル!!」」」
目の前には、兵士たちに追い立てられて気が立っている、ウルフの群れ。数は15匹ほどでしょうか?
傷などはほとんどなく、元気一杯。
既にこの訓練を初めて一週間が経とうとしていて、私たちはパーティー単位で戦う練習をしていました。
「「「ガウッ!!」」」
ウルフたちは、私と光を見て弱いと判断したのか迷わず私たちに襲い掛かってきます。
横にいる晃は他のウルフが周りを囲んで警戒しています。下手に私たちの援護に回れば後ろを襲われるでしょう。
なので、目の前のウルフは私たちで何とかするしかありません。
私たちは飛び掛かるウルフたちを躱しざま、剣を振るいます。
「「きゃん!?」」
薙ぎ胴に近いでしょうか? 力があるので、これで二体死亡同然。
ですが、このウルフたちの凄いところは、これが囮だということ、すぐに後続が襲い掛かってきます。
それで、最初は腕や足を食いつかれて、酷い思いをしました。
そして、これが生きるということ。
第二波も迷うことなく、斬り捨てて、私たちが弱くないと知って、後退りするウルフたちに向かって……。
「エクスプロ―ジョン!」
「氷刺射」
攻撃魔術を使って一気に殲滅します。
光さんのエクスプロ―ジョンはそのまま爆発の魔術で、私は氷の棘を飛ばす魔術です。
魔術とはイメージがあれば放てるようなのですが、どんな魔術を使うかを周りに知らせるために詠唱や呪文を言ったりするようです。
「わちゃちゃ!? 光!? エクスプロ―ジョンはやめろって!? こっちに火の粉が!?」
どうやら、晃の方もウルフを退治し終わってこっちの応援に来ようとして、光の呪文のとばっちりを受けたようですね。
「よーし。お見事お見事」
その様子を見ていた、田中さんが拍手をしながらやってきます。
「随分慣れたな。ま、慣れれば簡単だろう? ほれ、魚釣りをして、魚を食うようなもんさ。アリやゴキブリを室内で見つれば退治する。そんな感じだ。ま、何度も言うけど、ナレすぎるなよ? 魔物とは言え、場所によっては人が飼っている場所もある。魔物だからと言って無暗に殺すのは控えろ。状況をよく判断しろ」
……気が付けば、私たちは魔物を殺すことに、何らためらうことはなくなっていた。
ナレルな。
そう、田中さんが言っていた言葉がとても大事な言葉だというのが、その時になってようやくわかってきました。
心が、麻痺しないように、いつか、人もこんな簡単に殺せてしまうようになるのかと、不安になってしまいます。
田中さん。あなたは、どうだったのですか?
いつか、それが聞ける時が来るのでしょうか?
人は慣れる生き物だ。
慣れない奴は、さっさと淘汰される。
世の中はそんなもん。
適応できない生き物は生きていけない。