第2話「天使」
目を擦りながら窓から外を眺める。
どのくらい眠っていたのだろう。
「かなりうなされていたが大丈夫か?」
尋ねてきたのは自分を呼んだ声の主だった。運転をしながら心配そうにミラーでこちらの様子を伺っている。
「あぁ。大丈夫だよ、じじい」
そう答えたがこの夢を見たのは今日が初めてではなかった。
最近になってよく見るようになってきている。
10年前のことなのにまるで昨日のように鮮明に。
さすがに18歳にもなって夢で魘されるのは勘弁してほしい。
「ならいいが・・・。だが仕事中に居眠りとは良い度胸しているじゃねぇか? ルカ」
そう言ってこちらを睨んできた老人の名前は”ゼペット”。
10年前に俺を拾って育ててくれた人だ。
その恩返し。
―― というわけでもないが2年ほど前からじじいの仕事の手伝いしているのだが・・・。
「仕事たって町の見回りするだけのボランティアじゃねぇか。んなこと十字架の連中に任せとけば良いいだろ! ガソリンがもったいねぇよ」
そう、仕事といっても正式な仕事ではなく、じじいが習慣的にやっていることなのである。
だから給料や報酬も貰えるわけではないし、物資が不足している下町ではガソリンを調達するのも一苦労だった。
「バカ言うな! あんな奴らに任しておけるか」
あきれたルカにゼペットが不機嫌そうに答えた。
どうもじじいは十字架のことを信用していないらしい。
『十字架』はこの国を管理している政府直属の行政機関だ。
元々は人と神の戦いの時に構成された『対天使特殊武装部隊』の名称だったらしいが安全や治安を維持するために行政機関に加えられたらしい。
十字架にはLevel.1~5の5つに大きく分かれている。
Level.1とLevel.2は各要塞都市の軽犯罪を取り締まり、Level.3は重犯罪を取り締まっている。
Level.4とLevel.5は天使絡みの取締りをしている。
といっても要塞都市に天使が侵入したことはないし、実際に天使を見たことがある人物もほとんどいない。
そのせいかLevel.4とLevel.5は税金泥棒と忌み嫌われている。
町の見回りなんかするのは元々Level.1の仕事なのだが十字架が富裕層の上町を中心として配置されていて、金がない貧乏な俺達が住む下町は無下にされている。
そのせいもあってか、じじいがこうやって見回りをしている。
実際何かあったらいくら無下にされているとはいえ十字架はちゃんと仕事するし、今までに大きな事件が起きているわけでもない。
まぁ、そのじじいも元十字架なんだけどそのことを言ったら余計に不機嫌になってしまうし、黙っておこう。
「わかった、悪かったよ。それで今日の見回りはもう終わったのか?」
十字架の愚痴話を聞かされる前にルカは話題を変えてゼペットに話しかけた。
ゼペットはまだ何か言いたげだったが少し黙った後にルカの質問に答える。
「あぁ、誰かさんが寝ているうちに終わって今帰るところだ」
少し嫌味っぽく言うとゼペットは運転に集中し始める。
さっきまで明るかった空は日が少し沈み、赤く染まり始めていく。
さっきの夢のせいなのか、いつもと同じ夕日が今日はどこか不気味に見えていた。
町の人出はほぼなく、近くの家からは家族の団欒が見え、夕食のいい匂いが漂っている。
ルカは車窓から薄暗くなった景色を見ながらさっきの夢のことを考えていた。
ゼペットに引き取られるより少し前の記憶。
あの時はまともに口を利くことも出来ず、毎日にように”あの日”の夢を見ていた。
それでも、ゼペットと暮らしていくうちに少しずつ夢を見ることはなくなってきたのに今になってあの夢を見るようになっている。
これに意味はあるのだろうか?
ふと視界にきょろきょろと辺りを見渡している女性が見えた。
顔はよく見えないが落ち着きがなく、ただ事ではないように見えた。
ルカがゼペットに示唆すると女性の前で車を止めた。
「どうかしましたか?」
ゼペットが女性に声をかけるとこちらに気づいた女性があわてた様子で車に駆け寄ってきた。
「ゼベットさん、うちの子供みませんでした?
いつもならもう帰ってきているはずなのですけど・・・」
その女性の話ではいつものように子供が友達のところへ行ったのだが帰ってこず、友達の家に聞きに行くともう帰ったそうだ。
今までこんなことは一度もなかったらしく、女性は目を潤まして今にも泣き出しそうに話している。
ゼペットは女性を落ち着かせながら話を聞いている。
「わかりました。私たちも探してみます。お子さんが行きそうな場所教えてもらえませんか?」
ゼペットが話を聞いている間にルカは考え事をしていた。
その子供の家からここまでは一本の大通りだ。
でもここに来るまで子供の姿は見かけなかった。
だとしたら考えられるのは・・・・
「じじい、俺は路地裏辺りを探してくるから後は頼む」
ゼペットの返事も聞かずにルカは車から懐中電灯取り出すと路地裏のほうに走っていった。
日が暮れたせいで普段でも薄暗い路地裏は真っ暗になっており、いつも以上に不気味な雰囲気を漂わしている。
あの女性が言っていた方向から考えると大体の道筋は想像出来る。
それにここの路地裏はそんなに入り組んだ構造ではないから入れ違いになったりはしないだろう。
懐中電灯で道を照らしながら歩いていくとライトの光に何かが反射した。
近寄ってみるとそこに落ちていたのは壊れた腕時計だった。デザインからしておそらく子供用。
もしかしてあの女性の子供の時計か?
だとしたらこの近くにいるかもしれない。
ルカが時計を拾い上げ辺りを探そうとしたとき近くから銃声が聞こえた。
それも一発じゃなく、何発もの銃声が大通りのほうから鳴り響いている。
下町の人間で銃を所持している人間なんてゼペットぐらいしかいないことから銃を撃ったのはゼペットだと思われる。
ただ、威嚇射撃で一発ぐらい撃つことはあっても何発も撃つことなどありえない。
つまり、何発も撃たなければならない状況に陥っているということだ。
急いで銃声が聞こえた大通りへと走っていく。大通りへ向かう最中も銃声は鳴り響いている。
銃声が聞こえ続けているということは少なからずじじいは生きている。
一体じじいは何と交戦しているのだろうか?人間相手にここまで銃を撃つだろうか?
ルカの頭の中にはひとつの答えが出ていた。でもそれがここにいるはずがない。
『あいつ』がここにいるわけがない。
裏路地を抜けるとゼペットが交戦している相手が目に入った。
「嘘だ・・・。」
憶測と現実が重なる。
二枚一組の純白な翼。2mはゆうに超える白い巨体。胸部には口腔のような穴が開いており、中から触手が何本も蠢いている。
俺はこいつを知っている。そのおぞましい見た目からは想像出来ない名前。
かつて、神が作り出したという空想上の生き物。
『天使』