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店を出ると、来住は、はしゃぎ回った。
私への呼び掛けも、また、りかに戻っていた。
海だ海だ、海へ行くぞ、と来住は、日暮れ時の海へ私を引っ張って行った。
「なんか、カップル見に来たみたいじゃない?」
「そうだよ」
来住は、真面目な顔して頷いた。
海辺には、どこから集まって来るのか、恋人たちが点々と彼らだけのスペースを作っていた。
「なんか、私たち、浮いてない?」
居心地の悪さを感じて、私は言った。
「さあ。誰も、他のヤツのことなんか見えてないよ」
と、来住は、平然としている。
港が近い、街の水際は大して綺麗じゃない。緑色に澱んだ海が、それでも遠く夕焼けの金色にたゆたっていた。
海沿いのプロムナードへ降りる階段に、来住は、腰を下ろし、自分の隣をとんとんと指でつついて私に座れと合図した。
私は素直に、でも少し距離を取って、来住の隣に座った。
「俺が、先輩の一番になればいい?」
来住は、海を見ながら言った。真面目な時は、『先輩』に戻っている。
「なれればね」
私は、外すつもりでちょっと笑った。
と、いきなり肩を引き寄せられ、唇が触れた。
ほんの一瞬。
呆然としている私に、
「初めて?」
来住は、真顔で聞いて。
「うん」
勢いに押されて私が正直に答えると。
来住は、すっくと立ち上がり、てってってっと階段を降りて水際の柵まで行くと、
「いっちばーん!!」
やおら振り向いてピースサインを出した。
逆光を背負った来住の表情は、もう本当に無邪気で。子供みたいに全身で喜んでいた。
おかげで、私は突然のキスを詰るになじれなくなってしまった。
「りかっ」
たたっと戻ってきた来住が、まだ座ったままの私を覗き込む。
どきどきしてる。膝に両手をついて、首を傾げる来住を見ながら。
「怒った?」
来住が、恐る恐る尋ねてくる。彼なりに、気にはしてるのか。
私は、軽くスカートの後ろを叩いて立ち上がった。
「...いい根性してるよ」
私が、はすっぱに、でも笑いながら言うと、来住は、はーっと息を吐き、その場にしゃがみこんで両手で頭を抱え込んだ。
「来住?」
呼ぶと、やっと顔を上げてゆっくり立ち上がる。
「俺だって綱渡り。結構どきどきモノなんっすよ」
ふざけて、言う。
でも、そろそろ帰ろうと私に差し出した来住の手は、微かに震えていた。
☆ ☆ ☆
駅までの道を並んで歩きながら、来住は、私が今日来なかったら、すっぱり諦めるつもりでいたと言った。
「けど、俺のことだから。わかんないけどね」
笑う来住が、ちょっと眩しい。
更には、私が来たら、絶対頷かせるつもりだったと、来住は、しゃあしゃあと言った。
私は、でも、まだ頷いたつもりはない。
別れ際、また告白の返事はとせっつく来住に、私は、
「今度ね。次は、奢らせて」
と返した。
「次って、いつ?」
「そのうち、メールする」
私は、さっさと一人改札を抜けながら言った。
「俺がするっ」
改札の仕切りにしがみついて叫ぶ来住に、ひらひら手を振りながら、私はホームへ上るエスカレーターに乗った。
一番好きなひとのそばにいられるなら、幸せかもしれない。もしかしたら、好きになるかもしれない。そんな予感が、私を不安にさせていたけど。
強引だけど、子供みたいにまっすぐな来住。
もしかしたら、私が、来住より先にメールを入れてしまうかもしれない。
でも、それは、先のこと。
そして、今日は、一番最初の日。
☆ fin ☆