5-1 待ち人の男
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「もう辞めろ!もう俺を追うんじゃない!もう…もうお前は死んだんだ!!」
檻越しに俺は少女に言葉をぶつけるように話した。
しかし、まるで少女は愛の言葉を聴いたかのように、花のような笑顔を咲かせ、
俺の名を呼び続ける、
「西法寺さん、西法寺さん、わたしです鏡子です!」
すると檻が壊れて、鏡子は待ちかねた時が訪れた歓喜に打ち震えながら、
俺の方に向かってくる。
俺はこの少女が怖かった。
俺の家は戦前からある古い家だったせいか、地下に牢獄があった。
そんな物なければよかったんだ、そんな物なけりゃ兄貴もあんな事しなかったはずだ。
ある日、兄貴が少女を攫ってきた。
少女の名は鏡子といった、名字は知らない。
兄貴が攫ってきた鏡子を牢獄に監禁した。
両親は世間体の為に、警察に通報せずに鏡子を見殺しにしていた。
当時は俺も仕事が決まったばかりで、
鏡子がこの件を警察に伝えたら、兄貴が捕まるだけでなく
犯罪者の兄を持つ男として俺の人生まで滅茶苦茶になってしまう。
俺は両親同様に鏡子を助けようとはしなかった。
そのままほっときゃ良かったんだ、
ちょっと暇つぶしに何度か遊んでやったら、俺になつきやがって。
こいつは俺の『いつか助けてやるよ』という言葉をまるっきり信じやがった。
遊びだったんだ、暇つぶしだったんだ、そんな期待に溢れた目で見るなよ。
俺はお前を助けに来た白馬の王子じゃないんだ、
だから、そんな慕うような声をかけないでくれ。
そんなつもりはなかったんだ、そんなつもりは。
どうしてこんな事に…
鏡子よ、俺はお前が思っている人間ではない。
騙していたんだお前を。
なのに、こんなにお前は俺に執着して、こんなに。
死んでまで俺を…
鏡子から逃げる。
あらん限りの力で走る、走る、走る。
「止めろ、もう俺を追うな!!」
すると、鏡子はさらに笑顔を浮かべ、さらに早くこっちに向かって走ってくる。
止めてくれ、遊びだったんだ、違うんだ俺は、止めてくれ、追わないでくれ
お前の勘違いなんだ、騙してたんだ、
ああ、捕まる…
鏡子…
俺は知っている、これが夢である事を、
俺は恐ろしい、夢の中でまで俺を求める鏡子が…
いつもこの夢は俺が捕まって眼を覚ます、ほら。
夢から覚めた俺は、ビルの前のベンチに座っていた、
なんでこんな所で眠っていたのだ、昼休みに食事に出かけたはずだが
何故か眼の前に長身のスーツの男が居る。
知らない男だ。
顔は美形なのだが、髪型が整ってないし無精ひげも汚い、
その上、スーツもぼろぼろだ。
結果、美形なのにマイナス点が多く総合点で不細工に見える、
残念な野郎だ。
そんな男が俺に何故か悲痛な視線を向けている。
「すまない、人命が懸かっているからといって、やっていい事じゃないんだが…
本当にすまない… 許してくれ!
アンタを…アンタの中を覗かしてもらった」
コイツは何を言っているんだ、春先は危ない奴が出るというが、
初めて見たな、こんな電波野郎。
自分の家族の異常さに慣れているはずなのに、
コイツの唐突さに少し面食らっていた。
それはさておき、ともかく仕事に戻らないと。
「そして、さらに申し訳ないんだが… 俺と一緒に来てもらいたい!
アンタの罪は清算されるべきなんじゃないか!?
そうだろ、西法寺さんよぉ!」
職場に帰ろうとベンチを発つ、
コイツなんで俺の名を知ってるんだ、知り合いか?
そんなはずは無い、俺は名を変えたんだ。何で昔の名をコイツが知っている。
俺は名を変え、今は武田という平凡な苗字で平凡な生活を営んでいるのだ。
コイツは何者だ…罪だと、何を言っているんだ。
男の発言は気になるが、昔の事で苦しむのは夢で十分だ。
俺は逃げるように、此処から離れた。
「大きな枝垂桜のある屋敷、お前はそこに居て、兄に監禁された少女と恋仲になった
違うか!!」
何故、何故!何故コイツは知っているんだ。
確かに住んでいた屋敷には枯れていたが枝垂れ桜があった。
そして、鏡子の事を知っているのは家族しか居ないはずだ、なのに何故コイツは!?
「違う、鏡子とは恋仲じゃない!!誰だお前は!!」
男はひるまずこっちの眼を見ている。
「協力してほしい、お前しか居ないんだ!
断るんなら力づくでも連れて行く!」
長身だが細身だ、取っ組み合いになったら俺が勝つだろう、
格闘技でもやっているのか?
男は真っ直ぐこっちを見ていた、
男の左眼は何故か紅く、吸い込まれそうな赤だった。
不気味な眼だ、眼を逸らそうとしても、
魔法がかかったように眼を見ずには居られない。
「10年前、あそこに建っていた屋敷は火事で燃え、4人家族の内、3人が死亡した。
屋敷の家族、西法寺家で唯一の生き残りがアンタだ」
止めてくれ、その事件を忘れる為に、俺は名を捨て、土地を捨て、
ここでサラリーマンをやっているんだ。
男は紅い目をさらに輝かせている。
この眼に睨まれると、心に秘めた全てをさらけ出したい衝動に駆られる。
「さぁ、一緒に来てくれ、
枝垂桜に宿った魂を開放出来るのはアンタしかいねぇんだ!」
「関係ない、俺にはもう関係ないんだ!死んだ兄貴がやった事だ!
俺は何もしちゃいない!屋敷に火を点けたのも兄貴だ!
兄貴が鏡子を殺して!ヤケになって自分ごと全部灰にしようとしたんだ!」
兄貴はある日、牢に見てほしいものがある、といって俺を呼んだ
牢獄にあったのは鏡子の死体だった。
兄貴は言った、
「玩具がさぁ、お前が助けてくれるとかふざけた事言うんだよ。
お前は俺の弟だもんな、そんな俺の邪魔することしないよな。
そんな嘘を言うもんだから、腹が立ってさ。
死体を運ぶのを手伝ってくれないか
ばれたらお前も困るもんな」
鏡子がそんな事を兄貴に言うはずはなかった、
恐らく、あの外道はどこかで俺達が密通しているのを見ていたのだ。
それで俺が鏡子を助ける前に殺して、証拠を全て消そうとしていたに違いない。
「屋敷に火をつけたのはお前の兄貴じゃねぇだろ!
屋敷に火をつけたのはアンタだ!」
なんで知っている、誰も知らないはずだ、俺以外は。
「違う俺じゃない!!黙れ!!俺の前から消えろ!!」
兄貴がやったんだ、そうだ兄貴のせいなんだ。
俺が燃やしたとしても、兄貴がまねいた結果なんだ。
「お前が火をつけたんだ、殺された鏡子ちゃんを見て逆上して!
お前は許せなかったんだ、鏡子ちゃんを殺した兄を!
自分らの世間体と保つため人の死すら隠そうとする両親も!
そして、結局、鏡子ちゃんを見捨てる結果になった自分を!
お前は心の底では鏡子ちゃんを助けたかったんだろぉ!本当はよぉ!
なのにお前は自分の生活が崩れるのが怖くて逃げ出していたんだ!」
そうだった、鏡子の死体を見たとき、俺の中から抑えていた感情が爆発したんだ。
兄貴をそのままバットで殴り殺し、あの屋敷に火をつけた。
木造の屋敷は良く燃えた。
後には、自分の家族3人の焼死体と屋敷の燃えカスしか残らなかった。
何故か鏡子の死体は消し炭すら発見されなかったらしい。
その後、容疑者として自分が疑われたが、
証拠が無く、発火原因と発火箇所の特定も出来ず、結局迷宮入りになった。
このまま自分の罪は何一つ問われず、
のうのうと平和な生活を送っていけるはずだった。
しかし、鏡子だけは俺を諦めず夢の中でまで、俺を追い続ける。
「自分の罪を清算しなきゃ一生夢の中でおびえ続ける事になるぞ。
一緒に来るんだ、あの枝垂桜の下へ
断るんなら、ある事ない事、お前の会社の奴等に言っちまうぜぇ!
来るなら、鏡子ちゃんに合わせてやる。
迷ってる場合じゃないだろ。
来いよ!」
そう言って男は俺に手を差し伸べた。
鏡子は死んだはずだ、どうやって会うっていうんだ、
あそこにはもう行きたくない、関わるくらいならもうこのままでいい。
会社にばらすだと?金はまだ沢山ある、今の職場を離れても十分暮らせるさ。
俺はそう思いつつも、ソイツが差し伸べた手を取ってしまった。
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今回は鏡子の待ち人「西法寺」の視点で物語を展開させました。