05話 上級ホームレス
「人から借りたもの、普通投げるかなー」
「……申し訳ない」
いつまでもこんな山奥にいても仕方ないので適当なタイミングで移動しようかと思っていたら、センテが街まで案内すると申し出た。土地勘が文字通り完全にゼロな上に最低限の手荷物すらない俺としては非常に有難い申し出なのだが。
「わざわざこんな所まで来たくらいなんだ、用事はいいのか?」
最寄りの人里まで半日近くかかるらしいし、目的もなしにフラっと来るような場所じゃないだろう。
まぁ、そんな山奥で一人電気の紐ボクシングもどきをやっている男がいたら面白いを通り越してシュールすぎるだろう。そりゃあ野次馬する気にもなるかもしれない。……俺だったら何も見なかった事にしてその場を去るが。
「いーのいーの。ここに来た目的の半分はさっき終わって、今から残り半分をやるところだから」
あー、やっぱり。
センテはスキルカードを口元に当て、上目遣いでこちらを見る。
「知ってる? 中級巫女って【啓示】っていう恩恵を持ってるんだ。基本的には何の効果もないんだけど、時たま神サマからの指令が下されるの」
「……で、ココに来るようにって?」
「そ。今日の正午。キュクロート山中腹にある石窟付近。そこにいる人物を導き助けるように。それにしても……」
そこで意味ありげに言葉を切り、にひっとまたイヤらしい笑い。
「そこにいたのがただの路上生活者だなんてね。しかも神サマにも心配されるほどの上級路上生活者」
「うっさいわ!」
ざくざくと落ち葉を踏みしめつつ、山道を進む。いや、獣道以上山道未満といったところか。
この先、さっきの石窟くらいしかなさそうだもんな。そんな所に用があるのなんて、精々が神様の使いっぱしりくらいだろう。
後ろを振り向き溜息ひとつ。
足元は履き古したスニーカーなもんで、本格的な山歩きには少々きついのだ。ま、ここは裸足のままじゃなかった事に感謝すべきか。
ヨティスさんももうちょっと交通の便がいいところに案内してくれても良かったのにな。
前を歩くセンテの小さな後ろ姿を見る。さすが鍛えているだけあって、この悪路でもまったく姿勢を崩すことなく、まるで街中を行くようにひょいひょいと進んでいる。もうちょっと待ってくれ。
さっきまですっかり忘れかけていたが、ヨティスさんは最後に『もうすぐ案内が来る』とか言っていたはず。それが彼女か。【啓示】で既にこっちの事情を伝えられているかもしれないが……こちらから敢えてその話題を振る必要はないか。本当に『導き助け』ることしか聞いてないことも十分に有りうるし。
だいたいどこの世でも神サマっていうのは自分勝手と相場が決まってるし、振り回される下々の身としてはたまったものじゃ――
――キンコーン♪
オーケーオーケー。いつもお世話になっています。
黙って携帯の電源を切った。
◇ ◇ ◇
ガサガサっ
やや日も傾いてきた頃。前を歩くセンテのさらに前方。草むらが大きく揺れた。
薮の中から現れたのは、3頭の大柄な猪。テレビや本やらで見た猪よりも一回り大きな体躯に加え、特徴的なのはその牙。頭と同じくらいの長さがありそうな巨大な牙が、下顎から斜め上に向かって突き出している。
「牙猪だね。普通に戦えばそんなに強いほうじゃないけど、突進にだけは気を付けて。まともに当たったらそこに生えてる木でも折れる勢いだから」
……直径40cmはありそうだよ、これ?
センテが目で示した木の太さと、それをへし折るという猪に冷や汗が出た。
幸い牙猪は襲いかかってくる様子はなく、じっとこちらを伺っている。
「突進の威力はすごいけど、ほとんどまっすぐしか進めないから躱すのは難しくない。だけどあまりギリギリで避けようとすると牙に引っ掛けられるから注意。特に今回は3頭いるから、体勢崩したらやられる。常に相手の位置と進む方向を把握するようにしてね」
「……センテさん? 連中もこっちに敵意はないみたいですけど、何でやりあう事前提のアドバイスですか?」
「お金になるからね」
「俺、丸腰なうえにただの街服装備なんですけど」
「何も戦えとまでは言わないよ。注意を引くくらいでいい。それに……」
すらり、と腰のマチェットを抜き放つ。
「――この季節の牙猪の肉は、脂がのっていてとてもおいしい」
「囮がんばります!」
現金というなかれ。こっちの世界に来る直前は昼前だったおかげで、起きている間だけでも12時間は何も食べてないのだ。それに加え、意識を失っている時間がどれくらいあったか。さらに言えばセンテに会うまでスキル上げで体力使った上、延々山道を歩いてきた。センテが余ってた携帯食料を少しくれたが、所詮携帯食料よ。
――肉を食わせろ。
飢えた眼差しに気がついたのか、向こうもこちらを敵とみなしたようだ。
ぷぎーっ!! と嘶いた3頭の牙猪が頭を低く下げ、挑発するように地面を前足でひっかく。
こちらの役割はひたすら相手を引き付けることだ。というかそれしか出来ないだろう。だが、ベテランであろうセンテが狩ることを選んだんだ、決して無茶な選択ではないはず。
ここは森の中。障害物が多いというのは直線移動が基本の牙猪に対してはマイナスに働き、俺にとってはさっきまで上げていた<直登>と<跳躍>がプラスになるはず。
<投擲>と同じように、覚えたばかりの両スキルはすぐにCランクまで上がったうえに、その後の1時間足らずのスキル上げでさらに10レベル近く上がっていた。低レベルのおかげで上昇しやすかったのだろう。そして【スキルレベル補正】によるレベル上昇効果。短時間で2つのスキルはB-Cランクの境界前後にまで成長していた。
牙猪が力を貯めるように深く身を沈めた次の瞬間、弾けるように飛び出してくる。
左と中央の2頭がセンテに。右の牙猪が俺に。
武装の程度まで頭が回るのかは分からないが、少なくとも気配や立ち振る舞いでセンテのほうが手ごわいと判断したのだろう。
こちらに突っ込んでくる牙猪Aを、左に転がって軸をずらすことで回避。少し離れた位置を駆け抜けていく牙猪はスルーする。センテの方を見れば、さすが2頭同時も危なげなく回避している。さらには後から来た牙猪Cにはすれ違いざまにカウンターで一撃入れるという余裕ぶり。
正直2対1でも余裕なんじゃないか? とも思ったが、攻撃手段のない俺はせめて囮として働かねば。それが役割分担というもの。
手傷を負ったCをそのまま仕留めてもらうとして、行き過ぎた辺りでのそっと方向転換をしている最中の牙猪Bに狙いを定める。
もともと俺を狙っていたAがまだ攻撃体勢に入っていないことを横目で確認しつつ、先ほど転がったときに拾っていた、拳より一回り小さい石を構える。
――<投擲>
ごっ!!
まっすぐ飛んだ石は、Bのその長く突き出した牙に当たり、衝撃で頭を揺らす。
2,3歩よろめいた牙猪Bは、怒りに鼻息を荒くし、完全にこちらに狙いを変えた。
――狙い通り。
というか思った以上にいい位置に当たったようだ。補正により命中率も上がったのか。
ようやくこちらに向き直ったAが再び突進の構えに入ったのを見て、今度は上に飛ぶ。真上にあった枝に片手で捕まり、そのまま身体を思いっきり持ち上げる。
Aは俺の足元を抜ける瞬間首を振り上げ、その牙が足をかすめそうになった。
「危なっ」
足を引っ込めて回避できたが、つま先のすぐ傍を鋭いものが通り抜けた感触に冷や汗が滲む。やや遅れて来たもう1頭はこちらが既に届かない位置にいたので、心無しか悔しそうな表情。
そのまま上にいれば攻撃は食らわないだろうが、それでは2頭ともセンテのほうに行ってしまう。<投擲>で注意を引きつつ、地面に飛び降りる。
――定番のアレを試してみるか。
姿勢を低くし、石を拾って投げつつ牙猪と反対方向にダッシュ。
――体技スキル<疾駆>習得
後ろからくる牙猪Aの足音にビビりつつ、タイミングを見計らって<跳躍>。
そのまま正面の木を蹴り、三角飛びの要領で背後から来た牙猪Aを飛び越える。
どぉん!!
狙い通り、鈍い音と共に頭から木に突っ込む牙猪A。まんまと引っかかったその間抜けな姿にほくそ笑む。が、ミシミシという鈍い音によく見ればその鋭い牙が木の幹に突き刺さっており、その位置からゆっくりと裂けはじめている。
そう言えば立木をへし折るって言ってたっけ……
と、一瞬動きが止まったところを狙ってきたもう1頭を、危うく躱す。
思ったとおりには行かなかったが、今の光景で1つ……いや、2つ試してみたいことを思いついた。
2頭の牙猪の位置に注意しつつ、手近な木に向かって<疾駆>から<跳躍>。木に足がついた瞬間その勢いを利用して<直登>で幹を駆け上り、失速する前に<跳躍>。稼いだ高さを生かして身を捻り、<投擲>。牙猪の上を飛び越しつつそのまま狙い通り離れた木の幹に着地。そのまま側面を<疾駆>から<直登>、そして再び<跳躍>――
――複合技能スキル<立体軌道>習得
木と木の間を飛び回って回避しつつ、時折地面を駆け下りて誘導。そして跳躍。
以前目にしたことのある“パルクール”をイメージした動きが、ぶっつけ本番にも関わらず気持ちいいくらいに決まる。【スキルレベル補正】は個々の<スキル>だけでなくその組み合わせである<立体軌道>にも影響したようだ。重複された効果により、習得したばかりにしては異常な速度で空中を駆け回る。
俺は<立体軌道>の使い心地を試しつつ牙猪共を挑発してタイミングを見計らい、目星をつけていたそこに誘導した。
幾度目になるか、数えきれないほどの突進。やや勢いが落ちてきたようにも思えるが、相変わらず掠るだけで吹き飛ばされそうなそれを、背後の木に登るようにして躱す。一瞬前まで俺の影があったそこに、過たず牙猪が頭から突っ込む。
立木に深く突き刺さる牙。衝撃により裂け始める幹。そこまでは先ほどと同じ光景だが……
次の瞬間、動きの止まった牙猪の土手っ腹にもう1頭の牙が深々と突き刺さった。
木々をへし折る威力に耐え切れず、血反吐を吐きながら吹き飛ばされる牙猪A。衝突の衝撃で動きの止まる牙猪B。そこに、刺さっていた牙が強引に引き抜かれたことにより、一気に崩壊した立木が倒れ掛かる。下の方に生えた、鋭く尖った枝を下にして。
肉を貫く生々しい生々しい音が響く。
牙猪の強靭な肉体も、さすがに樹木1本分の重量のかかった天然の槍には耐え切れず、地面に縫いとめられて動かなくなった。
……正直なところ、2頭目はせいぜい倒れる幹の直撃くらいしか狙っていなかったのだが、偶然とは恐ろしいものだ。
俺は緊張を緩め、大きく息を吐きながらその場に座り込んだ。