閑話 はぐれ白狼中編
狐の女性は一頻りモルドを揶揄うと、小屋の入口に腰を下ろしたままぼんやりと弟を眺めているルシャの方へと向き直った。
「ところで嬢ちゃんや」
「……ルシャ」
「ふむ、ルシャ嬢ちゃんは“猟犬”には見えんが……もしかすると“白犬”だったりするのかや?」
聞いているのかいないのか、狐の言葉に対して反応を見せないルシャに代わり、モルドが口を挟んだ。
「何の話かわかんねーけど、ねーちゃんは白い犬じゃなくて白い狼だぞ。白狼姫様つって守り神様なんだってさ」
「ほぅ……」
それを聞いた狐の目がほんのわずかに細くなったことに、2人は気づかなかったようだ。
「“犬”の村に“狼”とは……姉と呼んでおったが、血は繋がっておらんのか?」
「ねーちゃんは“白狼”だけど“猟犬”だぞ。ちゃんと俺のねーちゃんだ。な?」
「……うん」
にかっと笑いかけるモルドに、小さく頷いてみせるルシャ。その様子に“狐”はくくっと喉を鳴らした。
「いや失礼した。2人とも仲が良くて結構じゃな。妾も故郷に姉がおるのじゃが、妾と違って随分と傍若無人でほとほと困っておるのじゃよ。お主の姉と交換してくれんかの」
大袈裟に肩を落としておどけてみせる狐に、少年は深く考えずに相槌を打った。
「いやー、おばちゃんの姉ちゃんじゃ、俺より母さんの方が歳が近いんじゃないか」
「おば……ちゃん?」
「ん?」
首を傾げたモルドの服の裾を、ルシャはちょいちょいと引っ張って耳打ちする。
「……モルド、モルド。女の人に“おばちゃん”って言ったら怒られる」
「え、そうなのか!?」
モルド少年、齢10歳にして女心の片鱗に触れる。思い返せば普段からぼーっとしている姉はともかく、母や幼馴染の少女はときどき妙に理不尽な事で怒り始めるのだ。恐る恐る狐の方へと振り向いて、至近距離で目が合い、驚きのあまりわずかに後ずさった。
予想を裏切り、狐は妙ににっこにこと嬉しそうな笑みを浮かべていたのだった。
「いやー、坊やは良い子じゃの」
「うわ、やめろっての!」
わしゃわしゃわしゃーと栗色の髪を両手で掻き回されて抗議の声を上げるモルドには構わず、狐はその手をぐっと握り締めた。
「まったく妾の故郷の連中と来たら二言目には『ババァ』、良くて『ババ様』と来たもんじゃ。妾はまだまだ肌だってすべすべしっとりじゃというに、まったく失礼な奴らじゃ。まったく、坊やと交換してやりたいわ。おぉ、いっそお主等まとめてうちの子になるといいぞ。代わりにうちの村の連中をまとめて置いていってやるわ」
急に機嫌が良くなった狐を前に戸惑いを隠せないモルドは、ぼそぼそと隣のルシャに耳打ちする。
(何か嬉しそうだけど、おばちゃんって呼んだ方がいいのかな)
(……こういう特殊な人は名前で呼んだ方がいい)
(そっか、分かった)
「あのさ、おばちゃん……いや、狐のねーちゃん」
恐る恐る呼びかけるモルドの言葉を聞いて、狐のテンションはさらに急上昇する。頭を撫で回すだけでは飽き足らず、ベタベタと身体のあちこちに触り始める。
「あっはっは、坊やは何か? 妾を口説いておるのかのう。まったくおませな事じゃ。それとも最近の童は皆そうなのかや?」
「いやっ、そうじゃなくて名前を知りたくて」
「何じゃそんなに照れなくてもいいじゃろうに。名前? そうじゃのう……」
何故か少し考えるようにして宙を見たあと、黙ったままのルシャへと視線を落として、
「ふむ、お主が白い狼ならば、妾は白い狐じゃな。白狐と呼ぶがよいぞ。お姉さんでもいいがの」
「白? 赤じゃないのか」
モルドは後半を適当に聞き流すことにして、白狐と自称した女性の燃えるような赤い髪をじっと見上げた。それを白狐はふふんと鼻で笑う。
「見てわからぬか? この透き通る雪のような白い肌が……」
「うわ、バカ、足見せんな!」
「照れるな照れるな」
深々と切り込んだスカートのサイドスリットから眩しい程の白い肌を露にしてみせると、顔を真っ赤にしたモルドが慌てて目をそらす。白狐はその初々しい反応が面白いのか、さらにモルドに見せつけるようにして。
一歩引いた所から一部始終を眺めるルシャは、そのぼやっとした表情のまま、本当に珍しい事に、小さく溜息をついた。
「そうじゃった、いつまでも遊んでいる場合じゃなかったわ。坊や達、この村の長の家は知らんかの? どうも人を見かけんので困っていたのじゃが」
「狩りから帰ってきたばかりだからまだ宴会の最中だと思うぞ。俺もそろそろ戻るつもりだったから案内してやるよ」
「おぉ、それは良かった。よろしく頼む」
モルドはまた明日来るからと姉に告げると、そのまま背を向けて歩き始めた。白狐はその後ろを歩きながら、目の前の少年に不思議そうに話しかけた。
「ルシャ嬢ちゃんは行かんのかのう?」
「ねーちゃんはあそこの社で独り暮らししてる。あまり出歩いちゃダメだって言われてるんだ」
「ふーむ?」
白狐は片眉を上げたがそれ以上聞くつもりはなかったようで、そのまま黙ってモルドの後に着いていった。
◇ ◇ ◇
“猟犬”の名が示す通り、彼らの生業は狩り、特に集団行動での戦闘に適性が高かった。リーダーを中心として全体が1つの生物のように動く群れは単純な数以上の戦力となり、Bランクや時にAランクの大型の獣さえも仕留めてみせた。
“猟犬”達の中には傭兵団を作るものもおり、“犬”や“狼”の旗印を持つ集団はどこの国でも比較的優遇される。この村の場合は森の中にある事からもっぱら獣を狩って生計を立てる事が多い。基本的には肉を食い毛皮や牙を加工したり売るためだが、時に大型獣の討伐依頼を受ける事もある。
今回の獲物も、近くの街からはるばる持ち込まれた討伐対象となる大型の獣であった。
「――岩鋼亀ですか」
「左様じゃ。この近くで見かけたという報告があってな」
巨体を窮屈そうに縮めてどっかりと座り込んだ群れの長グアルドの仏頂面に対し、白狐は飄々と答えた。
グアルドは、遊びに行っていた息子が連れてきた客人の姿に一瞬驚き何やら問いたそうな顔だったが、依頼だと聞くとそれ以上詮索するような事はせず、黙って仕事内容について耳を傾けたのだった。
岩鋼亀とは、文字通り岩のように頑健な甲羅と強靭な四肢を持つ、馬車程の大きさもある大型の亀である。力こそ強いものの動きは鈍重で足も遅い。草食で大人しく危害を加えらえれれば猛烈に暴れだすが、ただ出くわしただけならばさほど恐れる必要もないBランクの獣である。
だがこの亀の恐ろしい所はその頑丈な皮膚と甲羅に守られた防御力と巨体による突進力、そして旺盛な食欲にあった。仮に人の生活圏に現れたならば、それは1つの巨石が転がり落ちてきたようなもの。倒すことは愚か、妨げることですら、相応の戦力が整えられた都市でもなければ困難。畑から何から食料を根こそぎ食らい尽くすまでその歩みが止まることはないのだ。
それは武力持たぬ農民たちにとっては、虫の群れと並んで一種の災害のようなもの。
その岩鋼亀が発見されたのは、偶然森に入っていた猟師の報告によるものだった。
進路をそのまま進めば間違いなく数日で街に最接近し、収穫を控えた畑は荒らされ何百人が飢える事が予想される。可能なら討伐、無理なら街とは異なる方向へ誘導しておきたい所である。
「……分かりました、その程度の相手であれば何とかなるでしょう」
黙って話を聞いていたグアルドは、己の半分も歳が言っていないように見える白狐に対し、目上の者に対するような丁寧な口調を崩さなかった。
「しかしあなたであれば尚の事、我々にわざわざ頼む事なくすぐに片付くのでは?」
「何を言うか。妾のような乙女に向かってそのような荒事をさせる気か」
「はぁ……お戯れを」
わざとらしくおどけてみせる白狐に、苦々しい表情で溜息をつくグアルド。
少し離れた位置に控えていたモルドは、そんな2人をキョロキョロと見回し、首を傾げた。
「父ちゃん、白狐と知り合いなのか?」
「ばっ、馬鹿者! お前この方を……」
「あー、良い。妾がそう名乗ったのじゃ」
目をむいて怒鳴りかけたグアルドを、白狐は片手を上げて遮った。
「しかし、折角じゃから久々にお主の顔でも見ようかと思ってわざわざ来てみれば、お主の息子に出くわすとはのう……」
「は、恐縮です」
「お主の若い頃そっくりじゃわい。あの頃は会うたびに『ババ様~』と纏わりついて来て可愛かったというに、今では見る影もない筋肉男に……時の流れは残酷じゃのう」
「む、昔の話は勘弁してください」
息子の前で自分の子ども時代の話をされるのはさすがに気まずいのか。かっかっかと意地の悪い笑い声を上げる白狐を前にして、グアルドはその強面にびっしりと冷や汗を浮かべる。
この2人の奇妙な関係にモルドの頭上には「?」がいくつも表示されているが、父親が触れて欲しくなさそうなのを察して黙っている程度に気は利くのだった。
「そうそう、面白い娘もおったではないか」
「……ルシャの事ですか」
「たまたま見かけたのじゃがな。直系かと思っておったら……」
「ババ様。その話はまた後ほど」
言葉を遮られた白狐は一瞬つまらなそうな顔になったが、ちらりとモルドの方を見て頷いた。
「うむ、まぁ良かろ。別に急ぐ話でもないからの。……所で一応聞いておくが、あの嬢ちゃんはお主の」
「間違いなく血の繋がった娘です。【猟犬の加護】があるのがその証拠」
「なら良い。つまらぬ事を聞いたな、許すがよい」
「いえ」
ここからはグアルドの仕事である。後は任せたと白狐は立ち上がり、その場を後にする。白狐と入れ替わりに部屋に入ってくる他の大人たちの横をすり抜け、モルドは赤い人影を追いかけた。
「なあ、ルシャがどうかしたのか?」
「んー?」
横に並んだモルドの問いに、白狐はそれまでのおどけたものではない、自然な薄い微笑みを浮かべる。
「なに、そう心配するような話じゃないわ。ただ……」
ふと、その視線が遠い何かへと向けられたようにモルドは感じた。
「昔の妾と似てると思ってな」
少し考えたあと、モルドは言った。
「それじゃねーちゃんも白狐みたいになるのか? それは嫌だなぁ」
「……まったく、失礼な坊やじゃな」
一応あと1話でモミルシャ編は終わりです。
短く纏めるのは難しいですなぁ
後編も大筋はできているので、あまり遅くならないようにがんがります。
そのあとは閑話か本編ってところですね。DHの1章はもうちょっと書き溜めてから。




