21話 “火”の付く固有称号
「……おい、何かめちゃくちゃこっち見てるぞ」
「知り合い?」
<威圧>が解除されたおかげで声を出す程度の余裕は出来たのか、男から目を逸らさないまま2人がボソボソと囁いてくる。
そうか、2人とも知らない相手か。知り合いだからこっちを見ていただけみたいな平和な展開を期待していたんだけどな。
2人とも<狂化>については気づいていないだろうが、不穏な気配は感じ取っているようだ。意識しているのか無意識なのか、若干身構えているのが分かる。
俺としては出来ればこのまま回れ右で立ち去りたい所なのだが、この背中を向ける勇気は正直ない。
どうしよう。
顔は知らなくても名前を知っているという事は別段珍しい事ではないし、特にあれだけの実力を持つ人間がまったくの無名という事はないだろう。
「……カイ・バセンって知ってるか?」
「私、ちょっと用があるので失礼するわ」
「あー終わったー。俺終わったー。」
ルシャが今までで最高に機敏な動きで俺の後ろに隠れ、モミさんは天を仰いで「ジーザス」とでも言いそうな仕草。
なにその反応。嫌な予感がしつつこっそり尋ねると、
「……何で名前と顔は知ってて、肝心な所を知らないんだよ」
実はどっちも知らなかったんだけど、とは言えないか。
「いいか、世の中には俺達みたいな“汎用称号”とは違う“固有称号”の化け物みたいな連中がいるのは当然知ってるよな」
当然知りませんでした。
言われてみれば称号というのは、一般的には役職や位みたいな物だけでなく君主とかいった特定の個人を示すための物もあるんだったな。この世界では前者しかないかと思ったけれど、ちゃんと後者としての役割もあったということか。
どうりで他の称号とは法則が違うと思ったが、要は前置詞つきが汎用称号で前置詞無しが固有称号ということでいいのだろうか。本当に個人を示すものなのかどうかは現時点では分からないけれど。
しかし“轟火拳嵐”、か。物凄く物騒な響きなのだが。
――もちろん実際の名称としては現地語であり、和訳に際しては俺の趣味が多分に織り込まれていることを一応言っておく。……いいじゃないか。好きなんだよこういう駄洒落っぽい命名法。
「会ったことはないけど」
「そうそう会ってたまるか。確か20人くらいしかいない筈だぞ」
それだけレアだと、確かにその辺でひょっこりと出くわすというわけにも行かないか。
単純に強さが基準だとすると今まで会った中では巨人殺しのエルクハウンドさんがぶっちぎりではあるが、それでもあの“轟火拳嵐”には少々及ばない。あの人も充分に超人の域に達しているが、ならば眼前の彼は人外の域にあるように思う。
約20人というのがモミさんが覚えている人数なのか、公的に認められている人数なのか。さらに言えばどれくらいの範囲内に当てはまる人数かによって大分印象は違うわけだが、さすがに1都市辺り平均20人という事はないとは思う。もしそうだとしたら俺の語彙が持たない。
「血筋からの固有称号ならともかく、武力系の固有称号に対しては相当タチが悪いらしい。……特に“火”がつく奴には『近寄るな』『敵対するな』『さもなくば諦めろ』って」
「“轟火”はここ数年行方知れずって聞いていたけど……こんな所で会うとは思わなかったわ」
なるほど、“会うと”と“OUT”をかけているわけですか。そんなわけないか。
「近寄るって、何メートルまでセーフ?」
「メートル?」
おっと、距離の単位は確かヤルドだっけ。他の世界でメートル法が通じるわけないわな。
「知るか。見つからなければセーフで、気づかれたらアウトだ」
「めちゃくちゃ見られてるんだけど」
「……アウトだな」
なんで俺が責めるような目で見られなくちゃならんのか。
「でも、敵対しなければきっとセーフ」
俺の背後に隠れたまま囁くルシャ。どうでもいいけれど、この状況で隠れてもあまり意味ないと思う。
「一応確認しておきたいのだが、あの視線は友好的なものだろうか?」
「……あれは寝起きのルシャと同じ目をしている」
「それは私に失礼」
やはりアウトなのだろうか。
あとは何だっけ。
「……諦める?」
「それはNo!!」
「まぁ、一応だな」
モミさんが刃零れした剣をこっそり握りなおした。刺激しない程度に――もしかしたらやっぱりセーフなんじゃないかという可能性を祈りつつ、俺もわずかに身構える。
案外余裕があるじゃないかと思われるかもしれないが、<威圧>が解除された反動で少々ハイになっているのかもしれない。そうでなければヤケクソだ。それでも思考停止するよりはずっといい。
モミさんの言う『諦めろ』云々はあくまで噂でしかないのだ。俺が「はいそうですか」と受け入れて諦めるような性格だったら、そもそもこの世界に来ないで今も退屈そうにリーマンを続けていただろう。
現状気になるのは先程発動した<狂化>というスキル。今は澱んだ衝動を湛えた目つきで歯を剥いた凶暴そのものの表情だが、これが発動する前の動きは少なくとも“狂”の文字とは程遠い。あれだけのスキルを習得し鍛え上げるのは、それらを重複発動するという技術は、理性と鍛錬の果てに得られるものだ。
そのような人間が、噂に称されるような暴君のように振舞うだろうか。<狂化>の存在が無ければ疑問を感じなかったかもしれないが、<狂化>を目の当たりにした今は7:3くらいでこのスキルが噂の原因ではないかと思っている。
もちろん<狂化>の効果がよく分からない以上は、素の凶暴性が増幅されただけという可能性も結局否定できないし、さらに言えば<狂化>を解除する方法も不明なので、結局原因がこれであったとして即どうこう出来るというものでもないのだけれど。
微妙に痒い所に手の届かない<ステータス閲覧>。元々そういうアビリティなのか、俺の使い方が悪いのか。残念ながら今は検証する余裕がない。
“轟火”が、こちらに向かって1歩踏み出した。
◇ ◇ ◇
――<瞬動>
男が2歩目を踏み出す直前、スキルの発動が示される。
「来る――」
来るぞ、と俺が言い切るより速く、その姿が消える。目にするのは2度目だが相変わらず目で追うことができない程の速度。それでも発動通知から実際に動作に移行するまでのわずかなタイムラグが、モミさんに反応する余裕を与える。
“轟火”の姿が消えた直後、わずかに前に出たモミさんの手元で重い物同士がぶつかり合う音が響く。ワンテンポ遅れて顔を向けると、男の打ち出した右の拳を正面から盾で受け止めていた。
初撃はなんとかやり過ごしたが、残念ながら状況の改善には繋がっていない。
大熊の薙ぎ払いを片手で受け止めていたモミさんが、今はその両手で盾を支え歯を食いしばって耐えている。限界まで張り詰めた筋肉がブルブルと震え両足はわずかに地面にめり込んでいる一方、恐ろしいことに“轟火”は涼しい顔だ。
盾と拳の接する点からはギシリミシリと金属の軋む音が鳴り、この均衡が決して長くは持たない事を予感させる。
っと、このまま見ているわけには行かない。
小剣を握り直してモミさんと競り合っている男に向けかけ、わずかに躊躇する。
人に刃物を向け、それを突き立てようとする行為。20年以上も現代日本で過ごしてきた精神に染み付いた忌避感は、容易く拭えるものではない。
そのわずかな躊躇いが数少ないチャンスを失った。後になって思い返してみれば、それは本当にチャンスだったのか怪しいものではあったが。
目の前で耐えるモミさんの存在をどう感じたのか“轟火”は不愉快そうに小さく鼻を鳴らし、組み合う拳をそのままに軽く重心を落とす。
――<寸勁>
俺が警告を発する間もなく、男の前後に大きく開いた両足が強く地面を踏みしめた。腰、上体、肩を通して盾との接触点へと叩き込まれる打撃力。同時に手元で形容し難い破砕音。
まっ二つに割れた盾を貫き、がら空きになったモミさんの胸板に真っ直ぐ打ち込まれる男の拳打。金属製の胸甲が砕かれ、肺から空気が押し出される「が」とも「ぐ」とも聞こえる声と無数の金属の残骸を散蒔きながらモミさんが吹き飛ばされた。
一瞬胴体を貫通された凄惨な光景を想像したが、周囲に舞う残骸にはあまり血が混じっていないようだ。盾と鎧が衝撃を吸収したのか衝撃方向に自分から飛んだのか、はたまた純粋な頑丈さ故か、地面を2度3度と転がった後すぐさま身を起こす姿に安堵した。さすがに立ち上がる事は出来ないようではあるが、一応は動けるようだ。
邪魔な障害物を片付けた事に満足げな笑いを浮かべた男は、こちらにギロリと目を向けた。
――やばっ
反射的に、男が握り締めた拳に反応しかけ、
――<蹴撃>
直後に表示されたスキル名称に気付き、フェイント気味に死角から突き上げられた蹴りを不格好ながら辛くも躱す。
――い、今のは危なかった。
バクバクと鳴る胸を抑えつつ続く追撃も何とか回避。
攻撃自体は殆ど捉えることができないが、<ステータス閲覧>の恩恵で種類とタイミングだけは分かる。幸いと言っていいのか<狂化>状態では単調な攻撃しかしてこないため、威力こそ恐ろしいものの回避する事に専念すれば何とか詰みになるのは免れていた。とはいっても徐々に精度と速度を上げる連撃と、それを躱すだけでごっそりと削られていく集中力。このまま回避に専念しても捉えられるのは時間の問題だ。
幾度目かの回避のタイミングで身を捻り手を伸ばした先には、反応できずに固まっているルシャ。
開幕ボムしかできないこの子はホントこういう状況では何もできないからな。巻き添えになってしまっては笑えない。出来れば自分で走って逃げて欲しかったのだけれど。
彼女の襟首を掴んで、遠心力任せに全力の<投擲>。悲鳴を上げながらかっ飛ぶルシャが無事モミさんにキャッチされる光景にデジャヴを感じつつ、“轟火”へと向き直った。
ルシャの声に反応したのか、男はわずかにそちらに意識を向けていた。
今度こそは。
己を奮い立たせ、覚悟を決める。
――この状況でも、いずれは笑うようになるのだろうか。
手の中の擦り切れた柄を固く握り込み、肩口めがけて全力の<刺突>を叩き込む――
――<掌盾>
余所見をしたまま無造作に差し出された掌。
固く、しかしわずかに弾力のある強化ゴムのような感触が小剣を通して伝わり、それを最後に酷使してきた剣身が限界に達したのかその半ばからへし折れた。
あ、格好つけてもダメなものはダメだわ。
攻撃の意思はあっさり捨て、反撃の<拳打>をやり過ごしつつ、“轟火”を引きつけたままの全力逃走に切り替える事にした。
一応今の<刺突>も無意味だったわけでなく、離れたところで半分ダウン気味の2人から完全に注意を離す事に成功している。
ふ、最初からこれが目的だったのさ。
いや本当本当。
さて、やはり平原みたいに広い所は逃げるに向かないな。隠れる所もないし。
となると選択肢は1つ。踵を返して元々男がやってきた森方向へと<疾駆>。
今なら獣に出くわす事もないだろうから、何とか撒くことが出来ればそのまま全力で逃げ帰ろう。怖いのは俺の方が迷う事だけどその時はその時だ。
背後で“轟火”がこちらを追いかける気配。<瞬動>が発動した瞬間横っ飛びに<跳躍>し、直前までいた地面が爆散するのを脇目にひたすら<疾駆>を継続。<瞬動>は確かに速いが、それだけなら怖さは他の攻撃と大して変わらない。並行して唱えていた[火弾]を適当にばら撒いて牽制しつつ森と俺の間に入られないように位置取りを注意する。
とは言っても連続狩りや大トカゲからの逃走の間に、距離としては残り50mも無い。2度、3度と<瞬動>による追撃を避け、
「今だっ」
とばかりに飛び込もうとしたとき。
「ん? 随分賑やかだし、この辺かなー」
聞き覚えのある声と共に目の前の茂みをガサガサとかき分けて現れた1つの人影。
「ちょ、うわっ!」
至近での遭遇に焦り、衝突を回避しようとして身を捻るが。
<疾駆>の慣性と無理な体勢が災いしたか、足を滑らせよろめき。
後方で弾けた大きな土塊が背中の真ん中に衝突して息を詰まらせ。
木の幹に突っ込んだ衝撃で、ブツリと意識が途絶えた。
最後に、不思議そうな顔で覗き込むセンテの顔を目に焼き付けて。




