20話 人としての可能性
カシャァァ――――ン
陶器が割れるような高い音を立て、氷柱が砕けた。
やはり思ったとおり見た目よりずっと脆い。これが魔法の性質によるものなのか、ルシャのスキルが未熟な事に由来するのかは分からないが、ともかくそのまま連なる氷柱にゲシゲシと蹴りを入れ、何とか抜け出す隙間をこじ開けようとする。
割れた氷が他の氷にぶつかり合い互いに砕け、周囲に騒々しい音がばらまかれる。
一度離れた毛玉が音に集まってきたらどうしようかとは考えたが、森から出てきたあとそのまま一直線に草原に跳んでいった群れは俺達が残った毛玉とやりあっている騒ぎに引き返す様子は無かったし、だいぶ距離も離れただろう。後から平原へ行った連中が戻ってきても、数の上では氷柱の檻に引きこもる前に戻るだけだ。逆にモミさんの所の連中を釣れたならそれはそれで有りだと言える。
ある種の開き直りの元、広がっていく視界。飛び出し様にいきなり死角から攻撃されては笑えないと周囲を見回すと、その光景が視界に入った。
モミさんの所までは一足飛びとは言わないものの、走れば10秒もかからないであろう程度の距離しか離れていない。とっくに彼の周りで飛び回る毛玉に合流していると思っていた数匹が、思っていたより近くでボテっと転がっていた。先に俺が仕留めた奴ではない証拠にその毛並みには特に傷や血汚れはなく、戸惑うように右往左往している。
訝しみながらも脱出路をこじ開けていると、近くの氷が派手に割れるのに合わせてびくっと反応していることに気がついた。
――ほほぅ。
あとになってルシャに聞いた所によると、そのときの俺は実にイヤらしい笑いを浮かべていたという。
氷の隙間からモミさんの後ろ姿へと声をかけ、肩越しに一瞬目線があったのを確認して指示をだすと、彼は少し首を傾げながらも頷いた。
指示といっても大したものではない。あるスキルを全力で使ってみてくれと言っただけだ。
彼は2、3度毛玉を弾きつつタイミングを図り、襲撃の間が空いたのを見計らって大きく息を吸い込んだ。
――<咆哮>!!
モミさんの口腔から轟く雄叫びがビリビリと身体の芯まで響く。耳の形から犬系だとは思っていたが、さすが遠吠えも堂に入ったものだ。氷が割れるのとは比べものにならない大音量がばらまかれる。
これ程離れていても耳に来るのだ、それだけの大声を間近で浴びせられた毛玉たちはたまった物ではない。10を越えるその全てが地に落ち硬直し、至近にいた数匹などはピクピクと泡を吹いて痙攣していた。
――技能スキル<威嚇>習得
丸まった状態での行動が基本であるこの獣にとって、視覚よりも聴覚が遥かに発達していたのだろう。頭を内側にしまい込んだ状態では目で周囲を見ることは出来ず、音で周囲を伺っていたのだと思われる。もしかしたらコウモリのソナーのような能力も持っていたのかもしれない。
大きな音をぶつければ聴覚を潰しその身動きを封じられると思ったが、想像以上にその聴覚が敏感だったこととモミさんの声が馬鹿でかかった事でご覧の惨状である。まさか声自体がダメージを与えられるとは思っていなかったが、過剰な音というのは一種の衝撃波のようなものなのかもしれない。
当のモミさんは散々まとわりつかれていた事によってストレスが随分と溜まっていたらしく、周囲の毛玉を一掃したあとも頻りに<咆哮>を繰り返している。大声を出すというのはストレス発散に良いと聞くが、本当のようだ。
もしかしたら攻撃を耐える事によって後に使うスキルの効果を上げられるスキルというのもあるのかもしれない。体力が減った状態だとステータスに補正がかかったり特殊な技を使えるという設定は珍しいものではないのだから。
ただ、<咆哮>の度にテンションが上がってきているっぽいのが少々うっとおしい。遠吠えで野生化しかかっているのではなかろうか。
「…………うるさいわ」
俺の傍らで耳をふさいでいたルシャが、無表情にぼそりと呟いた。
◇ ◇ ◇
「ガアアアアアアァァァァ!!」
<威嚇>を込めた<咆哮>に咆哮で返しつつ、成人の太腿ほどもあるような太い腕が振り下ろされる。正面から受け止めた盾と剣が激しく軋み、モミさんの両腕の筋肉が弾けそうな程に膨れ上がった。
どうやら<威嚇>はある程度格下の相手でないと逆効果なのかもしれない。心の中で書き留めつつ、輪唱の要領でルシャの詠唱に続いて唱えた魔法を、2m以上はありそうな大熊の脇腹めがけて放つ。
打ち出されたのは[火弾]にも似ているが、そんなものを使っては相手と組み合っているモミさんを爆発に巻き込んでしまう。案外耐え切るんじゃなかろうかという気がしなくもないが、実際に試すほど鬼畜ではない。
紡錘状に濃縮された火炎は対象に当たっても破裂することなく、身体に突き刺さったまま燃え続ける。ある意味[火弾]よりも遥かにえげつないとも言える[火矢]は左右から大熊の胴体に次々と着弾し、その内臓をじりじりと焼き焦す。
苦痛に呻いて力が緩んだ隙を逃さず、モミさんは0距離からの<強打>で組み合った両腕はじき飛ばし、体勢が崩れたところで頭蓋を叩き割る。
「はっ、やっぱこういう力押しの獣の方がやりやすくていいな」
などと余裕の笑いを浮かべつつ、モミさんは剣にこびりついた肉片を拭って鞘に収めた。
「いや、沸きすぎだろうこれは」
大熊が死んでいる事を確認した俺は、周囲を見渡して溜息をついた。
辺りに転がるのは様々な種類の獣の死骸。屍山血河……とまでは言わないが、種々様々な獣の屍が転がっている。
こいつらは皆、小鬼や毛玉らと同じく森の中から飛び出してきた。その半数は激しく怯えてこちらを避けて逃げ、残りの半数は極度の興奮状態でがむしゃらに襲いかかってくる。
この数時間で何匹斬ったかモミさんの長剣は完全に刃が潰れて頑丈な金属棒と化しているし、まだ多少の余裕はあるもののルシャも肩で息をするようになっていた。
俺については、序盤の毛玉などはともかくさっきの大熊のような獣に殴りかかる気にもなれなかったので武器も体力も温存されているし、魔法の威力がルシャよりも低いおかげか精神的にも負担が軽い。まぁ言い換えれば、俺が元気でも大して役に立たないということでもあるが。
「さすがにそろそろ逃げたほうがいいんじゃないか」
そう2人に声をかけたのは、大熊の解体をあらかた終えてからの事だった。
襲撃には波があり、1つの群れが現れてから別の種類が現れるまでにしばらくの間が空いていた。おかげで休憩と素材確保の時間が取れていたのは有難い。とは言ってもこれだけの数があると全部持って帰るわけにはさすがに行かない。爪や牙、角といった嵩張らない部位がメインで、あとは一部の毛皮が精々。いつぞやのように肉を持って帰るのは基本的に諦めている。それでも荷物がパンパンになるまで粘ろうとしてしまうのは生来の貧乏症ゆえか。
それはさておき、さすがにこれだけの種類、数の獣が次々と森から逃げ出してくるというのは紛れもなく異常な状況なはず。
簡単に想像できる。森の中で何かが起きているか、あるいは何かがいる。それも、とびきりに厄介で面倒なものが。
トラブル体質とか巻き込まれ体質とかじゃなかったはずなんだけどな。変な恩恵とかついていやしないか心配になったが、一応そんな事はないらしい。隠しステータスとかそういうのが無ければ、の話ではあるけれど。
今のところは何とか対処できるレベルではあるが、間違いなく最初に比べてだんだんと凶悪なのが出てきている。ちょっとずつ敵が強くなってきたおかげで、まだ行けるまだ行けると引き際を見失っていやしないだろうか。
ただまぁ、荷物が持ちきれなくなりそうだというのは1つの区切りとしてちょうどいいか。
「んじゃ、面倒な事になる前に……帰ろう……か……」
驚愕に言葉が尻すぼみとなる。緊張のためか全身の毛穴が開くような錯覚を感じる。
立ち上がろうと目線を上げた先。それと目が合ったのは気のせいだろうか。
木々の隙間から覘いていたのは、頭部だけでワゴン車ほどもありそうな巨大なトカゲだった。
「確か力押しの奴の方が得意なんだよな」
乾いた笑いを浮かべながら親指でガッと大トカゲを示してみせると、モミさんは青い顔でブルブルと首を振った。
そうだよなー、無理だよなあれは。
「よし、逃げんぞ!」
「ぐぇ」
疲労からか若干動きの鈍っているルシャの襟首をひっつかみ、平原方向……ではなく、森の境界線に沿って横方向へ<疾駆>。伊達に“脱兎”の称号を取ってないことを教えてやるぜ。
……乙女に相応しからぬ声は聞かなかったことにしてあげて。
「ちょっ、どこ行くんだよ!」
「進行方向に逃げたら巻き込まれるだろ!」
「は、巻き込まれる……?」
体格差のおかげで速度じゃ到底勝てないんだ、同じ方向に逃げてもいずれ追いつかれる。こちらが狙われているんじゃなければ、とにかく進路から外れるか隠れるしかない。もしも腹が減っているならそこら辺にたくさん食料が転がっている。わざわざこっちを追いかけたりはしないだろう。
だが問題は、アレも異変の原因ではない事だ。
地響きを鳴らしながら移動する大型トラック並の巨体。身体が擦れただけで木の幹は大きく撓み、表面には無数の鱗による深い引っかき傷が刻まれる。
最初はその巨躯に目を取られたが、森から抜けたその身体をよく見れば所々砕けた鱗にひびの入った角。体には血が滲み、右前足を庇うようにその動きは鈍い。何よりその目に他の逃げた獣達と同じ、怯えの色があった。
ならばきっと厄介事とはそれ以上。アレが生活圏であろう森から逃げている最中であるならば、その厄介事はここまで届く可能性もある。
気づけば他の獣もほとんどが姿を消していた。俺たちも早くこの場から離れるべきだ。
そう思ったとき。
――<威圧>
ビシリ、と空気が凍りつくような強烈な気配が周囲に満ちた。そのプレッシャーは大トカゲに出くわしたときを遥かに超える。
喘息の症状のように、息をする事さえ意識しなければ難しい。足がもつれ、転倒しかけるが何とか持ちこたえた。
――<存在強化>
何かに縛り付けられたかのように、それ以上足を動かす事ができない。
気配の主に背を向ける事に耐えられず、俺達はその場でゆっくりと振り向いた。
ソレは、人の形をしていた。
距離があるためはっきりとしないが、ボロボロに擦り切れ薄汚れた衣類を纏う総髪で引き締まった体型の中年男性。
――<眼力>
くたびれた格好に反して爆発しそうな程の生命力を帯び、離れていても分かるギラギラと輝く双眸は目の前の獲物をじっと捉えていた。
眼前で向かい合う大トカゲと比べれば、あまりにも小さい。太い尾で薙がれれば、槍のような牙が並ぶ顎で噛まれれば、それどころか踏まれるだけで容易く平原に転がる獣の残骸の一部となってもおかしくない。
だが、Sランクまで鍛えた威嚇系スキルの重ねがけにより弱体化した大トカゲと、強化スキルにより暴力的なまでに増幅された存在感を放つ男。その立場は体躯の差と完全に逆転している。
男は目を眇めつつ像のように硬直した大トカゲを満足そうに見やり、胸の前で組んでいた腕を下ろす。
そして無造作に踏み出す一歩。
――<瞬動>
爆発的な加速に掻き消える姿。視覚でも、<動体捕捉>でも捉えることができない。
<ステータス閲覧>が、辛うじてその軌跡を追う事を可能とした。
――<打撃>
――<金剛>
――<外功>
――<波勁>
――<装甲破壊>
――<急所狙い>
――<的中>
――……
――…………
スキルが発動する毎に、どんどん時間が引き伸ばされていくような錯覚を覚える。
次々と連なっていく無数のスキル。持っているものも、名前だけ知っているものも、見たこともないものも。1つ1つが常人には到底手の届かぬ高ランク。それらが相乗的な効果を及ぼし合いさらに増幅されていく。
そして、着弾。
周囲の空気を歪ませるほどに灼熱した生身の拳が、硬い鎧鱗に覆われた胸板を打ち抜いた。
砕け、弾ける鱗。衝撃に歪む外皮。
だが、相手の体格からすればあまりにも小さなダメージ。そう思った次の瞬間だった。
ドクンっ
大トカゲの全身から大量の血霧が吹き出した。噎せ返る程の血臭。ゆっくりと倒れ、大地を揺らす巨体。
誇るでもなく、喜ぶでもなく。亡骸の上に立つ男は、ただ当然の事にように静かに佇むだけだった。
「すっげぇ……」
生身の、個人による、ただ1度の打撃。
この世界の人間は、この領域まで辿り着く事が出来るのか。
<威圧>の余波による恐怖はまだ薄れていないが、それ以上に俺は可能性を目の当たりにした事による興奮を感じていた。
無造作に使われたように見えた無数のスキルはどれ1つ取っても今の俺では手が届かないだろうランクに達しており、真似する事は容易ではないだろう。だが個々のランクが低くても、複数のスキルを同時に使用する事によって効果が飛躍的に上がるという事。時に複合スキルが発生するというのは、<立体軌道>の習得を始めとして思い当たる節がいくつもある。
――帰ったら試したい事がどんどん増えるなぁ。
夢中で<ステータス閲覧>を駆使し、幾つものスキルを次々と記憶にとどめようとしていたとき。
男の保有する大量のスキルの中で1つのスキルが発動した。
――<狂化>
<威圧>による荒々しくも押さえつけられたものとは異なる、より暴力的な気配。
いつの間にかこれまでとは違う澱んだ輝きを放つ男の眼が、じっとこちらを見据えていた。
◇ ◇ ◇
◆名前
カイ・バセン
◆称号
轟火拳嵐
ようやっと続きを書く時間を確保出来るようになりました。
話の展開はずっと考えていたのですが、実際にPCに向かうと書き方を忘れてしまったのかペースが上がらんです。
あと1話……か2話でこの章を終わらせて、早く日常回に戻らねば。




