旅立つⅢ
ゼインはアネモネに会えなかった寂しさを埋めるように、アルフレッドに飛空船の操縦技術を教えるようになった。眼前の目標は、やはりゼインの独立だ。操縦席に座るアルフレッドの腕にも力が入る。
「左のレバーを倒したら着陸、引いたら離陸です」
「倒したら着陸、引いたら離陸……」
アルフレッドは復唱しながら、しっかりとメモに書き残す。今は停泊所で物資の補給中なのだ。エンジンを止めているため、計器を触ってもホープ号は動かない。
「一気に動かすと急上昇、急下降になっちゃいますからね。メヌエッタ様が悲鳴を上げますよ」
「分かった」
急に私の名を持ち出され、「ん?」と声を上げてしまった。緊張が緩み、二人の口から小さな笑い声が漏れる。
「それにしても、小型の飛空船を買えるだけのお給料を残しておくなんて、流石ゼインだよねぇ」
「メヌエッタ様、もっと褒めてください」
「調子に乗るな」
これは私も驚いたのだ。いっぱしの執事が飛空船を買えるだなんて、聞いたことがない。ただ私の見聞がなかっただけかもしれないけれど、素直に凄いと思う。
「でもな、そこが俺も一番引っかかってたから、クリアになって良かったな」
「はい。自分の貯金事情なんて、普通、喋りませんからね」
もしかしたらグライゼル侯爵が今後を見据えて、ゼインの給料を引き上げていた――なんて考えも浮かんだけれど、あまりにも無粋なので言うのはやめた。
「ゼインは独立したら、何の仕事をするの?」
「僕ですか? そうですねぇ」
ゼインは何故かアルフレッドを見て、にこっと笑う。
「航空士の卵を育成する仕事をしようかと」
アルフレッドも呑み込みが早い方だとは思う。それにしても、私も理解出来る教え方なだけに、ゼインも教官に向いているのだろう。もしかすると、上手い教え方によって航空事故も減らせるかもしれない。
「一人でも多くの命を救ってね」
「そっちですか」
ゼインはずっこけ、アルフレッドは盛大に笑う。変なことを言っただろうか。いまいち分からない。
「そうだ、補給が終わったら、アルフレッド様の操縦で離陸してみましょう」
「もうなのか!?」
「ここまで教えたんです。後は実践あるのみですよ」
アルフレッドは唸り声を上げる。ゼインが巣立つ前に、操縦技術は全て叩き込んでもらった方が良い。
「危なくなったらゼインが助けてくれるから大丈夫だよ」
「……危ない、イコール墜落、なんですけどね」
ゼインの苦笑いに、心臓が凍るような気がした。
「でも、僕がいるうちは墜落なんてさせませんよ。ホープ号も海に沈むのは嫌でしょうしね」
「ああ。心強い航空士を持って良かった」
アルフレッドはゼインとタッチし、口角を上げる。
補給も終わり、飛び立つ時はやってきた。アルフレッドの横にゼインが立ち、私はアルフレッドの真後ろに待機する。
「一度、深呼吸しましょう。吸って……吐いて……」
ゼインの言葉に合わせ、アルフレッドは呼吸を整える。おまけに私も深呼吸をした。
「エンジンボタンを押して……プロペラが回ってる音が聞こえますか?」
耳を澄ませると、微かにプロペラの羽音が聞こえる。
「ちゃんと回ってるな」
「じゃあ、レバーを引きますよ。ゆーっくりです」
私も呼吸を止めてしまいそうだ。アルフエッドの手がレバーを捉える。慎重に引いたつもりなのだろうけれど、私にとっては急上昇だ。思わず悲鳴が漏れ、膝を折ってしまった。
「出ました。メヌエッタ様の悲鳴一回目」
ゼインが茶化すものの、アルフレッドは緊張の最中にいる。反応なんて出来ないだろう。
そんなことをしていると、ホープ号が小さく揺れ始めた。その揺れは次第に大きくなる。そして、一瞬、落下するような感覚を覚えた。またしても悲鳴を上げる。
「怖い……!」
「メヌエッタ様の悲鳴二回目」
ゼインは怖くないのだろうか。アルフレッドには余裕がなさそうで、更にレバーを引いたようだ。今度は船体が急上昇する。一瞬、計器の明かりが消えた。
「それ以上、レバーは動かさないでください!」
流石のゼインも、これには焦ったようだ。いつもは穏やかな口調が、今回ばかりは荒々しくなる。
キャノピーに視線を移すと、ぐんぐん雲を追い抜いているのが見えた。この船を、今、まさにアルフレッドが動かしているのだ。
「上昇止めて。自動運転に切り替えです。自動モードボタンを押して、地図に出てる目的地を押してください」
アルフレッドが何やら操作をすると、ホープ号の飛行は一気に安定した。いつもの船の様子に、思わず安堵の息が漏れる。
「やったのか……?」
「成功ですよ」
「はあぁ……」
アルフレッドはゼインの一言で、操縦席に座りながら崩れ落ちた。
「手の汗が酷いな。心臓もバクバクだ。いつになったら慣れるのか……」
「すぐですよ。すぐ」
ゼインはアルフレッドの肩を軽く叩き、白い歯を見せる。
「こんな所じゃなんです。デッキに出ましょうよ」
「そうだな。頭がフラフラする……」
ゼインは操縦室を出て、アルフレッドはゆっくりと立ち上がる。その腕にしがみつき、満面の笑みを見せてみた。アルフレッドは眉尻を下げながらも、優しく微笑んでくれた。
デッキまで出ると船首に移動し、船が行く先を眺める。
「僕たちの未来は明るいんですかね」
「それは分からない。手紙配達の仕事だって、まだ軌道に乗ってないしな」
「まだまだこれからだよ」
三人で一列に並び、夏空の温い風を一身に浴びる。
「一つずつ、未来に誓いを立てましょうよ。僕は……アネモネに……やっぱりやめても良いですか?」
「お前が言い出したんだろ」
アルフレッドのツッコミに、ゼインは「まあまあ」と流す。
「これ以上すれ違いが続いたら、僕は失踪しちゃいますよ」
冗談では済まされないゼインの言葉に、苦笑いが漏れる。
「私は……そうだなぁ。お母様に顔向け出来るように、人生を遊び尽くしたい……かな?」
「……俺は……俺は、メヌエッタの笑顔を守り抜く」
思わずアルフレッドの顔を見てしまった。その瞳は前だけを見据え、揺るがない。この人についてきて良かった。そう思える人生しか見えないのだ。アルフレッドに初めて会った、あの頃が懐かしい。
「貴方……お待ちになってっ! 私をその船に乗せて!」
この一言がなければ、私たちはこうして空を飛ぶことなんてなかっただろう。小さく笑い声を上げると、アルフレッドとゼインが不思議そうな顔でこちらを向いた。
「どうした?」
「ただの思い出し笑い」
言いながらまた笑うと、二人も小さく笑ってくれた。
明日も、明後日も、私たちはドアノッカーを叩く。依頼者の想いを届けるために。
Fin
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
次回作は追放聖女のスローライフを予定しています。
ぜひ、次回作もお楽しみください!




