耳にするⅢ
アルフレッドの隣で、ゼインは空を見上げる。
「自由は良いですよ。富も名誉も何もないですけど、したいことを好きなだけ出来ますから」
帰る家を失ったゼインだからこそ、言える言葉なのだろう。そういえば、ゼインはどうやってアルフレッドの元へと辿り着いたのだろう。少しだけ気になってしまった。
「セシルはレインが貴族だったって、今まで知らなかったんだよね?」
「ああ、全くな」
「どうやってレインはセシルの執事になったの?」
「そこ、気になりますか」
頷いてみせると、ゼインは空よりももっと遠くを見るように目を細めた。
「僕は、グライゼル侯爵に拾われたんです」
「拾われた?」
私とアルフレッドの声が重なる。
「使用人の手でハルネイオ国のとある街で置き去りにされて、街の中を空腹でふらついてたんです。そうしたら、グライゼル侯爵が声を掛けてくれて」
グライゼル侯爵が声を掛けてくれたことより、置き去りにされた事実が胸に刺さる。
「その時の僕、身なりは貴族だったんですよ。でも、周りに親が見当たらないのを不審に思ったらしくて。僕はグライゼル侯爵に、自分の身に起きたことを洗いざらい話しました。その時に、侯爵が言ったんです」
ゼインは目を柔らかくし、アルフレッドを見る。
「『私の家の執事になれ。私の長男を支えてくれ』って」
「えっ?」
私が見た印象も、アルフレッドから聞いた話からも、グライゼル侯爵はアルフレッドを嫌っている。そう思って間違いなかった。なのに、この矛盾は何なのだろう。アルフレッドの方を見てみても、揺れる空色の瞳は床を見詰めるばかりだった。
「迷いましたよ。もしかしたら、良いように扱われるんじゃないかって。でも、僕には選択肢がなかったんです」
ゼインは間を置き、小さく頷く。
「それでグライゼルの屋敷に行って、セシル様と出会ったっていう訳です」
腑に落ちないのは私だけだろうか。納得出来ず、唸り声を上げる。
「じゃあ、飛空船の操縦技術はどこで?」
「それもグライゼル侯爵の提案なんです」
ゼインは腕を組み、まっすぐに前を見据えた。
「いつか自立した時に、役に立つだろうからって。講習費用も全部グライゼル侯爵が負担してくれました」
ゼインの話では、グライゼル侯爵はただの性格が良い人になっている。アルフレッドへの対応とは正反対だ。何故、ゼインに向けた優しさを我が子に向けられなかったのだろう。拳を握り、口を結ぶ。
「このことを見越してたのかは分かりませんが、僕をずっと屋敷に閉じ込めておく気はなかったようですね」
アルフレッドを追い出す時に、ゼインを後見人として付かせたかった。その思いが透けて見えるようでもある。
「ま、結果オーライですよ。セシル様も、逃亡中ではありますけど王女殿下をゲット出来ましたしね」
ゲットではなく、他の言い方はなかったのだろうか。私はまだアルフレッドのものにはなっていない。かあっと顔が熱くなる。
「偶然だ。これで父上の計画だったら絶縁ものだな」
「そこまで言わなくても」
ゼインが笑い声を上げると、その後に静寂が訪れる。風の吹く音しか聞こえない。
「まあ、悪くはない結果ですね」
ゼインは風の音に掻き消されそうなほどの声量で呟く。
「セシル様を支え、グライゼル侯爵や他の使用人に支えられてる、その自覚がありましたから。比べたことはありませんけどね」
ゼインはハルネイオ国で幸せだったのだろうか。以前はアルフレッドが抱いた疑問が、私にも波及していた。
* * *
その日の夜、アルフレッドにデッキへ呼び出された。ゼインに聞かれたくない話でもあるのだろうと、快諾したのだ。髪を結んでデッキへ出ると、既にアルフレッドの姿はあった。空では雲の切れ間から眩い星々がこちらを覗いている。
「レインが話してたことが気になるんでしょ?」
アルフレッドの隣に並ぶなり、口を開いていた。彼はこちらを見ずに顔をしかめる。
「父上は……なんなんだ? 俺にはつらく当たるくせに、赤の他人に優しくしたり、それなのにレインには俺を支えろと言ったり……訳が分からない」
「うーん」
私に聞かれても答えられることはない。グライゼル侯爵家の事情は直接見た訳ではなく、ほとんどが間接的に聞いただけなのだ。ゼインに聞いた方が手っ取り早いと思う。
「私に聞かれてもなぁ」
「そうだよな。すまない」
アルフレッドは視線を落とし、僅かに口角を下げる。お願いだから、そんなに悲しそうな顔をしないで欲しい。
「セシルのお父様は、もう遠い存在なんだから。嫌いになっちゃおうよ」
「……勝手なことを言わないでくれ」
アルフレッドは瞼を閉じ、肩を震わせる。しまったと思ったけれど、喉が詰まってしまう。
取り繕うためにアルフレッドの両手を掴んだものの、すぐに離してしまった。
「私が傍にいるから。だから……」
言葉が続いてくれない。これ以上言ってしまえば、告白になってしまいそうなのだ。沸騰したように熱を持つ頬を涼しい風が撫でる。
「気を遣わせてしまったな」
アルフレッドが呟いたと思うと、私の身体は引き寄せられていた。そのままアルフレッドの胸に埋もれる。その片手が私の背中に回ったものの、抱き返す勇気はない。ほんのりと漂う花の匂いに包まれながら、頬に流れる温かなものに気が付いた。私は――この感覚に慣れてしまったら、もう一人では立てないのではないだろうか。何も言えず、瞼を閉じた。




