誓うⅠ
ゼインは涙目で腹部を擦っていた。昨日の酒の香りが、まだ部屋に残っているような気がする。
「気持ち悪い……」
言いながら、ベッドの中で眉をひそめる。
「おえぇ……」
「吐くならトイレに行けよ」
アルフレッドは頭を掻きながら小さな溜め息を吐く。
私がアルフレッドに呼ばれてゼインの部屋に来てから、ずっとこの状態だ。私はゼインの手を握り、アルフレッドはゼインの背中を撫でている。昨日のゼインはビールをジョッキで二杯程度しか飲んでいないはずだ。酒に強い部類ではないらしい。
「昨日の僕、何かとんでもないことを暴露した気がするんですけど……」
「気じゃないよ。してたよ」
「してたな」
「はあぁぁ……」
ゼインは頭を抱え、大きく息を吐いた。
「何を言っちゃってくれてるんですか、僕の口」
「自分で突っ込んでどうする」
「今日もセシル様は手厳しいですね」
ゼインが苦笑いをすると、アルフレッドはやれやれと首を横に振った。馴染んだ日常が戻ってきた気がして、笑い声が漏れてしまう。
しかし、すぐにゼインは顔をしかめる。
「トイレ……」
ゼインはゆっくりと身体を起こすと、背中を丸めたまま、のそのそと部屋から去っていった。
テーブルに置いてある空のグラスが目に入り、自ら立ち上がる。
「私、今のうちに水汲んでくるね。酷い脱水になったら大変だから」
「ああ、頼んだ」
アルフレッドと微笑み合い、グラスを手に部屋を出る。向かうは倉庫にある小さなキッチンだ。数十歩ほどで着いてしまい、水の蛇口をひねる。
戻る途中、トイレの前でゼインの苦しそうな呻き声が聞こえた。これは聞かなかったふりをするべきだ。ゼインの苦しそうな顔を想像してしまい、拳を握っていた。
部屋に戻ると、椅子に座って感傷に浸っているアルフレッドの姿があった。彼はちらりとこちらを見遣った後、テーブルに頬杖をつく。
「昨日のレインの話を思い出しててな」
頷くのも躊躇われ、アルフレッドの隣に立つだけに留まった。アルフレッドは何も言わずに、すっと椅子から立ち上がる。振り返るとドアの先を見詰めるので、私の視線もそれを追っていた。
「『何もなくなっちゃった』って言ってたのが引っかかってな」
アルフレッドは視線を落とし、小さく口を開く。
「レインは幸せ……なんだろうか」
「えっ?」
「俺の執事をしているのが……幸せなんだろうか」
きっと、ゼインと出会ってから今までのことを思い返していたのだろう。彼が幸せかどうか、私には分からない。ただ、幸せかどうか質問したとして、幸せじゃないと答えることはないだろう。
「セシルはレインといて幸せ?」
「俺か? 俺は……」
アルフレッドは視線を落とし、しばし考える。
「幸せかどうかは分からないが、気持ちは楽になった」
「きっと、それが答えだよ」
アルフレッドははっと顔を上げて、私を見た。
「レインもそう思ってくれてると良いな」
口元を緩め、柔らかな表情に変わる。
そこへゼインが戻ってきた。締まりけのない私たちの顔を見比べると、口を尖らせる。
「僕が大変な目に遭ってる時に、この二人は……」
「それはビールをあおったレインが悪いだろ?」
「ぐうの音も出ません」
ゼインはしょんぼりと頭を垂れ、ベッドに戻っていった。顔色は青ざめている。
「レイン、水飲んで」
グラスをゼインに手渡すと、彼は上体を起こして水を浴びるように飲み干した。よほど喉が乾いていたのだろう。
「おかわりいるよね? ちょっと待っててね」
「ありがとうございます……。もう、ティア様は天使です」
それは言い過ぎだ。涙ぐむゼインに、空笑いをしてしまった。
部屋を出てドアを閉め、歩きながら考える。私の幸せとは何だろう。過去の私は、自由になれればそれで良かった。望む人と結婚出来るならそれで良かった。
王宮ではたまに会いに来る従妹のロゼリア以外、遊び相手はいなかった。常に私の傍にいたのは父王だけ――父王の優しい眼差し、頭を撫でる温かな感触、着替えをたくさん買い集めたたった一つの可愛らしいドール――私はそれでは満足できなかった。幸せなんかではなかった。
では、死人扱いされている今の私はどうだろう。
常にアルフレッドやゼインが一緒にいてくれる温かさ、会話出来る安心感、冗談を言い合える楽しさ――それが私の幸せなのだろうか。
自由に外へ出られない。本名ですら呼び合えない。騎士に見つかれば追いかけられる。私の考える幸せとはかけ離れている。
結局、何も分かっていない。無意識のうちにキッチンで蛇口を捻り、止めどなく流れる水をぼんやりと眺めていた。
出発出来ない焦りと苛立ちを何とか隠し、昼食をアルフレッドと二人で、倉庫で摂る。ゼインには後でお粥を持っていってあげるのだ。食卓には豚の角煮と、アルフレッドが危険を承知で買ってきてくれた肉まんが、湯気を立てて並んでいる。王宮では食べたことのない食べ物だ。嗅いだことのない匂いもする。胸の奥から漏れるワクワク感が止まらない。
「美味しいの?」
味が想像出来ず、首を傾げてみる。
「ティアは肉まんは初めてか?」
「うん」
「餡はしょっぱいのに、皮は甘いんだ」
「えっ!?」
甘い皮なんて、中の餡の塩味と合うのだろうか。一気に怪しくなってきた。
早速、アルフレッドは肉まんに手を伸ばす。一口頬張ると、一瞬で幸せそうな表情に変わった。
「美味しいの?」
「ああ。凄くな」
私も勇気を出して食べてみよう。アツアツの肉まんを手に取ると、小さい口で齧りついた。餡まで辿り着かなかった分、皮のほのかな甘みだけが口に広がった。
「なあ、ティア」
「何?」
「レインの体調が良くなったら、散歩にでも行かないか?」
「行きたい」
即答していた。私たちだけではなく、ゼインの気分転換にもなってくれたら良いな、と希望を抱く。
「せっかく、着陸してるんだ。地面を踏まないのは勿体ない」
揺れていないとはいえ、狭い船内に閉じこもっていては心も塞ぐというものだ。
「レインも連れて、外の空気思いっきり吸おう!」
「そうだな」
二人で笑い合い、束の間の休憩を堪能しようとしていた。




