超えるⅢ
狭い廊下を抜け、階段を登る。デッキに出ると、一気に清々しい空気が肺へと流れ込む。
「ティア、何とかなっただろ?」
「……うん」
疑っていた訳ではないけれど、本当に何とかなってしまった。微笑むアルフレッドに、静かに頷いてみせる。
空を見上げると、止まったプロペラが目に入った。黒い煤が付き、僅かに煙も上がっている。
「私たち、よく無事だったよね」
「ああ」
雷が落ちても墜落しないなんて、ホープ号は強い船だ。支柱を撫で、よく頑張ったねと褒め讃えた。
「ティア、これは知っているかは分からないが……」
「ん?」
首を傾げて、アルフレッドの先の言葉を急かす。
「国外には王族の顔は知られてない。肖像画は門外不出だからな」
「ってことは、私は逃げ回らなくても良いの?」
「いや、ラベンダー色の目がある限り、狙われ続けるだろう」
「そんなぁ」
一瞬だけ期待をしたのに、損をした気分だ。アルフレッドは更に続ける。
「ティアだけじゃない。俺も一緒だ。重要指名手配犯の顔は世界中に広がってるだろうからな」
ということは、アルフレッドも身分が知られればその場で殺されるのだろう。巻き込まれただけで命を狙われるなんて、申し訳ないことをしてしまった。
頭を下げようとした時、アルフレッドは両手を広げて深呼吸をした。
「俺は、ここまで追い詰められないと、この自由は手に入れられなかった。だから、ティアには感謝してるんだ。ありがとう」
責められるよりも、胸に込み上げてくる何かがある。よく分からない感情に、涙が溢れ落ちた。衝動的に、アルフレッドの背中に飛び付いていた。
「私こそありがとう。身分という名の檻から解き放ってくれて」
嘘偽りのない、私の本心だ。アルフレッドは頬を薔薇色に染め、はにかむように笑ってくれた。
* * *
最寄りの島に到着し、錨を下ろす。ゼインは止まったプロペラを見上げ、大きく息を吐き出した。
「ホープ号、良く耐えてくれましたね」
「レイン、安全だって確信があって操縦してたんじゃないのか?」
「そんな訳ないじゃないですか」
もしかして、私たちが島に着陸出来たのは奇跡だったのだろうか。あんぐりと口を開ける以外に感情を表現する術はなかった。
「凄い度胸だな……」
「それくらいじゃなくちゃ、航空士なんてやってられません」
確かに、航空士は乗員の命を預かる仕事だ。その場で泣き言なんて言えない。にしても、ゼインは立派だと思う。
「レイン、良く頑張ったね」
言いながら、ゼインの背中を撫ぜる。頭を撫でたかったけれど、手が届かなかったのだ。
「もっと褒めてくれても良いんですよ?」
「調子に乗るな」
即座にアルフレッドのツッコミが入る。ゼインは大袈裟に笑いながらも、もう一度プロペラを見上げた。
「このプロペラを修理するには……三日くらいかかるでしょうね。その間、セシル様とティア様にはホープ号からは降りないでいただかないと」
「なんでぇ!?」
せっかく着陸したのに、船から降ろさないなんて鬼の所業だ。両手で拳を作り、ゼインに盾突いてみる。
「故郷の……ハルネイオ国の騎士は追ってこないとはいえ、先日のようなことがあってもすぐには飛び立てませんから」
ゼインにしては珍しく確信を突いてくる。そんなのには耐えられない。ストレスばかりが溜まるだろう。
「私は嫌! 街に行くんだから!」
「ちょっ……ティア様!」
一瞬遅れたゼインの隙を突き、タラップを目指す。その時、ゼインが呻き声を上げたのだ。
「……痛っ! 無理な体勢をしたせいで、腰が鈍っちゃいましたかね」
その拍子に、誰かにワンピースの襟首を掴まれてしまった。こんなことをするなんて、一人しか思い浮かばない。
「まったく、お転婆な王女様だ」
アルフレッドだ。じたばたと足を動かしても、前に進むことが出来ない。
「離してよぉ!」
「駄目だ」
「王女なんて言ったら、バレちゃうでしょ!?」
「何がバレるんだ? 今のはただの比喩だぞ?」
悪戯に笑い、私を挑発しているかのようだ。これでは抵抗なんて出来ないではないか。頬を膨らませて床を睨みつける。
「じゃ、船内に戻るぞ」
アルフレッドは私の手を握り直し、階段へと向かう。
「しっかり新婚を楽しんでくださいねー!」
ゼインの呑気な声が聞こえる。新婚設定なんて、雷雲での危機ですっかり頭から飛んでいた。恐らく、アルフレッドもなのだろう。頬が紅潮するのがしっかりと見えた。
「部屋に一人でいても暇だろ? 俺の部屋に来ないか?」
「仕方ないなぁ」
外出への期待を諦めきれず、ぶっきらぼうに返してしまった。でも、アルフレッドなら安心出来るし、一緒にいたいなとも思う。
私の心内を知らないアルフレッドは無言で肩を落とした。
私の部屋とさほど大きさの変わらないそこには、必要最低限のものしか置いていなかった。ベッド、机、椅子、鏡――質素な家具が並んでいる。
「少し遊ぼう。丁度、カードがあるんだ」
アルフレッドは私を椅子に座らせ、自分はベッドに腰を下ろす。テーブルに置いてあったカードを手に取り、手際良くシャッフルしていく。
「セシルは……」
「どうした?」
口にして良いのか分からないまま言葉にしてしまい、俯いてしまった。
「怒らないから、言ってみろよ」
「セシルは……どうしてそんなにお父様から嫌われてるの?」
気になっていたのに、今まで聞けなかった。アルフレッドの手が止まる。
「……ま、話しても良いか」
アルフレッドは儚く笑い、カードを配り始めた。
私以上の親子の確執があるなんて、想像もしていなかったのだ。




