超えるⅡ
アルフレッドが差し伸べてくれた手をきつく握る。操縦席の窓――キャノピーから見えるのは陰鬱とした雲と、時々走る稲光だけだ。墜落しないことを祈る他にない。
自然と呼吸が浅くなる。景色を見ることもままならない。
「ティア、大丈夫だ。きっと何とかなる」
力のこもったアルフレッドの瞳が私を貫く。その手はまた震えている。でも、これではっきりした。私は一人で恐怖に立ち向かっている訳ではない。アルフレッドも、操縦桿を握るゼインも同じなのだ。
「何とか、なる……」
私自身に言い聞かせるように、震える唇で呟いていた。
「レイン、どれくらいで国境は抜けられるんだ?」
「三十分くらいです」
「三十分も……!?」
アルフレッドは驚愕の声を上げたけれど、ゼインはちらりと振り返り、口角を上げる。
「たった三十分ですよ」
私にとっては、人生で一番長い三十分になるだろう。身を竦めていると、アルフレッドは何故か笑みを浮かべた。
「ということは、レインはやっぱり国境を越えたことがあるんだな?」
「……嵌めましたね?」
ゼインの低い唸りは雷鳴によって打ち消されそうになる。
「揺れますよ!」
その言葉通り、船体は上下左右に大きく揺れ始めた。稲光もただの光ではなく、線がはっきりと見えるようになった。
「こんな時です、話でもしましょうよ」
「そんな余裕はないだろ?」
「余裕がないからこそです」
完全に後ろを向いているので、ゼインの表情は見えない。しかし、声だけで笑っているのだろうな、と予想は出来る。
「あの通行許可証はどうやって手に入れた?」
「ああ、あれですか」
ゼインは間を置き、平然と言って退ける。
「ただの伝手です」
「伝手……?」
納得が出来ない、といった様子でアルフレッドはゼインを見詰める。それもそのはずだ。通行許可証は国が定めた関係機関でしか発行出来ない。印も本物だとするのなら――。
「レイン。もしかして、知り合いに入国審査官がいるの?」
「へっ?」
それなら理屈は通ると思うのだ。
ゼインは素っ頓狂な声を上げた後、小さく笑う。
「そういうことにしときましょう」
違ったのだろうか。私の答えが正解なのかも分からず、首を傾げてみる。
「逃げたな……」
アルフレッドの小さな呟きが聞こえた。そんなことを話していると、船体が今まで以上に大きく揺れる。
「きゃっ……!」
墜ちるのではないか。そんな不安が再び首をもたげる。胸は嫌に早く鼓動をし、身体が震える。
「そうだ、僕からもセシル様に質問があるんです」
恐怖を全く感じていないかのように、ゼインはつとめて明るく言う。
「セシル様って、昔からそんなに無茶するタイプでしたっけ」
「無茶なんかしてるか?」
「してますよ。ティア様と出会ってからは特に」
昔のアルフレッドのことは知らない。そんなに違うのだろうか。じっとアルフレッドの顔を覗き込んでいると、彼の頬が紅葉色に染まっていった。
「俺に自覚はないな。ただ、必死になってるだけで――」
アルフレッドが言い訳をしていると、強い光や轟音と共にホープ号が大きく揺れた。まさか、船に雷が落ちたのだろうか。
操縦席からはけたたましい警戒音が鳴り響く。最大級の恐怖が私を襲う。心臓に鈍い痛みが走る。
「プロペラが一つ故障しました!」
「俺が見てくる! レインは操縦に集中してくれ!」
こんな悪天候で、何を言っているのだろう。腰を上げようとするアルフレッドの手首を咄嗟に掴んでいた。
「アルフレッド、馬鹿なの!?」
「馬鹿……!? しかも、本名――」
「そんなことを言っている場合ではないでしょう!」
つい、素が出てしまった。お願いだから、行かないで欲しい。唇を噛み締めると、アルフレッドは俯いてしまった。そのまま何も言ってはくれない。
ゼインは苦笑いをしながら計器をいじっている。
「これくらいなら大丈夫です。プロペラ一つ壊れたくらいなら、ホープ号はまだまだ飛びますよ!」
その声に応えるように、ホープ号は上昇する。
「アルフレッド?」
全く反応のないアルフレッドが気になってしまい、その顔を覗き込んだ。返ってきたのは揺れる空色の瞳だけだった。まるでアルフレッドの中の時が止まっているかのような、そんな表情だった。
* * *
雷鳴と稲光に怯えながら、その終着を願う。キャノピーの向こうには、僅かに太陽の明かりが感じられる。雲はグレーから白になり、一気に青へと突き抜ける。
「抜けた……?」
警戒音は未だになっているものの、もう船体は大きく揺れていない。私たちは死線を潜り抜けたのだ。
「やったー!」
思わずアルフレッドの両手を握り、ブンブンと振った。しかし、アルフレッドは反応らしきこともしてくれない。ただ頬を赤く染め、私を見るばかりだ。
「島に着くまでは油断しないでくださいね」
「分かってる」
ゼインに笑顔を向け、続いてアルフレッドに膨れっ面をしてみせた。
「もう、しゃきっとしてよ」
「ん? あ、ああ」
ようやくアルフレッドが返事をしてくれたので、肩が軽くなる。
「レイン、デッキに出ても良いか?」
「はい、もう大丈夫ですよ」
「じゃあ、俺は行くが……ティアはどうする?」
「私も行く」
ゼインよりも、アルフレッドと一緒にいたい。考えるより早く身体が反応し、すっと腰を上げていた。




